もと日本大阪在住、ゼネコン出身の韓国・李明博大統領に期待!!! | 東京リーシングと土地活用戦記

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 韓国の李明博大統領が2月25日、ソウルの国会議事堂前広場で、内外から集まった数万人の参列者を前に就任演説を行った。

 演説で自ら語ったように、「食事にさえ困った田舎の少年が苦学生、日雇い労働者、会社員を経て大企業会長、国会議員、ソウル市長、大統領になった」立志伝中の人物だ。タイプは違うものの盧武鉉前大統領も、「ゼロからの出発」という点では同じである。
日本には絶えて久しい創業者的な政治家が登場した

 思えば日本では、叩き上げ政治家、創業者的な政治家が頂点に昇りつめた例は絶えて久しくない。いわゆる「三角大福中」の時代で終わってしまった。言うまでもなく、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘元首相の時代である。その後、「安竹宮」と呼ばれる中2階のような時期もあった。安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一氏ら3氏の時代である。安倍、宮沢両氏は共に親が代議士だったが、直接地盤を引き継いだわけではない。竹下氏も親は県会議員だったから純粋な2世代議士とは言えなかった。

 李大統領は、かつて今太閤と言われた田中角栄元首相をほうふつとさせるものがある。「角さん」はコンピュータ付きブルドーザーと言われたが、李大統領もそう感じさせるものがある。経済界でも、日本にはかつて韓国に負けないほどの大型経済人がいた。石坂泰三氏、土光敏夫氏などは創業者的経済人で、政治家に転身しても超一流になったであろう。大統領制と議院内閣制の違いはあるとしても、他の分野の強力な指導者を政治のトップに据えてしまう韓国政治のダイナミズムにはうらやましさを感じる。

日韓関係は「未来志向」の時代に踏み出せる

さて、私は李新政権に大きな期待をしている。就任演説での「理念の時代を超えて実用の時代に踏み出す」という姿勢にも共感している。これで日韓関係も、名実ともに「未来志向」の時代に踏み出すことができるのではないか。
 李大統領は、金大中、盧武鉉政権による10年間を“停滞”とか“挫折”と厳しく批判している。だが、軍事独裁を克服し、民主化を定着させた10年の功績は素直に認めてよいのではないか。ようやく韓国政治も“思想”を脱却することができる段階に達したのだと思う。

さて、今後の李政権の行方を考えると前政権以上に厳しいものになるかもしれない。それは、李大統領の経済手腕と“公約”に過剰な期待が寄せられているからだ。大統領選を通じて彼は、1)年間7%の経済成長、2)5年間で300万人の雇用創出、3)1人当たり国民所得4万ドルの達成を確約してきた。あまりの明確さに私は選挙中からはらはらしてきた。また、就任演説でも成長の維持と格差解消をあらためて強く打ち出している。

 だが、世界経済の現状は、李大統領の経済政策にとって追い風になりそうもない。それどころか、厳しい逆風になる可能性が高い

 4月の国会議員選挙までは政策の成否を大きく問われることはないだろうが、その後が問題である。米国景気や世界経済が減速することになれば当然韓国経済も同じ運命をたどることになる。明確な成長率を掲げているだけに、成長率の鈍化は致命傷になるかもしれない。また、雇用が拡大するどころか失業率が高まるようになれば、政権への不満は一気に噴出するだろう。 成長の維持と格差の解消を両立させることは極めて困難な課題だ。最大限の努力を払っても、成長が鈍化し格差が拡大する逆の事態も十分に予想できる。

経済政策は、早期の軌道修正が必要 李政権は、今のうちに経済公約について軌道を修正したほうがよい。過剰な期待を放置すれば半年を経ずして政権運営が困難になるだろう。韓国の国会には、“解散”はないので、政局の混乱を収拾できなくなる恐れがある。 創業者的政治は“君子豹変”も得意のはずである。昨年夏以来の世界経済の思いがけない展開を説明すれば韓国国民もよく分かってくれるだろう。東アジアの協調と安定した発展のためにも、腰を据えた政権運営を期待したい。

田中 秀征(たなか・しゅうせい)

1940年長野県生まれ。東京大学文学部西洋史学科、北海道大学法学部政治学科を卒業。83年衆議院議員に初当選。93年6月に自民党を離党して新党さきがけを結成、代表代行。自民党時代は宏池会(宮沢派)に所
属。細川政権の発足に伴い首相特別補佐。第1次橋本内閣で経済企画庁長官。現在、福山大学教授。

(Nikkei BPnet)

【ソウル=鈴木壮太郎 Nikkei Net】韓国で25日、李明博(イ・ミョンバク)第17代大統領が就任、10年ぶりの保守政権が誕生した。李大統領は同日午前、ソウル・汝矣島(ヨイド)の国会議事堂広場で開く就任式典で演説し、外交の基本姿勢として日米両国に加え中国、ロシアとの関係強化に動くと表明。北朝鮮との対話窓口を保持して膠着(こうちゃく)状態にある北朝鮮の核問題の進展を探り「東アジアの共同繁栄」を目指す方針を示した。 大統領は26日に韓昇洙(ハン・スンス)首相を任命し、新政権を始動させる。既に発表している15閣僚候補に対する国会の人事聴聞会を経て、29日にも組閣を完了する運び。

 演説では、建国60周年の今年を韓国の「先進化元年」と位置づけ、金大中政権から二代にわたった進歩系勢力による政権が社会の停滞を招いたと指摘。政治運営を「理念」から実利重視へと転換し、一流国家への脱皮を狙うと強調した。




李明博
(日本語読み仮名)りめいはく
(現地語読み仮名)イ・ミョンバク

現代建設社長、国会議員(ハンナラ党)などの要職を歴任。

2002年にソウル特別市市長に就任し、都市改造政策等を行った。

2007年12月19日施行の大韓民国大統領選挙に出馬し、対立候補を圧倒的大差で破り、悲願の当選を果たした。

2008年2月25日、第17代大韓民国大統領に就任し、5年間の政権を正式に発足させた。


1941年、大阪府中河内郡加美村(現・大阪府大阪市平野区)にて生まれる。両親共に朝鮮人とされる。父親は日本人の経営する酪農関係の労働に従事し家族を養っていたという。第二次世界大戦後に、家族で慶尚北道の浦項へ引き揚げた。当選後に朝鮮日報などに掲載された「一代記」によれば、暮らしは非常に貧しく、父親は牧場、母親は果物を売って生計を立てていたほか、李自身も小学校時代からポン菓子やマッチなどを売っていた。軍基地の鉄条網の前でのり巻きや蒸しパンを売り、憲兵に殴られたこともあるという。学校へ弁当を持って行けず水を飲んで空腹を満たした。中学校時代は栄養失調に倒れた事もあったが、卒業時の成績は全校2位だった(一番低い時でも3位だった)。家が貧しかったために高校への進学を諦めていたが、中学校の教師が母親を説得し定時制の商業高等学校に進学。高校卒業後、ソウルの梨泰院に家族全員で移り、肉体労働をして学費を貯め、1961年高麗大学校商学部経営学科へ進学。大学在学中に兵役を務めたが、気管支拡張症により除隊となった。

1963年に高麗大学校商学部学生会長になった翌年に、同大学校総学生会長代行となる。朴正煕政権下日韓基本条約締結に向けての日韓会談反対闘争を主導、第6次日韓会談を中止させる(6・3事態)。これにより国家内乱扇動の容疑で逮捕され、最高裁で懲役3年・執行猶予5年(西大門刑務所に6ヶ月服役)の判決を受けた。
1965年に大学を卒業した後は、学生運動の経歴が祟り就職難に陥り、朴大統領に手紙を送って就職問題を解決し、社員が数十人という零細企業だった現代建設に入社。強盗から金庫を命がけで守ったことで鄭周永に気に入られる。鄭の薫陶の下、会社経営に辣腕を振い、29歳で取締役、36才で社長、47歳で会長に就任して、現代建設を韓国のトップ企業に押し上げた。このため政界入り以前は経済人として著名で、「現代の韓国を創った50人」に選ばれるなど、韓国におけるサラリーマン神話の代表的人物とされている。
1992年現代建設を退社。第14代国会選挙で当選し、国会議員政界入り。続く第15代国会選挙にも出馬し、この時盧武鉉を破って当選している。しかし1998年、選挙参謀による不明朗な選挙資金の処理が明らかになり議員を辞職。再び経済人としての活動に戻った。2002年にソウル特別市市長に当選した。公共交通システムの再編、ソウルの森の造成、清渓高架道路の撤去と清渓川の復元などを実現した。これらの功績によりアメリカのタイム誌により「環境の英雄 (Hero of the Environment) 」に選定され[1]、英経済専門誌フィナンシャルタイムズの姉妹誌「fDi」により「2005年世界の人物大賞 (personality of the year) 」を授与された。[2]
韓国大統領選挙(2007年末)の前哨戦であるハンナラ党予備選挙で朴槿恵候補に勝利し、大統領選の党公認候補となった。大統領選挙における各種世論調査でも人気は軒並み1、2位に上がっていた勢いをそのまま本番に持ち込み、2007年12月19日施行の大韓民国大統領選挙で圧倒的大差で当選を果たした。

2007年の大統領選挙にあたっては、漢江と洛東江を結ぶ「朝鮮半島大運河(京釜運河)プロジェクト」構想を主要公約に掲げている(後述)。

2008年2月25日に、第17代大韓民国大統領に就任。就任式には海外からの招待客や一般市民ら約6万人が参加。日本からは福田康夫首相のほか、中曽根康弘、森喜朗元首相らも出席した。

年譜

* 1941年 - 大阪府中河内郡加美村(現・大阪府大阪市平野区)で出生
* 1960年 - 慶尚北道浦項市の同志(ドンジ、동지)商業高等學校(現・同志高等学校)卒業(夜間)
* 1961年 - 高麗大学校入学
* 1965年 - 現代建設入社
* 1977年 - 現代建設代表取締役社長就任
* 1978年 - 仁川製鉄代表取締役・韓国都市開発社長(兼任)
* 1988年 - 現代建設代表取締役会長就任
* 1992年 - 第14代国会議員当選(民自党、全国区)
* 1996年 - 第15代国会議員当選(新韓国党、ソウル鍾路区)
* 1998年 - 第15代国会議員辞任
* 2002年 - 第32代ソウル特別市市長就任
* 2006年 - ソウル特別市市長退任
* 2007年 - 2007年大韓民国大統領選挙に当選
* 2008年 - 第17代大韓民国大統領に就任


(Wikipedia)

 韓国に、とても強力な大統領が生まれました。幼年期を大阪に過ごしています。大手ゼネコン出身の保守派であり、進歩的な行動力に実績と定評があります。前政権と違い、今後の日韓の協調的な関係に大きな改善が期待されます。