随分前の記事に書いた のですが、サルヴァドール・ダリの残した言葉に以下のものがあります。





「毎朝目覚めの時、私は至上の喜びを知る。すなわちサルヴァドール・ダリである喜びを。」





僕もこんなふうに目覚めたいなー、と感じると共に「現在において、このような思いで目覚めることの出来る人がいるだろうか?」と疑問に思っていました。

そこで、友人の≫orangeobject君 に疑問をぶつけてみたのです。

(※orangeobject君は映画・音楽・アメリカンプロレスなどいろんなことに詳しい)


「目覚めと共に、『自分である』という喜びに浸れるなんて、そんな人、今いるだろうか?ビル・ゲイツや孫正義だって苦悩と共に目覚める日のほうが多いのではなかろうか?」と。

すると、間髪いれずに答えが返ってきた。




「パリス・ヒルトンなら成立するだろう。」




僕は妙に納得してしまった。

確かにパリス・ヒルトンは有名なセレブリティーである。でもビル・ゲイツほどのお金は動かせない。

僕が納得したのは彼女のキャラクター故である。

パリスの浮世離れした行動と言動は、僕が語るまでも無いと思う。

一つ上げるならば、かの有名な、恋人との情事を撮影した、いわゆる「セックステープ流出」の事件が、彼女の地位を揺るがすどころか、知名度を上げ、彼女が手がける他のビジネスにむしろプラスの効果をもたらしている、ということは特筆に価すると思います。


「セックスビデオなんて、恋人同士だったら誰でも撮るもんじゃない?」


という彼女のコメントを見て、確信しました。

「毎朝目覚めの時、私は至上の喜びを知る。すなわちパリス・ヒルトンである喜びを。」

というのは彼女にはお似合いだと言うことを。



ダリ回顧展の感想記事 で紹介した

「シュルレアリストと私の唯一の違いは、私こそがシュルレアリストだということだ」

というダリの言葉も

パリスなら

「セレブリティと私の唯一の違いは、私こそがセレブリティだということだ」

として成立する気がします。


ギネスブックは彼女を「世界で最も過大評価されている人」と認定していますが、「ギネスブックはパリス・ヒルトンを過小評価してやしないだろうか?」と、僕個人が思う分には自由であろう。


orangeobject君とこの会話を交わしたのは随分前なのですが、僕は自分の問い対する、彼の「パリス・ヒルトン」以上の答えを未だに見つけられないで居ます。





Paris Hilton ファーストアルバム について書かれたorangeobject君の記事も是非ご覧ください。



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