きまぐれさとみの気まぐれ日常スタイル

きまぐれさとみの気まぐれ日常スタイル

日常を気まぐれに思いついたことをいろいろ書いてゆきます。春と夏には「風のように旅する男」の本領発揮…てな旅日記を入れたり…時々聖書や聖クルアーンに書かれていることに近いこと書くかも。

 さて、出発する時は熊本に宿泊することだけを決めて、あとは未定。たいてい最近はおおよそ行くところを決めて予約入れているんだが、今回は熊本に宿泊した時点で行き先未定。阿蘇高原を大分まで抜けて日向市まで行くか?それとも鹿児島方面へ行くか?

 結局、鹿児島方面に行くことにして、朝10時に出発。水前寺駅周辺で気になる交差点。
交差点なのに片方の信号がない。どうやら交差点の片側にある横断歩道の信号らしい。交差点になってるし、交通量もそこそこあるので、交差点の信号になっていてもいいものだけど。

 以前だと、「青春18きっぷ」を2冊買ったりしてたけれど。(途中から1冊が1枚になったけど)現在は九州なら「旅名人の九州満喫きっぷ」で3日間、全鉄軌道乗り放題だから九州全域回れる。今回は「青春18きっぷ」で事足りるし、新八代から新幹線で川内まで行った。ネットきっぷで買ったが、指定席の割引価格が自由席の料金と同じ。新幹線は割引率低いんだな。

 鹿児島中央行きなら鹿児島中央で降りてぶらぶらしようと思ったが、都城行き。そこから宮崎まで行けるので、宮崎に宿泊することにした。
国分から都城、都城から南宮崎の間はこのような風景が続く。それで吉松の方を回るルートがあるのかな?実は肥薩線が開業当時は鹿児島本線で、吉松からは宮崎へのバイパスルートだったとか。

 宮崎は駅からホテルまで遠い。だいたい10数分歩く。宮崎に宿泊した時はたいていそれぐらい歩く。ただ、食べに行くときはだいたいの目星はつけられるし、買い物行くにもどこに何があるは把握できる。今回は大浴場のある唯一の宿泊場所。ただ、大浴場が男性専用なので女性同士やカップルで行くと難儀なことに。
 夏は体力が消耗するんで、7月末と8月末はゆっくり過ごす夏休み。今回は5日間。5日間あれば、九州一周できるなと、始発の快速で出発。ここんとこなかなか起きられないので、起きられるかな…3時半に目が覚めて起きて朝食。これならゆっくり準備して始発で出発できる。

 以前岡本を拠点としていた時は、JRの駅まで6分ぐらい歩いて行けたので、歩いて行ったが、現在は歩けば30分ぐらいはかかりそう。最寄り駅が使いので、電車で阪神国道駅まで行って、JR西宮駅まで歩く。さぁ〜て、熊本に夕方着くにはどうしたらいいか?

 広島から小倉まで新幹線を使えば、19時には到着できる。で、始発の快速から乗り継いで行くと、広島の出発時間には微妙に間に合わない。それで、三原までは普通で行って、そこから新幹線で広島まで行った。ま、距離も短いし、自由席でと。

 広島からは「のぞみ」で早割使って前もって購入。山口県エスケープ。山口県鉄道に関して冷淡なんだもん。そして出発前日には新山口駅構内で貨物列車の脱線事故があって、運行不能。エスケープが項を奏した。

 小倉から熊本まで行くのに、そのままだと鳥栖で待ち時間があるので、一旦博多で下車。博多始発の電車で鳥栖へ向かうと物凄い雷。雨もすごくなってきた。鳥栖に着いた時は雨は上がっていた。あとは八代行きの電車で熊本へ。

 今回余裕持って出発したはずなので、準備していたいつも使っているシャンプーやコンディショナー、ボディソープのセット版を忘れた。まぁ、ビオリスとボタにストのシャンプーは入っているけれど、最近はラウレス硫酸ナトリウムの入っていないシャンプー使ってるし、駅降りたら、薬局でお試し用のシャンプーを買って使うことにした。

 いつも、何か忘れているような気がする時は肝心なものを忘れていることが多い。駅に着いてから気づくと取りに帰るのに時間がかかる。それで駅に近いのは助かる。今回は気づいたときには広島県内を走っていた。戻るの無理。まぁ、間に合わせできるのでいいけど、替わりがきかなければ予定変更の憂き目にあってたかも。
 パレードが途中で中止になった夜も、事故と無関係なだんじりは予定通り地区の4基の宮入。すでに商店街には岡本のだんじりが待機。

19時を回ると東から北畑、中野、小路、田邊のだんじりが宮入のため続々と練りあるく。小路のだんじりが岡本坂に向かう。

そして登り口で岡本のだんじりと練り合戦。岡本のだんじりは各地区のだんじりと練り合戦をやり、見送る。そして、4基のだんじりは保久良神社の御旅所がある鷺宮八幡宮に向かう。


 4基のだんじりが坂を登り終えると、岡本のだんじりも坂を登る。こうして夜のだんじり曳行は鷺宮八幡宮の宮入へと移る。
 今年もやってきました。本山だんじりパレード。昼前に岡本駅から山手幹線へ向かう。摂津本山駅前。

森のだんじりが休憩中。パレード前から地区を練り歩いている。特に摂津本山駅や岡本駅付近は絶好の練り歩き場所なのであちこちからだんじりがやってくる。


 地元岡本のだんじりも商店街を練り歩いている。そうして本山8基、魚崎地区から魚崎と北青木(きたおうぎ)のだんじりも参加。毎年の顔ぶれ。10基のだんじりが勢ぞろいし、だんじりパレード開始。実行委員長や地区の会長などの挨拶の後、区長の挨拶の場面で県知事が挨拶。

 各地区の練りが始まって、地元岡本のだんじりが練りに難儀していた。

田中地区の本山最大のだんじり。新型コロナ禍の前は打ち上げ花火やら派手に打ち上げているけど、今回は風船を用意していた。ただ、練りの披露の際に事故が起き、だんじりパレードは中止。

 神様は維新を嫌ってるのかな?
 日本の史跡には謎が多い。おそらく東アジア最古のものだろうと言われるものがある。そもそも我々の祖先はどこから来た何者だろう。

日ユ同祖論の根拠
 日ユ同祖論はよく言われるが、その根拠として、日本人に多いYAP因子がユダヤ人のものと同じであることから、日本人の祖先はユダヤ人だったという説…これはユダヤ人の間では有名である。

 そもそも日本国としての起源は西暦紀元前660年に神武天皇(カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト)が橿原で即位したのが始まりと言われる。その60年ほど前、エフライム朝イスラエルが滅亡、王族や貴族たちはユーフラテス川の東へ流刑にされた。

では、縄文人はどこから来た?
 そうだとしても、それ以前に住んでいた縄文人に関しては辻褄が合わない。神武天皇即位以降の歴史は弥生人の歴史で、縄文人はそれ以前に住んでいたから。また、縄文人は争った形跡がなく長年平和に暮らして来たようだ。

 縄文人はシベリアからサハリンを渡って北海道の上陸、そこから中部・北陸まで生活範囲を広げた。また、天然アスファルトを新潟県で掘り出し、北海道で加工し、青森で使用するなど産業も活発だったようだ。

 アイヌ人はエサウの末裔と言われているが、これも日ユ同祖論から来たもので、セイル山の動乱もしくは滅亡によって流れて来た説がある。しかし、アブラハム・イサク・ヤコブの時代から見ても縄文時代の長さからいって不自然である。

 アブラハムがウルの町を出たのちにシュメールはアッカド人に滅ぼされている。シュメールの最後の王朝、ウル第3王朝の時代にアブラハム(当時はアブラムという名だった)は父や兄弟とウルに暮らしており、なぜ、裕福なウルの町を出たのかは定かではない。

 しかし、いずれこの繁栄は続かないことをアブラハムは知っていて宣べ伝えたのだと思う。そうなると、それを聞いた一部の人たちが迫害を恐れて東へ移動したのではないだろうか?それなら争いごともなく平和に暮らす理由もわかる。

 そう考えると、東日本はエドム・イドマヤ・シュメールで西日本はイスラエルに分けられ、同じ遺伝子を持つ民族となったのではないだろうか。

日本の混乱の元凶は?
 ちなみにアイヌ人とウチナーンチュは平安時代ぐらいまでは争いごともない平和な日々を過ごしていたようだが、ヤマト人は平安時代末期から戦が多い不安定な時代が続いた。おそらく縄文系と弥生系が混在し、また、イスラエル系とエドム系も混在し、争いごとの元になったのではないかと思う。

 さらに、弥生時代後期(紀元前330年以降)は難民や移民が多く流入し、国情が不安定になった。4世紀にも多くの難民や移民が流入したことも不安定要素なのかもしれない。

 しかし、縄文時代の平和な日々やシュメールやイスラエルの民の子孫、また紀元前660年から一つの王朝が現在まで続いている世界でも特殊な国に暮らしていることは確か。最終的に世界はどうなるかはわからない。しかし、恐れて混乱することで事態は悪化する。

 今は、自分が生かされている人生を大切にし、できることを誠実にこなすしかないのではないだろうか。日々コツコツと行うことが気がつけば大きな成果を挙げているのではないだろうか。

 今年から来年にかけては大変な時期になると言われている。しかし、自分なりにひたむきに生きていけば、時代が変われば、流れも良くなるかもしれない。