ベトナムのユルいワナ | 会社を辞めてXXを season 2

会社を辞めてXXを season 2

自分の原点に戻るべく57歳にして東京の商社を辞めて農業分野への転職を決意。年齢フィルターに苦戦しながらも農園への転職に成功するも1年でリストラに。再び彷徨いはじめた自分探しの備忘録。



 

 

 

みなさん、こんにちは。
暑い日が続くが諸兄の体調は如何であろうか。暑さの中での農作業は熱中症の危険を伴うが、冷房の効いた部屋と酷暑の現場を行き来することの方が逆に体力を余計に消耗するようだ。エアコンより風通しの良い日陰で休んでいた方が温度差がなく体には優しい気がする。個人差があるだろうから万人におススメはできないが。

さて、諸兄は買ったハズの商品が封を開けてみたら違っていたことはあるだろうか。配送間違いではない。日本なら配送間違いで苦情を訴えれば交換してくれるが海外では詐欺目的でヤラれることがあるのだ。

はじめてこの手の詐欺を聞いたのはあるラーメン店主からだった。彼の奥様は東南アジアの某国出身で、ときどき奥様と一緒に帰国していた。ある日彼はその国でも高級品を扱うデパートで奥様のためにブランド物のバッグを買うことにしたのだ。奥様がお気に入りの革バッグをみつけると店員はそのバッグをもって店の奥に行き丁寧な包装をしてブランドの紙バッグに入れてもってきた。

喜ぶ奥様は大切に紙バックを受け取り、帰国するまで開けることなくキャリーケースにしまい込んだ。そして帰国していざそのバッグの箱を開けると、なんとも安っぽい、下品なガラの布バッグが入っていたのだ。もちろんこんなモノを買ってはいない。そう、高級デパートであっても某国の店員はヤルのだ。バッグをもって奥にいき、ホンモノは入れずにヤスモノを入れて包装するのだ。その場で包装を破って開ける客は滅多にいない。

聞けば結構な数の知人が東南アジアの国々でこの手のすり替え詐欺にヤラれていた。実は私もその被害者の一人だ。それはベトナムでのことだった。ホーチミン市にあるいくつかの取引先に商談のため訪れた時だった。1週間ほどの滞在だったが中日にぽっかりと時間があく日があった。今から15年ほど前の話だ。

私の同行者はあいた時間に「クチトンネル」を見に行かないか、と誘ってきた。クチトンネルはベトナム兵がアメリカ軍とゲリラ戦を行うために地下に張り巡らした250Kmにもなるトンネルだ。ここは史跡として今は観光地になっている。私はとくに用事もないので彼についていくことにした。朝食後、我々はタクシーに乗ってクチトンネルへ向かった。市内からは1時間ほどだった。

タクシーメーターはベトナム通貨で何十万ドンと表示が出てビビるが何年もデノミしておらずインフレが慢性的に続いていたので日本円で千何百円でも通貨額がデカいのだ。トンネルにつくとまず受付で料金を払う。すると古いテレビの前に座らされ、ベトナムが如何に米軍を打ち負かしたかのビデオを見せられるのだ。時間は30分ほどだった。ふーんと見終わると元兵士だったという男が現れカタコトの英語でこっちに来いという。

すると外に出てトンネルを案内してくれるという。道中アメリカのヘリや戦車が飾ってあるが朽ち果てるに任せている。しかし自国の兵器はピカピカにしてあった。そしてスリバチ状のクレーターみたいな穴を通り過ぎたとき、元兵士は「B52 Bomb」といった。

!!! マジっすかっ(゚д゚lll)  !!!

「B52」とはアメリカ空軍の戦略爆撃機でその爆撃で開いた穴だった。直径で30m以上はあるだろうか。雑草が生い茂るが地中深くクレーターになっていた。爆弾の恐ろしさを目の当たりにしたあとトンネルツアーが始まった。トンネルは実際に中に入ることができるのだ。元兵士が約20mほどのトンネルを駆け抜けてあっという間に先の出口から出てきた。

私は続いて中に入ったがしゃがむとアタマが天井にぶつかる。四つん這いにならないと前へ進めない狭さだ。元兵士は背が低いのでトンネル内を駆け足のように駆け抜ける。アメリカ人のガタイでは匍匐前進が精一杯だろう。こうしていくつかのトンネルを抜けていく。道中アメリカ軍をやっつけるトラップ(ワナ)の数々を見せられる。落とし穴は古典的だが先を尖らせた木々が底に刺さっている。あと踏みぬいた板がシーソーの原理で股間にあたるトラップ。先端には尖った五寸釘が...。

致命的なダメージは受けないだろうが大ケガすること間違いなしのトラップの数々を見て、この国民の残虐性にドン引くと同時にコイツらと戦争したくないなぁと思った。途中、当時の地下食堂を模した休憩所でお茶をいただいた。火を使うが煙は木の枝葉で塞がれもくもくと立ち上ることがない。すると元兵士が「アメリカとの戦争で500万人が死んだ」といった。そして「ヒロシマ、ナガサキは何人死んだのだ?」と原爆のことを聞いてきた。私は恥ずかしながら正確な数字を答えることができなかった。

これに懲りて私は日本国の歴史を調べるようになった。自国の歴史の説明が出来ないのは恥ずかしいことだ。やがて元兵士は我々をお土産小屋へ連れてきた。無言だが「なんか買え」と目が訴えているようだ。ちょうどスコールが降ってきて雨宿りとなった。仕方がない。何か記念になるものを買おうと思い、ショーケースを見ると共産党バッジや筆記用具などロクなものがない。しかしガラクタの中にジッポーライターがあるのを見つけた。

戦争で落としたのを拾ったか、盗んだものか。私は当時タバコを吸っていたのでこれはイイと思い、なかなか渋いジッポーを選んで買うことにした。底にちゃんとZIPPO社の古い刻印があるしホンモノのようだ。選んだ品物を女性店員がこちらに背を向けて包装してくれていた。お金を払いジッポーを受け取った。

雨が上がり、我々は商談のためホテルに戻ることにした。タクシーを拾う道中ジャングルの中を歩いてゾッとした。巨大なムカデやヤスデ、ゲジゲジ、見たこともないデカい昆虫が地面の腐葉土の中を蠢いていた。雨上がりでヤケに濡れてテカッている。米軍はこのジャングルの中を這ったりうずくまってベトコンと戦ったのだ。私なら発狂したか気絶したに違いない。

ホテルにもどり一服しようと例のジッポーを使ってみるかと開封してみるとなんと私が選んだものとは全く違うジッポーが入っていた。

!!! ウッソだろ!(゚д゚lll) !!!

ヤラれた。私が選んだものはホンモノだったが箱の中には安い作りのニセモノが入っていた。どこで入れ替えたんだろう!?「くっそっー!!」と床に膝立ちしてプラトーンのように両手を突き上げて叫んだ。いやはや見事なトラップだったワナ。最後まで読んでいただきありがとうございます。

Live long and Prosper. ||//_