社訓の秘めたる思い | 会社を辞めてXXを season 2

会社を辞めてXXを season 2

自分の原点に戻るべく57歳にして東京の商社を辞めて農業分野への転職を決意。年齢フィルターに苦戦しながらも農園への転職に成功するも1年でリストラに。再び彷徨いはじめた自分探しの備忘録。

 

 



みなさん、こんにちは。

私を成長させてくれた会社、素晴らしい経験をさせてくれた前の会社は、すでに自分の思い出の中にしかない。会社はヒトで成り立っている。ヒトの移り変わりで会社が変化していくことは当然のことだが発展ではなく衰退していく姿は見るに堪えない。

そしてこの衰退していく会社にはある視点が社員に恐らく失われている。それは社是、社訓とよばれるものだ。創業者が残した社是や社訓は実体験に基づいた教訓や反省、信条である場合が多い。これを無視した行動が当たり前になるのだ。

最近は経営理念とか存在意義とか具体的でわかりやすく書かれた文章が増えたが、むかしの創業者が書いたものは抽象的で、ある意味その信条を綴ったのと同じ境地に到らないとまったく意味不明なものもある。実は前の会社の社訓がそのタイプなのだ。

兄弟グループの上場会社から、会社のグループにいたるまで飾ってあるのだ。全部で五か条あって一見すると社員の就業心得のように見える。しかし私は最近それが経営指南書になっていることに気づいた。若いヒトには就業心得でいいが、経験を積んでこの社訓を読み返すと経営の極意というか商売の真髄のようなものが隠れていることに気づいたのだ。

本当にそうなのか、もうこの世にいない創業者に確認するスベはないが、自分にはそう見えるようになったことがヤケにうれしい。なにか奥義に触れた気がしたのだ。自分が常々考えていた仕事に対する信条が創業者にもあったのだと思った。「よく気がついた」創業者に褒められた気がしたのだ。私は縁あってこの創業者に小学3年生の時に会ったことがある。笑顔が目に浮かぶのだ。

そして今の社長をはじめとする経営者が何ひとつこの社訓に書かれた極意に気づかず野放図な経営にフケっていることが情けない。社訓に忠実でない輩が増えすぎていた。外来役員は同じ社訓を知っているハズだが記憶の彼方だ。中途採用社員は覚えてさえもいない。

前の会社は小さいがグループの中核で他の関係会社より給料が高い。その高い給料は挑戦と責任の対価だ。新しい価値を創造できる、そして何があっても自分の責任で事業を開拓できる能力があるあるからこそ給料が高く関係会社からも一目置かれるのだ。だが今の管理職、部長、役員はその高い給料を当たり前のように受け取り、無責任、無関心、無気力の3無で毎日を過ごしている。

もし自分の会社が衰退している、もしくは低迷など社業が奮わないと感じたら一度創業者の思いを読み返すといい。そして創業者が何を思ってこれを書いたのか。深く背景を考えるのだ。上っ面しか理解していなかったかもしれない。創業の苦しみは生みの苦しみ、いわば陣痛だ。ゆえに創業者、創業家は尊敬されるのだ。その尊敬に値しないとき、やはり会社は廃れる。

以前、コメントにも書かせていただいたが、創業者が100%だったとしても後継者がソコソコの70%の上司だった場合、次も70%を選ぶと引き継がれる遺伝子は49%になる。それ以後の後継者も70%だと34%、22%と劣化が進む。よく3代で家業をつぶすというが、理屈はこの理論でツブれる限度は自分の経験では
30%くらいだと思う。

70%の実力と己が認識して、引き継ぐ際に更なる努力で100%はないにしても80%、90%を目指す努力をする。そのヒントが創業者の社是、社訓にあるかもしれない。最後まで読んでいただきありがとうございます。

Live long and Prosper. ||//_