1952年、立春の金曜日、最下位のシカゴ・ブラック・ホークスは土曜日にメープル・リーフスと戦うためにトロント行きの列車に乗った。ホークスの9年目のベテラン、ビル・モシエンコ (Bill Mosienko) は新人時代以来、最高のポイントを挙げてシーズンを終えようとしていた。その晩はオフだったので旧友を訪ねることにしていた。雨が降る夜、二人は飲んだり食べたりしながら会話を楽しんだ。そして何冊かのホッケーの本を前にくつろいでいた。
「NHLのレコードブックをパラパラめくっていました。」モシエンコは数日後に振り返った。「偉大なホッケー選手たちと共にそこに名を連ねることができたらどんなに素晴らしいだろうなんてことを話していました。そんなことはあり得ないと思いながら。しかし、その48時間後に本当にそれが起こったのでした。」
トロントでの土曜の晩、モシエンコは決勝点を含む2得点を挙げた。3位のメープル・リーフスを相手に番狂わせを演じたブラックホークスは1952年3月23日(日曜日)にニュー・ヨークでシーズン最後の試合を行うためにすぐにトロントを発った。
その試合はプレーオフに出場できない2チームの対戦だったので、レインジャースは約6,000人の観客のためにマディソン・スクエア・ガーデンのアリーナだけを開け、中二階とバルコニーは閉じていた。
「ニュー・ヨーク・レインジャースの歴史の中で最も少ない観客数ですよ。」と、ホッケー・ジャーナリストとして長い経験を持つスタン・フィッシュラー (Stan Fischler) は言った。その時のフィッシュラーは19歳でレインジャースのファンクラブの副会長だった。「誰も注目しない、意味のない試合でした。レギュラーのゴーリー、チャック・レイナー (Chuck Rayner) とエミール•フランシス (Emile Francis) が酷く疲れていたのでレインジャースは第3キーパーを出場させました。」
モシエンコがホッケーの偉大な選手たちと共にレコードブックにその名を連ねる偉業にとりかかった時、ニュー・ヨークは第3ピリオドで6対2とリードしており、楽勝ムードだった。
第3ピリオドの6分09秒、モシエンコはガス・ボドナー (Gus Bodnar) からのパスを受け、20歳の第3ゴーリー、ローン・アンダーソン (Lorne Anderson) を抜いてゴールを挙げた。ボドナーは次のフェイスオフを取り、数秒間パックをもてあそんでから、ディフェンスの乱れを誘っていたモシエンコにパスを送った。モシエンコは6分20秒にアンダーソンをかわしてゴールを決めた。次のフェイスオフでもボドナーはパックを奪い、レフト・ウィングのジョージ・ギー (George Gee) にパスをし、ギーからいいタイミングでパックを受けたモシエンコは6分30秒にもう1点を挙げて点差を6対5に縮めた。ここにNHL記録となった最速のハット・トリックが樹立されたのだった。
驚いたことに、シカゴのコーチ、エビー・グッドフェロー (Ebbie Goodfellow) はそのゴールの後もボドナーのラインをリンクに残したのだった。レインジャースは明らかに動揺していた。
「ボドナーは再びフェイスオフを取りましたよ。」フィシュラーは思い出す。「何とか ‘Mosie’(モシエンコ)にパックを渡し、モシエンコはシュートを放ちましたが、パックがポストを直撃して音を立てました。28秒で四つ目のゴールになっていたかもしれません。」
後に語られたことだが、モシエンコがゴールを外してベンチに戻ると、グッドフェローはまるで吠えるように言った。「一体どうしたんだ。スランプか?」
シカゴは更に2ゴールを決めて7対6でその試合に勝った。この試合はレインジャースのゴーリー、アンダーソンにとって通算3回目の出場であり、最後の試合となった。彼はその1951-52年シーズンのほとんどをイースタン・リーグのニュー・ヨーク・ローバーズで過ごしていた。しかし、戦争神経症になりそうな5点を取られた第3ピリオドの後、プロ・ホッケーに戻ることはなかった。
「この偉業は誰にも注目されずに忘れ去られていたかもしれません。」とフィシュラーは言った。「当時は試合後の記者会見はなかったし、テレビもありませんでした。また、何の意味もない試合だったので、ほとんど報道もされませんでした。」
しかし、時が経つにつれ、このモシエンコの21秒で3ゴールという記録は決して破られることのない運命にある神話上の出来事となった。それ以来、17秒で2得点という記録はあるが、21秒でのハット・トリックを凌いだ選手は出ていない。
モシエンコ以降、この記録に最も近づいたのは1955年のジャン・ベリボー (Jean Beliveau) による44秒である。また、それ以前では1938年にカール・リスコンブ (Carl Liscombe) が記録した64秒で3ゴールがある。
1965年に殿堂入りして、モシエンコは言った: 夢にまで見たことです。
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