ニューヨーク、NY :毎年恒例のスタンレーカップ決勝時のミーティングで、NHLのGMたちは、コーチの抗議制度、ビデオによる再審理の拡大、その他のルールの変更について議論した。しかし、いずれについても最終的な結論には至らなかった。

オフサイドだったかもしれないプレーでのゴール、パックが保護ネットに当たったのではないか、違う選手がペナルティを受けたのではないか、パックがガラスを飛び越えた際のペナルティなど、コーチが抗議できる範囲を縮小することについてはGMたちの議論が前向きに進んだ。

ピッツバーグ・ペンギンズのジム・ラザフォード (Jim Rutherford) は、コーチの抗議権が2014-15年シーズンまでにルール化されることはないだろうと強調した。フェニックス・コヨーテズのドン・マローニ (Don Maloney) はその可能性はまだ残っていると述べた。但し、水曜日の会議では何もはっきりしていないことを付け加えた。

ゴーリーに対するインターフェアランスについては、ビデオによるレビューが相応しいと判断するにはまだ議論の余地が多すぎるとするコミッショナーのゲイリー・ベットマン (Gary Bettman) の言葉に従えば、コーチによる抗議の対象にはならないだろう。

また、NHL競技委員会が勧告した、場内の装飾物の取り締まり、2015-16年かそれ以降にドラフトの最初の3位までの指名をNBA方式に変更すること、その他のルールの変更なども議論の中心となった。

また、蹴り入れられたゴールの判断基準を拡大すること、ゴール裏の台形の拡大、延長戦の前にリンクの清掃とサイド・チェンジをすること、そして、フェイスオフについてのいくつかの変更については、競技委員会の勧告に基づいてGMたちの承認が得られた。

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ニューヨーク発 : ロサンゼルス・キングスはプレーオフの一つのシリーズでの4勝目が一番大変なことをよく知っている。最近4年間のプレーオフで9回も4勝しているのだからそれも当然と言えよう。
しかし、今、注目したいのはキングスが10回目の4勝をするかどうかではなく、彼らが1998年に優勝したデトロイト・レッド・ウィングス以来、4勝0敗でスタンレー・カップを勝ち取る最初のチームになるかどうかということである。一つ確かなことがある。もし、キングスのゴールキーパー、ジョナサン・クイック (Jonathan Quick) が、3対0でゲーム3を勝った時と同じような活躍をすれば、キングスは木曜日の早朝に追加の荷物をロサンゼルスに持ち帰ることになるだろう。

クイックはこの惑星で最高のゴーリーの一人である。ロサンゼルスでのゲーム1と2では、もう一人の地球上で最高のゴールキーパー、ヘンリク・ルンドクィスト (Henrik Lundqvist) をかろうじて凌いだに過ぎない。その違いは、キングスが両方のゲームに勝ったということと、最も大事な場面でクイックが頑なにドアを閉じていたのに対して、ルンドクィストにはそれができなかったということだ。しかし、ゲーム3では二人の差は歴然としていた。
確かに、3点ともルンドクィストにとっては不運だったかもしれない。あれはどうすることもできなかったと、この決勝シリーズでのルンドクィストを弁護し続ける人々もいるだろう。しかし、リンクの反対側ではクイックが、点を取られても仕方がないと思えるシュートを何本か防いでいた。この日のレインジャースの32本のシュートのうち、3本か4本を入れられていたとしても誰もクイックを責めはしないだろう。しかし、ルンドクィストには負けの責任は一切ないと熱心に主張する人はほとんどいない。

二人の違いはこういうことだ。クイックは防ぐべきシュートを防いだ。そして、より重要なのは、止められると思えなかったシュートも止めたことだ。一方、ルンドクィストは与えられた役割の半分しかこなせなかった。クイックはこのシリーズで、平均点以下のチームのプレーと彼自身のミスを、得点を許さないことで帳消しにした。ルンドクィストは、ゴーリーに対するインターフェアランスが疑われるゴールを許して動揺し、第1戦と2戦での3回の2点リードをそのまま締めくくることができなかった。今、クイックの名は再びコンスマイス・トロフィー(*プレーオフMVP)の議論を賑わせている。
「今夜のリンク上で最高の選手は間違いなくクイックです。」とのコーチのアラン・ヴィニョー (Alain Vigneault) は語った。

もし、クイックが12歳の時に参加したレインジャースの試合のインターミッションでのPK合戦を含めなければ、この日はクイックにとって初めてのマディソン・•スクエア・ガーデンでの試合だった。クイックはコネチカット州にあるThe World Most Famous Arena™から約90分のところで育ち、マイク・リヒター (Mike Richter) のファンだった。今、彼はスタンレー・カップ獲得回数で幼年期のヒーローを超えるチャンスを迎えている。しかし、例によって、クイックは特別扱いを受けている訳ではない。チームメイトと同じ様に、彼というロボットの充電池に充電するために、ゲームを終えると研究室に戻って行き体を整えている。
「それがプレーオフなんです。」クイックは言った。「みんな、ホッケーの試合に勝とうとしています。そのために、私たちはやるべきことをやってきました。今、次の1勝に備えています。4勝目はいつでも一番難しいんです。」しかし、スタンレー・カップまであと1勝という浮かれた気分を味わうことができているのではないかと聞かれたクイックの答えは「いいえ」だった。

レインジャースはシュート数では32対15とキングスを上回った。しかも、第3ピリオドにはキングスのシュートをわずか2本に抑えた。しかし、氷は偏っていなかったようだった。ゲーム3でキングスが違っていたのは、相手のパワー・プレーを完全に封じることでレインジャースの望みを打ち消す能力を持っていたことだった。レインジャースには6回のパワー・プレーのチャンスがあり、試合のほぼ20パーセントは一人多い人数で戦っていた。しかし、そのチャンスを一度も生かすことができなかった。
それはキングスに因るところが大きい。一番のペナルティ・キラーはゴール・ポストの間にいた。両チームの明暗を分けたのは何と言ってもクイックだ。ジェフ・カーター (Jeff Carter) の第1ピリオド残り0.7秒での得点もその一つだ。彼らのゴーリーの活躍からすれば、結果的にはそのゴールだけで試合に勝つのには十分だった。

「第2ピリオドにはたくさんのシュートをしました。だから、1点差に迫るか、タイに持ち込めると思っていました。」レインジャースのセンターブラッド・リチャーズ (Brad Richards) 。「いいところまで行っていたので、きっとできると思っていました。でも、突然、ピリオドが終わってしまいました。」
このシリーズ中、レインジャースには何度もそれを実現するチャンスがあった。しかし、それは起こらなかった。このままだと、突然、シリーズが終わってしまうだろう。

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1952年、立春の金曜日、最下位のシカゴ・ブラック・ホークスは土曜日にメープル・リーフスと戦うためにトロント行きの列車に乗った。ホークスの9年目のベテラン、ビル・モシエンコ (Bill Mosienko) は新人時代以来、最高のポイントを挙げてシーズンを終えようとしていた。その晩はオフだったので旧友を訪ねることにしていた。雨が降る夜、二人は飲んだり食べたりしながら会話を楽しんだ。そして何冊かのホッケーの本を前にくつろいでいた。
「NHLのレコードブックをパラパラめくっていました。」モシエンコは数日後に振り返った。「偉大なホッケー選手たちと共にそこに名を連ねることができたらどんなに素晴らしいだろうなんてことを話していました。そんなことはあり得ないと思いながら。しかし、その48時間後に本当にそれが起こったのでした。」

トロントでの土曜の晩、モシエンコは決勝点を含む2得点を挙げた。3位のメープル・リーフスを相手に番狂わせを演じたブラックホークスは1952年3月23日(日曜日)にニュー・ヨークでシーズン最後の試合を行うためにすぐにトロントを発った。
その試合はプレーオフに出場できない2チームの対戦だったので、レインジャースは約6,000人の観客のためにマディソン・スクエア・ガーデンのアリーナだけを開け、中二階とバルコニーは閉じていた。
「ニュー・ヨーク・レインジャースの歴史の中で最も少ない観客数ですよ。」と、ホッケー・ジャーナリストとして長い経験を持つスタン・フィッシュラー (Stan Fischler) は言った。その時のフィッシュラーは19歳でレインジャースのファンクラブの副会長だった。「誰も注目しない、意味のない試合でした。レギュラーのゴーリー、チャック・レイナー (Chuck Rayner) とエミール•フランシス (Emile Francis) が酷く疲れていたのでレインジャースは第3キーパーを出場させました。」

モシエンコがホッケーの偉大な選手たちと共にレコードブックにその名を連ねる偉業にとりかかった時、ニュー・ヨークは第3ピリオドで6対2とリードしており、楽勝ムードだった。
第3ピリオドの6分09秒、モシエンコはガス・ボドナー (Gus Bodnar) からのパスを受け、20歳の第3ゴーリー、ローン・アンダーソン (Lorne Anderson) を抜いてゴールを挙げた。ボドナーは次のフェイスオフを取り、数秒間パックをもてあそんでから、ディフェンスの乱れを誘っていたモシエンコにパスを送った。モシエンコは6分20秒にアンダーソンをかわしてゴールを決めた。次のフェイスオフでもボドナーはパックを奪い、レフト・ウィングのジョージ・ギー (George Gee) にパスをし、ギーからいいタイミングでパックを受けたモシエンコは6分30秒にもう1点を挙げて点差を6対5に縮めた。ここにNHL記録となった最速のハット・トリックが樹立されたのだった。
驚いたことに、シカゴのコーチ、エビー・グッドフェロー (Ebbie Goodfellow) はそのゴールの後もボドナーのラインをリンクに残したのだった。レインジャースは明らかに動揺していた。
「ボドナーは再びフェイスオフを取りましたよ。」フィシュラーは思い出す。「何とか ‘Mosie’(モシエンコ)にパックを渡し、モシエンコはシュートを放ちましたが、パックがポストを直撃して音を立てました。28秒で四つ目のゴールになっていたかもしれません。」
後に語られたことだが、モシエンコがゴールを外してベンチに戻ると、グッドフェローはまるで吠えるように言った。「一体どうしたんだ。スランプか?」
シカゴは更に2ゴールを決めて7対6でその試合に勝った。この試合はレインジャースのゴーリー、アンダーソンにとって通算3回目の出場であり、最後の試合となった。彼はその1951-52年シーズンのほとんどをイースタン・リーグのニュー・ヨーク・ローバーズで過ごしていた。しかし、戦争神経症になりそうな5点を取られた第3ピリオドの後、プロ・ホッケーに戻ることはなかった。

「この偉業は誰にも注目されずに忘れ去られていたかもしれません。」とフィシュラーは言った。「当時は試合後の記者会見はなかったし、テレビもありませんでした。また、何の意味もない試合だったので、ほとんど報道もされませんでした。」
しかし、時が経つにつれ、このモシエンコの21秒で3ゴールという記録は決して破られることのない運命にある神話上の出来事となった。それ以来、17秒で2得点という記録はあるが、21秒でのハット・トリックを凌いだ選手は出ていない。
モシエンコ以降、この記録に最も近づいたのは1955年のジャン・ベリボー (Jean Beliveau) による44秒である。また、それ以前では1938年にカール・リスコンブ (Carl Liscombe) が記録した64秒で3ゴールがある。

1965年に殿堂入りして、モシエンコは言った: 夢にまで見たことです。

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