いつもお付き合いいただきありがとうございます。
明日、6月21日は
二十四節気の五月の節≪夏至(げし)≫、
そして
七十二候の第28候≪乃東枯(なつかれくさかるる)≫(夏至の初候)です。
先日二十四節気の≪夏至≫についてお話したので、
今日は七十二候の≪乃東枯(なつかれくさかるる)≫についてお話しますね
(漢字、読めませんね~😅)
いつものように広辞苑第6版から見ていきましょう
七十二候については広辞苑にはそのものが載っているわけではないので、
言葉や漢字から探っていきます。
そもそも「乃東」と書いて「なつかれくさ」なんて、
なかなか読めませんよね~
なので、今回はまず付録の漢字辞典の方から見てみました
(下線筆者)
ダイ【乃】ナイ・いまし・すなわち・なんじ・の (名:おさむ)
①すなわち。そこで。「乃至ないし」
②なんじ。おまえ。「乃父」
▶乃公(おれ・だいこう)・乃米(のうまい)
トウ【東】あずま・ひがし・ひむかし・ひんがし (名:はる)
①方角の一つ。ひがし。「東西・東洋・極東」
②東京の略。「東名・東大」
▶東風(あゆ・あゆのかぜ・こち・こちかぜ)・東宮(とうぐう・はるのみや・みこのみや)・東雲(しののめ)
「東風」と書いて「あゆ」「こち」と読んだり、
「東雲」と書いて「しののめ」と読んだりと、
しみじみと感じる言葉が多くて素敵ではあるものの、
「なつかれくさ」とは、なかなかつながってきませんね
広辞苑の本編の方も見てみましたが、
あずま【東・吾妻・吾嬬】
①(景行紀に、日本武尊やまとたけるのみことが東征の帰途、碓日嶺うすひのみねから東南を眺めて、妃弟橘媛おとたちばなひめの投身を悲しみ、「あづまはや」と嘆いたという地名起源説話がある)日本の東部地方。古くは逢坂の関以東、また伊賀・美濃以東をいったが、奈良時代にはほぼ遠江・信濃以東、後には箱根以東を指すようになった。
②特に京都からみて関東一帯、あるいは鎌倉・鎌倉幕府・江戸をいう称。
③東琴の略。
ひがし【東】
(ヒムカシの転ヒンガシの約)
①四方の一つ。日の出る方。東方。↔西。
②東風ひがしかぜの略。
③京都に対して鎌倉幕府の称。
④真宗大谷派(東本願寺)。信徒は「お東」と呼ぶ。
⑤相撲で、土俵の正面から見て左手。また、そちらから登場する力士。
⑥江戸の劇場内で、舞台に向かって右側。大坂では左側をいう。
⑦深川遊里の称。
⑧東ヨーロッパの国々の総称。
こちらもつながってきません。
どうして「乃東」と書いて「なつかれくさ」と読んだのでしょうねえ?
調べられませんでした。残念
さて、気を取り直して。
広辞苑によりますと、「なつかれくさ」はなかったのですが、
かこそう【夏枯草】
(夏至のあとで枯れるからいう)ウツボグサの異称。また、その穂の漢方名。利尿剤とする。
うつぼぐさ【靫草】
シソ科の多年草。茎は四角く毛がある。路傍や線路沿いなどにごく普通。高さ20~30cm。6~7月ごろ、頂に太い穂をつけ、紫色の唇形花を密に開く。花には大きな丸い苞があり、靫の形に似る。穂は花後暗褐色となり、これを漢方生薬の夏枯草かごそうとし、利尿・消炎剤。
うつぼ【靫・空穂】
(靭と書くのは誤用)矢を盛って腰に背負う用具。中空の籠で、時に毛皮をつけて(後世は張子で漆塗りのものもある)矢が雨に濡れるのを防ぐ。うつお。羽壺。(後略)
とあります。
「路傍や線路沿いなどにごく普通」に見られるって、身近にあるってことだよね、どの草のこと?と思ったあなた。
残念ながら近藤は適当な画像を持ち合わせておりません😅
NHKの趣味の園芸のページにみつけました↓
ただね~、↑こちらの「育て方」を見ると、2~3月に種まきをして、5~8月に花が咲くようなんですよね。
ちょっと時期が違うような…気もしないでもない😅
まあ、旧暦と太陽暦の違いとか、昔と今ではいろいろ違いますからね、ということで、お茶を濁させてください😅
さて、今日の芋づる式辞書引きで学んだことです😉
しの‐の‐め【東雲】
(一説に、「め」は原始的住居の明り取りの役目を果たしていた網代様あじろようの粗い編み目のことで、篠竹を材料として作られた「め」が「篠の目」と呼ばれた。これが、明り取りそのものの意になり、転じて夜明けの薄明り、さらに夜明けそのものの意になったとする)
①東の空がわずかに明るくなる頃。あけがた。あかつき。あけぼの。(後略)
②明け方に、東の空にたなびく雲。
しののめ‐ぐさ【東雲草】
アサガオの異称。
なんだか、群青から次第に青になり、やがて赤みが差してくる東の空が目に浮かぶようで、それをアサガオに名付けたのも、日本人の自然観が感じられますね
それから、今日の最初の「あづま」について
群馬県吾妻(あがつま)郡嬬恋(つまごい)村のウェブサイトです↓
このページの、「嬬恋村の名前の由来」の項を見てみますと、
(下線筆者)
嬬恋村の名前の由来
第12代景行天皇の皇子「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の東征中に、海の神の怒りを静めるために愛妻「弟橘姫(おとたちばなひめ)」が海に身を投じました。その東征の帰路、碓日坂(今の鳥居峠)にお立ちになり、亡き妻を追慕のあまり「吾嬬者耶(あづまはや)」(ああ、わが妻よ、恋しい)とお嘆きになって妻をいとおしまれたという故事にちなんで嬬恋村と名付けられました。
なんだか素敵なお話ですね~
まあ、大和政権がわから見ると美談ですが、侵略された側から見たら災難なんですけどね😅
ということで、
今日も色々勉強になりました
それではまた!
今日の浮世絵
成田屋留次郎 著 ほか『三都一朝』[2],嘉永7 [1854]. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/2557669 (参照 2024-06-19)
基本の暦ワードの説明はこちらをどうぞ↓
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楽しい育児クラブで子育てカウンセリングをして10年になります。
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