コーチの名和です。
昨日は私が中学時代の野球部の先生のことをブログに
書きました。
私が野球らしい野球を指導され、愛工大名電野球部の
厳しい練習や合宿生活のつらさにも耐えられる基礎を
作ってくれた先生です。
その、恩師である野球部の先生とは
こんな思い出があります。
私は中学に入学して野球部に入学したのですが、その直後に
盲腸になり、2ヶ月ほど野球部の練習を休みました。
あまりに長期にわたって休んだので、体調が良くなっても
野球部の練習に参加しにくい状況となってしまいました。
野球部の練習に参加しづらくなった私は、水泳も得意
だったので、水泳部に移ろうと思い、野球部の先生に退部を
申し出に行きました。
退部を申し出た私に対して先生は、
「おまえは今まで野球部で一生懸命やったと言えるのか?」
と私に言ったらしいのですが、職員室内がざわついて
いたので、私はそれが聞き取れませんでした。
にもか関わらず、私は適当に「はい」と返事をしました。
私のその返事を聞いた先生は、
「おまえが一生懸命やったとみんなが認めるのか!!」
と激怒し、私の胸ぐらをつかんで頬をナデナデしました。
そして、「おまえが一生懸命やったとみんなが認めたら
野球部を辞めていい。」と先生は言い、
野球部の退部を認めてくれませんでした。
私はその日の放課後から野球部の練習に参加し、それ以降
退部を申し出ることはありませんでした。
退部を申し出た私に対して、先生がすんなり
「いいよ、水泳部でがんばれよ!」
と退部を認めてくれていたら、間違いなく今の私は
いません。
私は入部直後から盲腸で練習に出ていないので、先生は
私が野球が上手いか下手かも知らない状態なので、
私が野球が上手かったから退部を認めなかったのでは
ありません。
どうして退部を認めなかったのかは、今でもわかりません。
今からそんなことを聞いても、先生もたぶん
忘れているでしょう。
この先生はかなり厳しく、何回頬をナデナデされたか
わからないくらいです。
当時、私はキャッチャーをやっていて、キャッチャーを
やっていた人なら経験があると思いますが、
キャッチャーはノックをしている先生に一番近くにいるので、
何か失敗したときはすぐナデナデされます。
私も例外でなく、ノックのときなど、すぐにナデナデ
されていました。
また、私が中2の頃から、その先生には
「おまえはもう野球で高校に行け!」
と私に言い続けていていて、私もいつしかそんな気持ちに
なっていました。
それが愛工大名電高校の入学という現実となり、
私の野球人生の始まりになりました。
その先生の厳しさは、このブログに書くと問題になりそう
なのでやめておきます。
みどり教室に通っている、ある選手のお父さんも、中学時代は
その先生が監督だったらしく、やっぱり何度もナデナデ
されたようで、そのお父さんも東邦高校野球部に
進んだそうです。
その先生は酒井先生というのですが、
こんなこと言っては失礼ですが、
今の学校教育では絶対に通用しないと思います。
とにかく、すぐにナデナデですから。(笑)
ナデナデのときは避けることもできず、
直立不動でそれを受けます。
そんな中学時代を過ごした私は、
高校に入学しても、中村元監督や現在の倉野監督の
ナデナデにも全く動じることもなく、直立不動で
受けることができました。
また、合宿生活の先輩からのナデナデにも
へっちゃらでした。
今の時代は体罰はない時代になっているので
このようなことは心配いらないと思いますが、
グラウンドでの激しい言葉などは相変わらずです。
酒井先生にはいろんな意味で感謝いたします。
来週月曜日に酒井先生にお会いするのがたのしみです。
あなたも一緒に野球をしませんか。
バッティングスクール カウント23
くわしくはこちら!!
ケータイはこちら!!