野球人の魂 | びっくりするほど上手くなった!名古屋のバッティングスクール「Count23」

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名古屋にあるバッティングスクール「Count23」のブログです。
小学生・中学生などの少年野球選手がチームで活躍するための技術向上を目的とした野球スクールです。バッティング、ピッチング、キャッチボールなど多彩なコースでチームの中心選手に育てます。




コーチの名和です。



武士の魂は刀だとしたら、

野球人の魂はバットであり、グラブであると思います。




野球に真剣に取り組めば取り組むほど、道具にこだわりが出てきて、

良い物を買うだけでなく、手入れなども丁寧にするようになるはずです。




スクールにはこの4月に高校に進学する選手や中学の硬式チームに

入団する生徒がたくさんいて、どのバットにしたらよいか、

グラブはどのようなものを購入したらよいかなど相談される

時期になりました。




そんなこともあり、おととい、「オーダーグラブのSAEKI」さんの

グラブアドバイザーに来ていただき、グラブの購入を考えている選手と

保護者の方にグラブ選びについてアドバイスをしてもらいました。






オーダーグラブのSAEKI」さんは完全オーダーのグラブを販売する

メーカーで、噂ではとても良い革を使い、軽くて使いやすいグラブ

ということです。






実際に手に取ってみたら、私が昨年6月にオーダーして購入した

Mzuno Pro グラブが、おもちゃに見えるほどSAEKIのグラブ

革が良く、軽く手になじむ感じでした。






もう現役でなく、プレーをする機会もない私ですが、

どうしてもSAEKIのグラブが欲しくなり、オーダーする予定です。





さて、このグラブメーカーSAEKIは、マスコミなどの広告媒体を使用せず、

プロ野球球団、高校、大学などの学校、中学、小学生の野球チームに

SAEKIのグラブアドバイザーが現物を持ち、直接広めるため、

「知る人ぞ知る」こだわりのグラブメーカーです。






さて、この各チームを巡回するグラブアドバイザーが問題なのです。





このSAEKIのグラブアドバイザーは西村昌太朗という男で、とても

腰が低く、言葉が丁寧、そしてさわやかな感じの青年(25歳)です。





しか~し!!




この西村昌太朗という男がクセ者なのです!!



昌太朗は
、私が豊田大谷高校野球部の

コーチに就任した時、2年生でエースでした。





今のさわやかさは想像も付かないとんでもない「悪たれぼうず」で、

上級生である3年生を呼び捨てにするなど、体育会系の上下関係

もぶちこわす男でした。





この男のマウンド上の態度で、4人のキャッチャーのうち、3人が

心を病み、イップスになりました。





このようなことを百歩譲って良い解釈をすると、

野球に対してまじめで、真剣に取り組んでいたため、自分にも他人にも

厳しすぎたので、それに耐えられない弱者がイップスになってしまった

ということです。





たしかに、昌太朗という男はかなり練習をしていました。





自分にも厳しかったのですが、その厳しさを身近なキャッチャーにも

求めたので、そこでギャップが生じ、

キャッチャーがおかしくなったといえます。





この昌太朗、SAEKIのグラブアドバイザーとしてあちこちの高校やチームを

廻っていて、私が豊田大谷高校でコーチをしていたことを知っている

野球関係の知り合いから


「西村昌太朗って知ってるか?昨日、SAEKIのグラブを持って営業に

来たぞ。」



という電話が、いろんなところから入りました。




その時私は、電話の相手にいつも、


「昌太朗はちゃんとあいさつはできたか?」

「ありがとうございますなど、頭を下げることはできたか?」


と、必ず聞いていました。





3年生になると昌太朗は、エースで4番、キャブテンを務める

まさにチームのリーダー、独裁者でした。




中村監督やコーチの私にも納得がいかないことがあれば、食ってかかる選手で、

ほんとに手を焼き、その年のチームをまとめるには、

この昌太朗という男を抑えるのがポイントとなっていました。





それにしても7年ぶりに会った昌太朗は、高校時代のイメージと

180度変わっていて、冒頭の腰が低く言葉が丁寧、さわやかな好青年

になっており、私は思わず、

「お前、何か変なクスリでもやっているんじゃないのか?」

と言ってしまうほど、良い意味で変わっていました。




私と会うなり、


「高校時代に監督さん、名和さんに言われたことが、20歳を過ぎた頃

初めてわかるようになりました。」


と、言いました。





このようなことを言われたり、素行が悪く、どうしょうもなかった選手が

まともに生活をしていると知った時など、

「野球の指導者になって良かった。」

と思えます。




昌太朗もあいさつができ、人に頭を下げることができるようになりました。




こんな当たり前のことができるようになっただけで感動するレベルの

高校時代の昌太朗だったのです。






おとといは選手や保護者の方にグラブのことを真剣なまなざしで

語っていました。





「こいつ、ほんとに野球が好きなヤツだな・・・」



と思って見ていました。





元愛工大名電高校野球部監督の中村監督が、私を誰かに紹介する時、

「こいつは、今でこそこんなにまともになっているが、高校の時は

とんでもない選手で手を焼かせたんだ。」

と、紹介します。

昨年の夏季合宿の時も、選手全員の前でこのように言われました。





私が西村昌太朗を紹介する時も

「こいつは、今はこんなさわやかな青年になっているが、高校時代は

とんでもない選手だったんだぞ。」

と、紹介するはずです。





私も昌太朗も同じ、現役時代はとんでもない選手だったのですが

野球が好きで一生懸命だったのです。




あなたは「とんでもない選手だった」と言われることなく、

今から野球や勉強、素行もまじめに生きて下さい。