先日のスクールの夏の強化合宿には
元愛工大名電高校野球部監督の中村監督が
子供たちに講演をしてくださいました。
中村監督は20年以上の監督生活の中で、
20名近くのプロ野球選手を育ててきたわけですが、
その代表がマリナーズのイチロー選手です。
そして、来年はメジャーに挑戦するという噂がある工藤投手。
現在楽天で活躍中の山崎選手などがいます。
この中で私も接したことがあるのは工藤さんで、
私が1年生の時に工藤さんは3年生にいました。
今はもう時効だと思いますので、暴露しちゃいますが、
私は中村監督の誘いもあり、
中3の8月に愛工大名電高校野球部に入ることに
決めました。
当時はまだ名古屋電気高校といわれていました。
名電高野球部は毎年12月の年末に10日間ほど
蒲郡球場を貸し切り、年末の地獄のキャンプを行っていました。
私は中3のときにこの地獄のキャンプに参加し、
高校生のお兄ちゃんとハードな練習しました。
このキャンプでチームは蒲郡の形原温泉の旅館に泊まっており、
その旅館で私は工藤さんと同じ部屋でした。
キャンプ中は朝6時に起床し、近所のお寺に座禅に行き、
線香1本燃え尽きるまでの座禅時間で、それが約40分でした。
座禅は本格的で足がしびれて動いたりすると、後ろからお坊さんが
ポンポンと肩に「これから叩きますよ」と合図をしてきて、
その合図をされた者は体を前に倒し、叩かれやすい体制を取ります。
そうすると樫の木の太い棒で肩というか、背中当たりを容赦なく
殴打されます。
これがマジで仰け反るほど痛いのです。
監督のケツバットと同等の痛さといえば、わかる人にはわかると思います。
こんな修行もあるキャンプでした。
その時の3年生は甲子園でベスト4までいき、
そのチームから4人のプロ野球選手が誕生しました。
ピッチャーの工藤さん(西武ドラフト6位)
キャッチャーの山本幸二さん(巨人ドラフト3位)
ショート(主将)の中村稔さん(日ハムドラフト5位)
セカンド(当時2先生)の高橋雅裕さん(大洋ドラフト3位)
まさに最強のセンターラインでした。
この中で1軍で記録らしい記録を残したのは、
工藤さんと高橋さんです。
共通していえることは、4人とも狂ったように練習をし、
グランドにいる時は鬼のようにめちゃ怖くて、
エラーなどをミスをした時は容赦なく罵声を浴びせられました。
私も1年ながらノックなどに入れてもらっていましたが、
サードを守る私が、キャッチャーの山本さんからの送球を
受ける時は命がけでした。
とにかく送球が速く、手元が狂ってショートバウンドになった時は
体で止めに行くのですが、当たり所が悪かったら間違いなく
骨折します。
そんな恐怖と戦いながら命がけで食らいつきました。
ノックでゲッツーの時、サードの私からセカンドの高橋さんに
送球するのですが、これもボールが胸に行かないと
とんでもない罵声を浴びせられました。
「練習で胸に投げられない者が、試合でなげられるか!!!!!!!」
「やめろ!! グランドから出て行け!!!」
なんて優しい言葉をかけてくれました。
暴投などを投げようものなら・・・・・
その後は想像にお任せします・・・
とにかく監督を始め、選手たちもみな1球に対するこだわりは
厳しく、たとえノックの1球でも試合の1球という意識で
練習に取り組み、エラーや暴投などは、
「お前のそのエラーで夏が終わるんだ!!」
「そんなヤツはいらんから帰っていけ!!」
とにかく厳しかったです。
1年生の私としては、それまで感じたことがないレベルの
プレッシャーがあり、鬱になりそうでした。
学校から帰ってグランドで練習をし、
夕食を食べてから室内練習場でまた練習です。
冬でも上半身裸になり、鬼の形相でマシン相手に
打ち込み練習をしています。
マシンのボールを入れている私から先輩をみると、
体全体から湯気が上がり、鬼か別世界の生き物のように
見えました。
特にプロに行った4人の練習は激しく、
高橋さんは、昼に行った練習をまた夜に1人で同じメニューをこなしたり、
夜にグラウンドの照明を付け、何百球もの個人ノックを受けていました。
工藤さんは毎朝5時に起床して合宿所から学校までランニングを毎日
欠かさず続け、帰りも学校からグラウンドまで16kmのランニング
を欠かしませんでした。
甲子園チームの他の5名も厳しかったのですが、
プロに行った4人ほどでもありませんでした。
私の同級生も1名、近鉄に5位で指名されプロ入りしたのですが、
こいつも狂ったように練習していました。
当時セカンドをやっていた私と2遊間を守っていたのですが、
私のエラーにも容赦なく
「帰ってけー!!」
と罵声を浴びせてきて、厳しいヤツでした。
今はオリックスのスカウトをしています。
プロに行く選手は、私のように練習をやらされていたのではなく、
自ら進んで厳しい練習をしていました。
それができないようではプロなんて無理なのでしょうね。
私がプロになれなかった理由はよくわかります。
今でこそ「やっとけば良かったな・・・」
と後悔しています。
スクールの選手はそんな後悔しないように今を頑張って下さい。
日本一の練習した者は日本一になれ、プロ野球選手になれるほど練習した者は
プロ野球選手になれます。
あなたもいっしょに野球をしませんか。
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