私の恩師でもある、
愛工大名電高校硬式野球部 元監督の中村監督に
新年の挨拶に行ってきました。
監督に電話したところ、
グランドにいるとのことで、
吉良高校のグランドに行きました。

グランドではきつそうな冬の練習をしていました。
ハードルを使い、
跳んで、くぐり、跳んで、くぐり・・・・
かなりつらそうです。

下級生ほど体力がなく、すぐへばってしまいます。
そんな下級生には上級生が
「がんばれ!がんばれ!」
と、声をかけています。

私の高校時代を思い出すと、
「コラー!!きつくてできんなら出とけー!!」
「やるな!!出とけ!!」
という優しい声をいつもかけてもらっていました。

ネット裏にはニットの帽子をかぶった
中村監督が目を光らせています。
67歳ですが、まだまだお元気です。

小さくて見にくいですがわかりますか?
バックネット裏にいらっしゃるのが、
中村監督です。

こんな感じです。

ネット裏にはこんなベンチを見つけました。
ここにも甲子園の夢があります。

「魅せる守り・・・・」
とありますが、
中村監督時代の愛工大名電野球部は
とにかく「打て!打て!」の攻撃チームでした。
守備が超下手くそな私でも、
「エラーしたって4打席4ホーマー打てばいい!」
と使ってもらっていました。
高校野球では邪道かもしれませんが、
送りバントなどほとんどせず、連打で圧倒する野球でした。
「送りバントやスクイズをしておけば、あと5・6回は
甲子園に出られたな・・・」
と中村監督自身も仰っていました。
現在の倉野監督の愛工大名電野球部は
逆にバントばかりのチームになってしまい、
OBとしては寂しく思っていました。
ですが、全国制覇をしてしまいましたね。
そのせいなのか、執拗なバント攻撃も
「あり」になってしまいました。
「勝てば官軍」といったところでしょうか・・・・
練習を終え、中村監督の家にお邪魔した。
中村監督のお宅は、イチローの記念品をはじめ
野球ファンが感動するお宝がたくさんあります。
ちなみにこんなの

どちらの写真もイチロー系の本には
よく掲載されている写真です。

中村監督の歴史を語る
多くの記念品などもあります。

次回、たくさんのお宝を紹介します。
お楽しみに。
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