「カウンセリングろばみみ」のブログ

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名古屋市北区の「カウンセリング ろばみみ」のカウンセラーが書いているブログです。

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カウンセリング ろばみみ」おぎそです。

 

以前こんなこと書きました。

マスクを付け続けていたら、小さい子がコミュニケーションを

取ることが苦手になるのでは?

なんて書きましたけど、それどころじゃないみたい…もっと大変かも…

 

マスクは「自己判断で付ける外すをしましょう」なんてことになって、そろそろひと月。

 

今NHK見てますけど、大人もコミュニケーションを取る力が落ちているみたい…

 
・人と会うと不安になる、警戒心を持つようになる。
・オンラインの会話では、感情の共有がほとんどできていないことが分かった。
・人と話すのが不安、どうやって話したら良いのか分からぬ…
・他人への警戒心が強くなっている?
etc…
恐ろしや…
 
(というか、小さい子もホントのところ、どうなのだ?NHK、調べてくれい。
小さい子の事、この番組、ほとんど出てこない)
 
…私、オンラインでカウンセリングを数名の方といたしたこともありましたが、
私はやはり違和感あったのですよ…
「パソコンの向こうの人、私に気持ちを本気で伝えようとしているのかな?」
「私が言っている事、伝わっているのかな?」
 
「パソコンの向こうの人」という、やや異様な言葉を使っていますが、
実は、オンラインで話している時、ホントにそう感じたのをよく覚えています。
何と言いましょうか、「実体間が無い」…という感じでしたねぇ。
妙に不安な気分でした。今思い出してみると、不安を紛らすために、
私は妙に身振り手振りが大げさになっていたような気がします。
 
オンラインの場合、いつでもできるから良いですねー、なんて「パソコンの向こうの人」は
カウンセリングを始めた時に言ってましたけど、その人「良いですねー」以外にどんな事を
感じていたのだろ?
今となっては聞けず…ちょっとどんな感覚だったか聞いてみたい。
さて、
・人と会うと不安になる、警戒心を持つようになる。
・オンラインの会話では、感情の共有がほとんどできていないことが分かった。
・人と話すのが不安、どうやって話したら良いのか分からぬ…
・他人への警戒心が強くなっている?
これ、結局は「人とたくさん会う」事以外、回復させる方法は無いのだろうな、
と私は思います。
 
たくさん会いましょう。
 
「優しい暴露療法」が大事かな、と(笑)。
 
 
 

カウンセリング ろばみみ」おぎそです。

 

ちょっと前の日ですが、

豊田市美術館へ行ってきました。

 

「ねこのほそ道」という展覧会。

5月21日まで開催。

 

入口

 

ねこの絵・彫刻などがたくさんあるのか?

などと思って行ってみたのですが、ねこっぽい作品は数点のみ。

覚えている限りでは、入口に2つ、途中に2つ…それくらいか?

基本的には、いわゆる「現代アート」的作品の展示。

多分、途中のねこ作品1つは、かなりしっかり作品を見ないと

ねこは見つかりません。

「ねこ探しの展覧会」ではないですけど、途中のねこ作品1個を見つけると

「お、ねこいるわ♪」という気分でちょっとだけ幸せになれるかもしれません(?)

 

私が「なんだこれは!」とかなり気に入ってしまった作品↓

左上の丸いのは私の指…

ほとんどの作品が撮影可能です。

 

佐々木健さんという作家さんの作品です。

この作品の反対側(撮影している時の背中側)の作品も、

同様に「え、こっちも?」と…

この作品、ぼーっと見ると、ただの布です。以上…行って見てくださいまし。

 

 

このねこも、佐々木健氏の作品

同姓同名で野球選手もいるのね…

興味持った人は「佐々木健 アーティスト」で検索してくださいまし。

 

それから、もう一つヒジョーに脱力感のある作品も気に入ってしまいました。

映像作品(30分程度。3分ほどの映像10個組み合わせ、という方が良いかな)。

ボーリングの玉が歩道の隅っこなどを転がって行って、最後に…

最初は、「何これ?」という映像なのですが、映像を2つ、3つ…と見ていくと、

「…あーあ、またか…。」と変な「脱力感」「ガッカリ感」。

「この映像のような事、時々、日常でも起きるねぇ…」などと、しみじみ感じてしまいます。

 

「大きいテーブル(丘)」

という作品。

名前の通り、大きいです。1部屋まるごと、この作品。

 

ネタバレみたいになってしまいますが、上の作品、よく見るとねこを見つけられます。

(冒頭に書いた「かなりしっかり見ないと」はこの作品。写真には、ねこは写っていません。)

ねこ目線で見ると、ねこが見つかります(笑)

この作品を見ていて、途中で「あること」に気づいて、ねこを見つけられました。

 

…でもねぇ、「あること」に気づいていない人、相当多い様子。

会場で、私がこの作品を見ていると、私と同じ見方をする人が、急に増えました…

部屋の中から「あー、ねこ♪」なんて声が、時々聞こえたり。

 

というわけで、いわゆる「現代アート」は、ぼんやり見ていると、

「面白さ」を見失いがちなモノなのかもしれません。

「現代アート、よく分からない」という言葉をよく聞きますけど、

いろいろな見方を試してみる、いろいろな考え方をしてみると面白くなると思います。

 

「いろいろな見方を試してみる、いろいろな考え方をしてみる」、普段の生活でも大事。

 

 

 

 

 

カウンセリング ろばみみ」おぎそです。

 

もうすぐ年度替わりですねぇ。

 

この時期になると、なぜか気になる歌があります…

「1ねんせいになったーら…」と始まる、多分、

幼稚園・保育園・あるいは小学1年生が覚える歌。

 

なぜ、いい年した私が、この歌が気になるのか…

小さい頃から好きじゃないんですよねぇ…この歌。

でもこの時期になると、なぜか思い出す。

ミョーに刷り込まれている感があったり…

なぜか勝手に思い出して、一人地味にイライラしている…

 

小さい頃にこの歌を覚えた(覚えさせられた!)時から、

私はこう思っているわけ。

「なんで、友達百人なのだ??(謎)」

「友達はたくさんできなきゃいけないのか!?(謎)」

ひねくれた子だったのですかね?

 

富士山、好きです。

一度、友達と登った時は、途中で大雨…引き返して大変でしたけど。

おにぎりは食べませんでした(笑)

 

子供の頃から、今も、私は「友人は少数精鋭が良い!」的な考えなのですわ。

この場合、欲しいのは人脈ではないのである。

 

そういうわけで、子供の頃は、

「友達、たくさんできた?」

なんて「無邪気に」質問する大人が、何だかキライでした。

 

「変なプレッシャーかけるんじゃねぇよ…」

「ホントに友達100人いると『思っている』奴…信用できぬ(笑)」

「100人友達いると思って、薄ーい付き合いしたくないわ」

みたいな感じ。

 

でもねぇ、多分私みたいな「友人は少数精鋭!」みたいな子、案外いるのでは?

と思うわけ。

 

おにぎりも好きです。

 

そういうわけで、

「友達、たくさんできた?」

は、できれば、大人は子供に言って欲しくないっ!と個人的に思う。

 
この質問をしている「無邪気な大人」に、私は質問したい!
「子供がその言葉、どう思って聞いていると思う?」
 
友達は、少数精鋭が個人的には、よろしい♪
 
ちょっと、ネットで調べてみた…
どのくらいの人が思っているかは分かりませんが、私のように思っている人
案外多いみたいね。
そういう人とは私は友達になれそうである(笑)
 
 

カウンセリング ろばみみ」おぎそです。

 

「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」という本を

読んでみました。

 

「目の見えない人とアートを見にいく??…どうやって?」

と、本屋でタイトルを見て、即購入してみました。

タイトル通り「白鳥さん」は盲人です。

 

表紙にも小さく書いてありましたが、

白鳥さん、美術館へ行くと「何が見えるか教えてください」と

いう具合に、美術館に一緒に来た人と絵・現代アート・仏像などについて会話する。

で、見える人は(作者・友人)はとても楽しそうに白鳥さんに説明する。

 

でも、普通に考えると「伝わらない」ですよね?

誰かに、自分が見ている絵などを他の人に100%理解できるよう伝えるなんて、

(目が見えていても、見えなくても)ほぼ無理かと。

それは、目が見える人・見えない人関係ないと思う。

 

美術作品を見る事と直接関係ないですが、

普段から人間は、自分と他人の間に、いつでも「ずれ」を抱えている…

分かりますよね?

 

「赤くて丸いものは?」

 

ある人は、リンゴを思う。別の人は夕日を想像する。

 

夕日の写真は貼らない事にした(笑)

 

大事なのは、「違いを受け入れる事」かな、と。

白鳥さん(目の見えない人)と本の作者(目の見える人)が、互いの違いを

受け入れているから、美術館に行って、楽しむことができる。

 

「違いを受け入れられる」と人間は、「楽しくなれる」かな、と思う。

 

「違いを受け入れられない」と人間は…争ったり、差別したり…

 

 

 

カウンセリング ろばみみ」おぎそです。

 

 

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

去年は年始に、↓のようなこと書いてました。

去年も、のんびりブログ書いてたのね…相変わらずでございます。

さて、

1.去年はホームページを作る仕事を始めてみる

2.自分の絵を売ってみる

 

なんて書いてました…

目標を立てて、それを実現するの、やはり大変ですねぇ…

どっちもできていない…「勢い」大事ですねぇ。

 

1.頼まれて人様のホームページ作ってましたけど、

  「仕事」というほどでもない。(一応お金いただいてます)

  モノ作っていて、中途半端な状態で満足してしまったのね。

  「ホームページ作ります」の宣伝していない…

  まずは、宣伝用のホームページ作るべし。

  ・このブログを書いたら、すぐに、レンタルサーバの契約する。

  ・遅くとも2月末ぐらいまでには宣伝用ページ作る。

 

2.何枚ぐらいの絵が並んでいたら、「お店」になるのですかね?

  イマイチ、イメージが無い。

  と言いますか、最近何だか絵を描くの楽しくないのよねぇ…

 

  …うまく描こうとしている気がする…ダメだねぇ。

  まずは楽しみましょ。これを今年の目標にしましょ。

 「描いてて楽しー」の気持ちを取り戻さなきゃダメだねぇ。

 

今日、近所の商店街で撮影。

ちょっと楽し。

 

 

カウンセリング ろばみみ」おぎそです。

 

少し前の日ですが、名古屋の松坂屋美術館に

「ヨシタケシンスケ展かもしれない」を見に行ってきました。

 

なんともふざけた名前の展覧会…

 

ヨシタケシンスケさんは絵本作家ですな。

もうぬげない」とか「ねぐせのしくみ」なんて絵本をなぜか買ってしまい、

なんとなくはまってます。

 

名前はふざけた展覧会ですが、展示内容は

マジメ。ふざけた展示もたくさんありますけど。

 

でもねぇ、やはり「ふざけたもの」を作ろうとしたら、

「ふざけて作る」だけではダメなのだなぁ…

と、思わせる展示内容。

 

「どのような内容の絵本を作るか?」

というアイデアスケッチのようなものがたくさん展示されていて、

(原本を拡大してます)

何と言いましょうかねぇ…

いわゆる「マインドマップ」的にアイデアスケッチが

書かれています(描かれています)。

その他、膨大な数のメモ帳に日々描いている、スケッチ。

多分、1000枚以上展示されていたと思う。足元から天井まで届きそうな数のメモ帳…

 

メモ帳は小さいので、美術鑑賞用の単眼鏡・オペラグラス・小さい双眼鏡があると

見やすいかと。

私も小さい双眼鏡を持って、もう一度見に行こうかな、と考えてます。

 

真面目に描いて、所々に絵が入って、楽しく真面目に考えているのだろうなぁ、

というのがひしひしと伝わってきます。

 

絵本作家という事で、子供目線の展示もたくさんあります。

子供の背の高さに合わせて低い位置に展示されているものも、たくさんあって、

その展示に最初は気づいていない大人もいる…私も最初はいくつか見落としてました。

やはり子供の目線と大人の目線は、相当異なるのだろうなぁ、と改めて気づかされます。

絵本作家さんだからこそ思いつく展示方法かもしれません。

 

でも、親子連れで、この展覧会に行くのは、ちょっと大変かもしれません。

展示数が多い!子供は見ているうちにかなり疲れてしまうかもしれません…

大人は一生懸命見ているけど、小さい子はいつの間にかベビーカーで、ぐったり…

ヨシタケシンスケ的風景を会場で見ることができます(笑)。

 

会場のどこかの木製パーティションにいます。

 

入口のあいさつ

 

 

お土産購入

 

名古屋 松坂屋美術館

23年1月15日まで開催。

チケットは、コンビニで購入するほうが良いかもしれません。

(↑公式サイト。サイトの下の方にコンビニでのチケット購入方法の説明があります)

会場で当日券販売はありますが、会場でチケットを買う場合は、早い時間に行く方が

良いです。私は3時ごろに行ったのですが、何とか会場でチケットを買えました。

(購入後、しばらくしたら、当日券は売り切れ)

チケット購入後、入場までしばらく待ち時間もあります。

コンビニで先にチケットを買う方が、会場での待ち時間も少なくて済むかもしれません。

 

 

 

カウンセリング ろばみみ」おぎそです。

 

12月もぼちぼち、半ば過ぎ…

 

1年あっという間ですねぇ…

などと思うのは、「大人になって、トキメキを感じないから…」だそうな。

(from チコちゃんに叱られる)

 

まあ、ぼーっと生きてると、トキメキって感じませんわなぁ…泣。

 

ニュースを見ると、時々、今年を振り返るような話が出てきてましたが、

「ぇ…これ、今年の出来事だったっけ?」とかいうような話があったり。

やはり、結構ぼーっと生きている気がする…

 

さて、この時期になると、私、ヒジョーに苦手なものが街に現れます。

 

これ↓

青色LEDでライトアップ。

 

ライトアップが始まると、トキメキいっぱいで写真を撮っている人が

たくさん現れますけど、私、これがヒジョーにつらい…

 

これ、どうしたら良いのでしょうねぇ…?

 

ライトアップを見てトキメキいっぱいの人と比べて、私がトキメキを感じないのがつらい…

ではなく、青色LEDの光が私、ダメなのですわ…

正直なところ、この写真を見るだけでもつらい気分。

 

上の写真、名古屋の矢場町あたりで撮ってみたのですが、この辺り、

美術館や買い物に行ったときに時々通るのですが、ちょっと帰りが遅くなると、

上の写真のように、キラッキラ♪なわけ。

 

一方、私は…青色LEDの光を見ると、

目の奥が痛い、ズキズキする…

数分経つと、頭まで痛くなってきます、何だかめまいもする…

仕方ないので、わざわざ遠回りして移動…

青色LEDが世に出て、ライトアップに使われるようになって、毎年こんな感じ。

 

実は、部屋の明かりもLED(引っ越した時に、付いてた)で、

ちょっと暗めにしていたりする。で、なるべく明かりは直接見ない。

交換してしまえばいい、と言えばその通りなのですが、部屋のLEDライトをしまっておく

場所も結構なスペースを取ってしまうので、結局あきらめぎみ。

 

こんなふうに「青色LED、ダメ」な人います?

「青色LED?何ともない!」

という人にも、実は何かしらよろしくない影響があるんじゃなかろうか?

と個人的に思ったりもするのですが、どうでしょ?

これ、どうすればいいのでしょ?

 

以前みたいに、部屋は行燈ぶら下げようかねぇ…こんなの。

 

 


やっぱり、イサムノグチ、良いよねぇ。

部屋にぶら下げるには、ちょっとデカいけど。

 

 

 

カウンセリング ろばみみ」おぎそです。

 

 

以前、こんな事を書きました。↓

先日、新聞にこんな記事が載ってました。

2022/11/6 日本経済新聞から

 

写真だけ載せましたけど、簡単に記事の内容を書くと…

・マスクがコミュニケーションを妨げる、「仮面」になっている、と科学者が

 声を上げ始めた。

・マスクをした顔が誰かを認識する能力は上がっていない。

・表情の判別が正確にできなくなっているっぽい。

・道徳意識を高める現象が中国で確認できた…中国の大学の調査だそうです。

 (歩行者の信号無視などが少なかったそうな。マスクの良い影響もあるのね?)

 

ちなみに上の写真の下段に変な顔が写っているが、明治大学で、感情を伝える眼鏡型機器を

考えているそうです。こんなモノ付けたら、顔、余計に分からん…

 

「コロナ流行、そろそろ一年…」で「小さい子にマスクはあまりいい影響を与えないのでは?」という気持ちで書きましたけど、やはり、大人子供関係なしに、あまり

良い影響ないと思いますよ…マスク…。

 

そろそろ、外すしかないんじゃないの?と個人的に思ってます。

皆が真面目にマスク付けても、日本では、最近また、コロナ感染増え始めているような事

ニュースで言ってますし…どこまでマスクの効果あるんじゃろ?とは言え、マスクに感染を防ぐ効果が無いとは、言えないですし…

 

とりあえず、「表情の判断が正確にできなくなっている」という研究結果は、ちょっと怖い。

「マスク越しだから、当然でしょ」と言ってしまえば、その通りかもしれませんけど、

私が「大丈夫かな?」と思うのは、やはり「小さい子」なのである。

 

マスクを外せば、大人は表情を読み取ることはできると思います。

でも、生まれた時には、既に周りはマスクをした人ばかり、ここ数年の間に生まれた子は、

果たして、人々がマスクを外した時に、人の表情から感情を

読み取ることができるのでしょうか??

数年後に「人の表情から感情を読み取ることが苦手な小学生が多い」などという、

嫌なニュースが流れなければいいですけど。


個人的な話ですが、私は人の顔を覚えるのが苦手で。

(「相貌失認」というほどではないと思いますけど。でも、学生の頃、1年経っても、名前と

顔が一致しない人が何人もいたり…)

皆がマスクするようになってから、更に人の顔が覚えられぬ…ヒジョーに嫌な気分である。


 

 

 

カウンセリング ろばみみ」おぎそです。

 

最近、妙なニュース?がいろいろ気になってます…

 

「Z世代 タイムパフォーマンスを重視する」

タイムパフォーマンスって、何?初めて聞く言葉でした。

(Z世代の人にとっては、「タイムパフォーマンス」という言葉は普通なのですかね?)

 

タイムパフォーマンスって何ぞ?

 

かけた時間に対する満足度が大きさ→「満足度が大きい→タイムパフォーマンスが高い」

という事のようですね。

 

仕事で、上のような事を重視するのは何となく分かりますけど、

私が、「これはどうよ?」と思ったのが、日常においても

「タイムパフォーマンス」重視で書かれていた例。
 

聞いたこともある人もいるかもしれませんけど、

・映画を倍速で見てみる→こうする一つの理由:情報を他人と共有するため

 (他人が見ている映画を、自分が見ていないと会話に困る、とか)

・1日1ページ読むだけで、365の教養が身に付く本…?みたいな、

 (これって、教養というより、雑学じゃない?この本を書いた人の「教養」とは何?)

 多分、365ページ目を読んだときには、1ページ目に書いてあること忘れてる。

・忙しい時でも、美味しいものが食べたい!

 →わかる。でも、店で、ご飯食べながらスマホ見ているの、美しくないよね…

 美味しいお店は、ネットで検索。ハズレの店は行きたくない。美味しくないお店に

 行くのは時間の無駄!皆がおいしいという店は、きっと美味しい!

 →料理を食べているというより、「情報を食べている」ような気になりませんか?

  皆がおいしいと言う…あなたは、どう感じた?ホントは何を食べたい?

  食べログを見て、自分が食べたいものが何だったのか、忘れていません?

 

何と言いますか、私が時代遅れなのでしょうけど、

上に書いたような事、「時間の使い方が『薄い』」ように感じてしまう。

このように思うのは、私だけか?

 

ゆったり、ちょっと贅沢な気分に浸ってみるのが、私は幸せ。

一本の映画を見る時間で、2本の映画を「取り込んで」も私は幸せな気分になれない…

きっと、古い人間なのね。

 

重要ではない事を、手早く済ませて、重要な事に時間を使いたい、

という意見は分かるのですが、上のような行為、

一体、何を大切にしているのだろう????

と、クエスチョンマーク連発で、質問したくなってしまうのです。

 

「それで、心は、どれだけ豊かになった?」と。

 

誰が、こうしたのかは分かりませんが、ゆったりする時間を

誰かに、こっそりと「搾取」されているだけではないのか???

 

日常は、時間をゆったり使う事が、大事では、と私は思います。

私は映画を倍速で見て「1本分の映画を見る時間で、2本の映画が見れた♪」とは

思えぬ…。

人が見た映画を見ていない自分に困るとは思えない。

映画を見て、自分が何を感じたか、それが大事なのでは?と思う。

 

 

次。

 

若い女性の疑問。SNS以前は、どうやって気持ちを共有していたの?

なんて記事がありました。

 

申し訳ないが、「なんて気持ちの悪いお題」の記事だ、と思ってしまいました。

「mixiが流行る前、どうやって気持ちを共有していた?」

「mixi」とは何とも懐かしいモノですが、

記事で書かれている「共有」とは、いったい何の事だ?と不思議な気分になって、

記事を読んでみたのです。

…記事冒頭にこんなことが書いてありました。

・「ランチでこれを食べたよ」

・「道にこんなものが落ちてる」

・「友達とカラオケ中」

…こういうことをSNSで発信することが、「共有」の例に書かれていました…?

これって「気持ちの共有」なのか?

 

ランチで何を食べようが、道に何が落ちていようが、「どうでもいいじゃない?」

と私は思ってしまうのですが、それはさておき、

「SNSが無い時に、どうやって気持ちを共有していたか分からない」

と感じる人がいる事に、恐ろしさを感じました。


「どうやって気持ちを共有?」→会話が基本でしょ?と私は思うのですが…。

人同士の会話が減っているのでしょうか?

 

たしかに会話だけでは、伝わらない気持ちもあるかもしれません。

でもねぇ、「SNS以前、どうやって気持ちを共有していた?」というように

SNSが会話以上に気持ちを共有できるツール、

気持ちが伝わらない事をSNSが補完できるものであるのでしょうか。

 

むしろSNSに頼りすぎて、人の気持ちは伝わりにくくなっているのでは?

と私は思うわけ。

SNSで繋がっていないと、こわい、と思っている人が多いのか?

自分だけ、取り残されている?という感覚でしょうか?

 

そういうわけで、「道にこんなものが落ちている」なんてどうでもいい事さえ

伝え合わなければいけないようになっているのでは?

(お互いに伝えていない事があること、つながっていない事に恐怖を感じている?)

 

「気持ちの共有=お互いに伝えている情報が多い」…が

現在の「気持ちを共有」なのでしょうか???

 

さて、上の2つの事、

「タイムパフォーマンス」「SNSへの依存の強さ」

この2つのモノの影響(かもしれないと私は思っている)で、

ここ数年、変なモノが流行っているのでは?

と私は、思っています…

別の時に、このことを書こうかと思ってますけど、

私が思う「変なモノ」、何だと思います?

これも、気持ちの悪いモノで…

 

カウンセリング ろばみみ」おぎそです。

 

9月も終わり…

 

何だか9月はいろいろな事がありましたねぇ…

 

エリザベス女王が亡くなって、国葬…

安倍さんも国葬…

ロシアは、更に無茶な事をやって、予備役の兵士を動員…さらに戦死者が増えそうだ…

人が亡くなる、戦争拡大…何とも言いようのないニュースが多い。

 

さて、上の話とは少し別の話ですが、

「嫌な事」が自身にいろいろ起きると、こういう行動を取ってしまう人が時々います。

 

「ひたすら我慢しちゃう人」…

 

そういう人に話を聴くと、↓のようなことを言う人が時々おられる。

 

「我慢しないと、人に迷惑をかけるから…」

 

…こんなこと言われると、話を聴いている私がつらいわ…

事情によっては、多少は我慢する必要があることも、世の中ありますが、

何事も限度があるわけ。

 

…ひたすら我慢して、どうなります??

…あなたの体、心、いつまで正常でいられます??

…本当に周りの人、あなたが我慢していないと、迷惑だと感じますか??

 

…ずっとつらい事、嫌な事を我慢して、何を得られますか??

 

つらい時は、「つらい」と言ってしまって、良いのですよ。

と思う。

あなたがひたすら我慢し続けて、誰が幸せでしょうか??

助けてくれる人、きっと見つかります。

 

ところで、どうして「からい」と「つらい」は漢字で書くと

どちらも「辛い(からい)」「辛い(つらい)」と

同じ字を使うのですかね?

上の文では、あえて「つらい」と書きましたけど。

 

 

 

この唐辛子は、私のお気に入り(笑)