念には念を入れておいて助かりました。後半は愚痴ですごめんなさい。 | 本日も曇天雨天なり。こちら北国雨林地帯。

本日も曇天雨天なり。こちら北国雨林地帯。

隙あらば夢中で遊ぶカナダでの生活をつづります。

今日も空はこんな
中粒?の雨がシャーーっと淀みなく降ってきて、叩きつけないけれど濡れるのは早い、そんな朝です。

寒くないけどね。

まだ結果出ませんね、アメリカ大統領選。ニュースでは現大統領が勝利宣言をして、残りの投票は数えるなとトンデモナイ事を言ったという話で持ち切り。この先四年間、国境を広く接する相手国とどんな関係で振り回されるのか息を潜めて見守るのがカナダのスタンスです。前回似たような状況でひっくり返ったゴア対ブッシュJr選でも、完全に結果が出るまで当時のクレチェン首相も鳴りを潜めていたとか。

休みが多いので、学校教育期間の短い(実働7ヶ月足らず)子供たち。学校は元々一年に2学期だけ。一年間継続して教わる時間割ではなく、学期毎に総入れ替えです。今年度はコロナの影響で、短い学期を更に半分にして4期制にして詰め込む授業形態になり、更にその半分の時点で授業時間変更があるので、スケジュールについていけてません。教科数はびっくりするほど少ないんだけど。長女が1科目プラス単位にはなるけど必須科目ではないゆる〜い課外授業(教室で教わる物では無い)が二つ、次女が2科目。

混乱は予期できるし私が把握しきれないので、煩がる子供たちに有無を言わせず、変更の度に食卓に座らせて、私の携帯に誰が何時に登下校するかアラームを設定すると宣言してあります。

「ジブンハナンデモワカッテイル」病のティーンネイジャー達、こういう時の態度が無茶苦茶悪いのですが、一度目も二度目も自分たちが把握したと思っていた時間に誤りがあった(それ見たことか とははっきり言いませんが)上に、スケジュールについて行けず、まず必要な時間に朝起きる事から難しい。

コロナの影響で去年度から水曜日はオンライン授業という刷り込みが出来てしまっていますが今年度は部分的に水曜日も登校時間がある子供たち。長女は学期半ばで週2日だった登校日が毎日に変わり、しかも毎日登校時間はバラバラ。今朝もそのアラーム(と私)に助けられて起床させられた子供たち、二人ともギリギリセーフで家を出られました。

ワカッテイテも行動がついて来ないで、煙たい相手に起きるのも食べるのも移動も助けてもらわないと成り立たない

って、「チョーカッコワルイ」と早く悟って態度直せよコラ

【注】ここからはボヤきなので、長いし、すっ飛ばして下さい。たまにどっかに吐き出さないと身体に悪いんで。

放っておけば?って、よく言われます。

日本ならね、放っておきますが。

放っておかないのは、なぜか。
あ、放っておくのも、やりましたよ。その上で、書いてます。

大人への道程として、自分の世話を自分でする、というのがあり、朝起きるとか、間に合うように身支度を整えるとかが初歩のそれ。日本なら時間を見て家を出る、というのがあって、それも近所の子供たちみんなが同じような事を同じタイミングでやるじゃないですか。少なくとも9年間その訓練を放っておけばできるわけですよ、よほどの問題がない限り、本人の問題で完結出来る。だから放っておくというのが有効手段になる。

時間を見て家を出るから、起きてから食事を摂り身支度を済ませる(順番は人それぞれでしょうが)。日本ならそれはイロハのイですよね。日本ならね。

ここは、イロハのイでさえ、やろうとしても意味がないと言うことになりかねない、というか、なるんです、確実に。日本じゃないから。怠け者は得するけど日常の真面目な努力は報われない事が多い国です、ここは。

前置きしますが、カナダは、私みたいな外国人が、細々とでも国民と変わりなく人間的に暮らしていける、素晴らしい国なんです。国も文化も制度も、それを支える優しさがある。何よりも国が、理想論だけじゃなくて国として実践している。運良く雇用主が良ければ、保障も更に手厚い。社会として制度として環境として、カナダには本当に感謝しています。

でも、教育と子育ては話が別です。

これ、身内にも信じてもらえないことが多いんですけど、

間に合うように通学する件、放っておかない理由の典型的な一例は、

歩ける距離に学校がない場合、自主的に通学したければ公共交通機関を頼るしかないです。なのにまずはバスがまともに運行しません。早すぎたり遅すぎたり運転手が姿くらませたりバスが壊れたりするから、乗れても目的地に到達しないことはしょっちゅうあります。一時間以上早く起きて身支度をして、それだけでも相当な努力なのに、来ないかもしれないバスを待って、車で10分かからない所を上手く行けば45分、酷いときは2時間以上かけて登下校。長女の一番早い授業は朝6:45です。この授業、バスケットボールフィットネスですが最初に取ったのは確か2年前で、実際、初日は自分で5時起きして、着替えとボールと靴と何キロもある教科書と勉強用具と弁当と補食(食べ物は私が用意)を持って、5:30には家を出たのに、乗り継ぐバスが来なくて、散々待って遅刻しそうになって、電話きましたよ。高校になれば小・中学校時代と打って変わって、遅刻すれば成績にも響くし心証も悪くします。
しかも天気が悪い。暗い。

だから、放っておけばいいとか、朝早く起きればいい、親が起こさなきゃ自分でやらざるを得ないだろうとか言われたくないです。実験済みだし絶対それじゃ済まないから。

日本と違い、イロハのスタート地点自体が存在しないってこと。時間を守るとかタイミングを見て判断するということを学ぶ以前の問題なんです。時間に関しては意識の差がありすぎて、日本と同じ次元で話せない。小学校なんか大抵の教師がほぼ毎日出勤時刻には遅刻、退勤時刻には既に居ないですから。それが普通の次元。

さてどうしてそんなにだらしが無いのか。

自主性、自立心、努力に対する誇りも無ければ報いも無いから、だと思います。向上心があって努力しようが、きちんとする心がけをしようが、味わうのは、ほぼ間違いなく失望か虚無感だから。

達成感って、意味があるから得られると思うんです。結果はどうあれ、努力に意味があると思えること。周囲も自身も、その自覚があるということ。

ここは、ほぼ全ての事において勤勉さや努力の報われない国。面倒だとか嫌だとか感じたらやらなくて良い。そのメンタリティが普通なんです。100年前は違ってたと思いますけど。

ここでは、創意工夫とは、お膳立てされた事だけ投げ散らかしてやる事、あるいはインターネットで見て受け売りする事が教育としてまかり通る。自主性や自立心さえ育まれない。新しいことをやる意味とか、努力する意味とか、親が教えたくても教えられないですよ。それって、私自身、煮え湯を飲む思いで認めましたね。

努力を知ってる子は低学年では多いです。育つこと自体に必要ですからね。なのに、学年が進むにつれ、質が低かろうが遅れようがおざなりにやろうが構わないという価値観が刷り込まれる。楽したい子や怠け者は最初から報われるんです。

向上心のある子だったら自然に努力するし、内容も充実させたいと思うでしょう。でも、評価する側はそんなことどうでも良い。努力できる子にも怠けて楽すれば良しと教えれば、楽ですよ。どうすれば向上するか考えさせなければ教えずに済むんだから。

より良くする心がけが無意味だったら、子供も、そんな心がけは詰まらないと気付きますよ。頑張りは無意味と感じる失望が待ってるし、遅れたりおざなりにやった子と同じ評価をされれば、味わうのは喪失感。だからそんな心がけは捨てますよね。才能があって苦労せずに良い結果が出せるとか、やる事自体が本人にとって面白いなら別ですが。

ポテンシャルを伸ばしてやりたいとか活かしてやりたいと思ったら、物凄く繊細に気をつけて、だましだましやる気を燻しておかないと、あっという間に消えてしまい、再点火するのは本人にも不可能に近い。何しろ何事にも自分に伸びしろがあること自体、知らずに育つから。

行いの質が低くて自主性も自立心も無くて褒められてればどうしようもないですよね。伸びることを知らない子供がすぐに出来ます。

じゃあ大人になったら、何が評価の決め手となるかと言えば、コネと金に尽きる。でもコネも金も無い常人はそのままでは満足の行く生活出来ないですよ。

だからやっぱり、質の良い生活をしたかったら、早いうちに無視できない頭角を現してコネを作る必要があるんです。無い袖は振れないけど、注目されてコネを作ることなら出来る。その為には、原動力となるやる気と、努力をする心がけは必ず必要になってくる。

ここはカナダ。その精神性に、当たり前のはずのことが欠落していれば私にも子供たちにもどうしようもない。だから諦めて、向上心を持つこと、努力すること、その達成感があれば努力は無駄じゃないと覚えさせるための手段(習い事とか)を見つけて時間とお金をかける。打たれ弱くてすぐ諦める、何もしないのに不満だけ覚えて自滅する人間には育てたくない。