雨降りに始まり、アメリカ大統領選に終わる火曜日は、途中の内容が濃い日でした。 | 本日も曇天雨天なり。こちら北国雨林地帯。

本日も曇天雨天なり。こちら北国雨林地帯。

隙あらば夢中で遊ぶカナダでの生活をつづります。

昨日と打って変わってザーザー降りで始まったロウアーメインランドの火曜日。
アメリカの大統領選で幕を閉じようとしています。

昼間はいつものようにバタバタ

ハイライトは我が家のマツダ5をオイル交換に出しに行き、ついてきてくれた長女とお茶したことかな。

長女は数学の先生の、投資でお金を増やす話に痛く感銘を受けて、株をやってみたい、お母さん一緒に見ようよと言っているが、「じゃあ、用語とか株の見方とか、イロハを勉強しなきゃね」と言う私に対して憑かれたように先生の言ったことの受け売りを繰り返し主張するだけ。具体的な最初の一歩を考えるように何回促しても駄目。なぜなら全てお膳立てして貰わないと面倒で行動を起こせないから。数回に渡って会話が堂々巡りになって、堂々巡りになっていることを指摘したら、それが気に食わなくて、「これだからお母さんとは何も一緒に出来ない」と投げやりな言葉をぶつけてきて、雲行きが怪しくなった。

今までだったら、そこから全てが崩れるのが普通だったけれども、最近の長女は少し変わった。底無しのエゴの満足感を味わう為なら手段を問わない行動欲求が頭をもたげても、その行為に飽きてきた傾向がある。不毛な事より、少し建設的なことに目を向けると違う方面から欲求を満たせることを覚えたようだ。

というか、今までは、何事も、破壊的になる方が簡単で楽に充足感を得られていた。しかし私が病気になったことと、欲求を満たせる事柄が年齢と共に多様になるにつれ、破壊的な事を建設的な事とすり替えた方が実は欲求も満たされる上に自分に都合よく収まる事がやっと分かってきたんじゃないかと思う。

手に入れたい物が具体的かつ多様であればあるほど、到達すれば明白な充足感を多く味わえる。破壊的になれば、その妨げになるし、自暴自棄にただ相手を煩わす事で得られる充足感よりもずっと質が上である。

長女のその自覚は私にとって天からの贈り物。そちらに意識を向けさせる事ができる。今日も実際、会話を持ち直し、一緒に用語や株の読み方を見る事が出来た。

これって大進歩。

これから、どんどん、楽になると良いなあ〜