かじが教えてくれた希望と、コットンが残してくれた時間
2025年8月。
我が家の愛猫かじが腎不全と診断され、獣医師から余命3か月と告げられた。
突然の宣告に大きなショックを受けた。でも、かじは毎日皮下点滴を続けながら、その予想を大きく超えて生きてくれた。2026年になっても元気な姿を見せてくれている。
だから私は知っていた。
余命宣告は絶対ではないことを。
「厳しい」と言われても、その先の時間が残されていることがあることを。
だからこそ、コットンの病気が分かった時も、どこかで同じ希望を持っていた。
2026年6月。
コットンは胆管閉塞(胆管の詰まり)と診断され、その後肺にも腫瘍が見つかった。
手術は難しいと説明を受け、獣医師からは「明日や明後日にどうなってもおかしくない状態です」と言われた。
それでも私は思った。
「かじも余命3か月と言われた。」
「コットンもまだ頑張れるかもしれない。」
それは現実を受け入れていなかったのではなく、実際にかじが見せてくれた希望だった。
それでもコットンの体は少しずつ変化していった。
食欲が落ち、好きだったごはんを食べなくなった。
隠れて過ごす時間が増え、黄疸も全てに現れた。
それでも自分で歩き、自分で居場所を選び、自分のペースで毎日を過ごしていた。
やがて食事はほとんど取れなくなった。
スープを口元に持っていっても顔をそむける。
食べることが難しくなっていった。
6月下旬になると、コットンは歩いても途中で倒れ込むようになった。
数歩進んでは休み、また少し歩く。
体は確実に弱っていた。
それでも水を飲もうとしていた。
水の器へ顔を近づける。
けれど身体を支えられず、顔を器に突っ込んだまま器ごと倒れてしまう。
飲みたい。でも飲めない。そんな状態になっていた。
排泄もトイレの段差が越えられず粗相が増えた。
それでも鳴いて知らせてくれた。
トイレへ行きたい時には声を上げ、連れて行くと排泄してくれた。
最後まで自分で生きようとしていた。
6月20日の夜。
コットンは水を飲まなくなった。
呼びかけには尻尾で返事をしてくれていた。
頭も持ち上げていた。
だから私はまだどこかで思っていた。
「かじみたいに持ち直すかもしれない。」
「朝になったら少し飲むかもしれない。」
でも夜が更けるにつれ、変化は続いた。
尻尾は動かなくなった。
頭も持ち上がらなくなった。
まばたきをしなくなった。
耳も動かなくなった。
手足が冷たくなった。
目は半開きになった。
それでも呼吸は続いていた。
私はずっとそばにいた。
夜の間、コットンは時々声を上げた。
トイレだったのか苦しかったのか呼んでいたのか。
本当の理由は分からないけど、そのたびに駆け寄って撫でた。
コットンが一人ではないことを伝えたかった。
そして最後の時間。
首を伸ばし、口呼吸、痙攣が見られた。
体はもう限界に近づいていた。
それでもコットンは家にいた。
病院ではなく、知らない場所でもなく、いつもの家で。
家族の声を聞きながら。
2026年6月21日午前6時過ぎ。
コットンは静かに旅立った。
15歳だった。
後から振り返ると、獣医師の言葉は正しかったのかもしれない。
でも私は最後まで信じていた。
なぜなら、かじがいたから。
余命3か月と言われながら、その先を生きているかじがいたから。
だから私はコットンにも希望を持った。
その希望は間違いではなかったと思う。
奇跡を期待していたのではなく、コットンを信じていたから。
そしてコットンもまた、最後まで生きることを諦めなかった。
家族のいる場所で生きようとした。
15年間。
コットンは私たち家族の大切な一員だった。
最後まで精一杯生き抜いた。
かじが教えてくれた希望と、コットンが残してくれた時間。
そのどちらも、私にとってかけがえのない宝物になった。
コットン、15年間ありがとう。
本当によく頑張ったね。
