大人の修学旅行 二日目は鹽竈神社へ | cotsplaceのブログ

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2024年1月13日

 

大人の修学旅行と洒落込んで仙台旅に来ています

昨日は、震災遺構荒浜小学校を見学しましたが、今日は塩浜の街をぶらり旅です。

 

仙台駅から千石線に乗ってきて本塩釜駅で下車しました。

 

 

駅前には波のモニュメントがありました、もしや、あの時の・・・・・

 

 

やっぱりそうでした、この石碑を呑むほどの津波がここにも押し寄せたのですね。

 

 

開港場の説明文です

塩竈は、江戸時代に四代藩主伊達綱村の恩典で賑わったが、明治維新で藩の保護を失い、次第に寂れていった。
そこで、戸長(村長)の菊地雄治やまちの有志が村民を説き、寄付金6,000円と家ごとに延べ17人の労働奉仕を決め、明治15年(1882)、国の補助を受けて、築港工事が始められた。
明治18年(1885)、現在の本塩釜駅前付近約17,000平方メートルを埋め立て、現在の壱番館前の南築堤約360m、北築堤約180m、さらに、約1,500mの航路が完成した。
当時の人々は、このあたりを「開港場」と呼び、塩竈築港の第一歩が踏み出された。

 

 

それから約100年後の昭和35年~平成3年(1960~1991)、北浜第一土地区画整理事業により、海面は埋め立てられ、昭和56年(1981)、仙石線の高架複線化工事による本塩釜駅の移転・開業で、本市の中心市街地として生まれ変わった。

 

 

本塩釜駅から塩釜神社に参拝しに行くために歩いて向かいました。

 

 

途中、道に迷ってしまい、Google先生のお世話になりながらもなんとか塩釜神社に到着です。

 

 

塩釜神社は正式には鹽竈神社と書きます

鹽竈神社は、全国にある鹽竈(鹽竃・塩竈・塩竃・塩釜・塩釡)神社の総本社です

 

 

元は当地には鹽竈神社のみが鎮座していましたが、明治時代に志波彦神社が境内に遷座しています。

 

 

塩竈みなと祭のでは、鹽竈神社が祭りの出発点となり、志波彦神社・鹽竈神社の神輿が塩竈市内を練り歩き、御座船を始め約100隻の船を従えて松島湾を巡幸します。

 

 

鹽竈神社は、東北開拓の守護神もであり、多くの初詣客が参拝されます。

 

 

ジュール・ブリュネの描いた塩釜神社が展示されていました。

ジュール・ブリュネは、フランス陸軍の陸軍将校です。
江戸幕府陸軍の近代化を支援する目的で派遣されたフランス軍事顧問団の一員として訪日し、榎本武揚率いる旧幕府軍に参加しています。
ハリウッド映画『ラスト サムライ』のモデルになった人物としても有名です

 

 

鹽竈神社の男坂、202段の石段が見事に描かれていますね。

 

 

さて、202段の石段を一気に登ってしまいましょう。

 

 

はぁ~、はぁ~、ここで一休みさせてください。

振り返れば凄い坂の石段が・・・・・

 

 

上を見たら、まだまだあります、あと少しなので頑張りましょう。

 

 

登り切ったと思ったら・・・・・・・・

 

 

あと少しだけ石段が残っていました。

 

 

鹽竈神社随身門に到達です。

 


「随身」とは,本来天皇・貴族の外出時に警護のために随従した近衛府の官人のことです。
随身姿の守護神像を左右に安置した神社の門を「随身門」と言います。

 

 

菊の御紋(十六弁八重表菊紋)です、皆さんご存じ天皇陛下の紋章ですね。

 

 

 

豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)様と、奇磐間戸神(くしいわまどのかみ)様が祀られていました 
 

 

裏側には、雄と雌の鹿が祀られています。

 

 

先へ進みます。

 

 

四季桜が咲いていました。

 

 

鋳銭釜の説明書きがありました。

お金を作るために鉄や銅を溶かす釜だそうです。

 

 

石巻駅周辺は「鋳銭場」という地名ですが,江戸時代にここで鋳銭していたからです。

仙台藩は領内の銭貨不足を理由に,江戸幕府にしばしば鋳銭を願い出ていました。

 

 

幕府の許可を得て,第2代藩主・伊達忠宗の寛永14年(1637)及び第5代藩主・吉村の享保3年(1728)に銅銭の「寛永通寶」を,同じく吉村の天文4年(1739)及び第7代藩主・重村の明和5年(1768)からは鉄銭の「寛永通寶」を鋳造しています。

 

 

小さな池泉回遊式庭園の御神苑がありました。

 

 

鹽竈の町と海を見下ろすように高い位置にある鹽竈神社ですから、

松島湾を借景にした御神苑からの眺めは絶景ですね。

 

 

志波彦神社にも参拝しましょう。

 

 

志波彦神社は、塩竈地域の守護神でもある農耕の神・志波彦神(シワヒコノカミ)を祀っています

 

 

志波彦神社の次は隣の鹽竈神社へ

 

 

仙台藩4代藩主の伊達綱村の説明書きがありました。
 

 

綱村は13歳ながら自ら政務を執り始め、防風林を設けたり運河を開発するなどの治績で大きな成果を収めました。
元禄8年(1695)からは「元禄の造営」と呼ばれる鹽竈神社の造営を行ったのです。

 

こちらの狛犬さんは、何かに似ていると思いませんか!?!?

 

 

あははっ、なんとなく出川哲郎に似ている狛犬です。

 

 

阿吽のどちらも出川哲郎だ!!

 

コロナ対策でしょうか、最新システムの手水舎です。

 

 

手を近づけると自動で水が出るのです。

 

 

鹽竈神社に参拝します、鹽竈神社は三神を祀っています。

海の守護神であり人々に製塩の方法を伝授した鹽土老翁神(シオツチノオジノカミ)は別宮に祀られています。

戦の神である武甕槌神(タケミカヅチノカミ)と経津主神(フツヌシノカミ)はそれぞれ左宮と右宮に祀られています。

 

 

境内には「撫で牛」がいました。

 

 

牛は撫でるとよくよだれを出すところから、

商売が牛のよだれのように細く長く続くようにと祈願奉納されました。

 

 

撫でると開運や商売繁盛にご利益があるとされています

 

 

コロナの時は撫でることができなかったそうですが、今は自由に撫でられます。

 

 

今年の絵馬が飾られてますね、

帰りは、どちらの参道を通って戻りましょうか。

 

 

戻り道の途中にあるお寿司屋さんでランチするのもいいかもしれません。

お寿司屋さんを探しながら本塩釜駅を目指して歩きます。