昨日からの続きです。
苗木城跡に来ています、いまから頂上の展望台にのぼるところです
展望台に上らなくてもこんな景色が楽しめました。
展望台から見える風景が楽しみですね。
本丸玄関跡を通り過ぎ、いよいよ山頂へ。
大きな岩の上に展望台が作られています。
ここが苗木城の天守閣があったのですね。
自然の巨石に石垣を組み合わせて築城したのでしょう。
鎌倉時代初期に岩村城を本拠地として恵那郡を統治した地頭遠山氏の初代遠山景朝の長男遠山景村が、
仁治2年(1242年)木曽川北部の所領確立のため、木曽川南岸の左岸の西山戸から北岸の那木津戸に進出。
元弘年間(1331~1334年)遠山一雲入道、遠山景長親子が、高森山に砦を築いたのがはじまりだそうです。
そして、天文年間(1532年~1555年)に遠山正廉が高森に苗木城を築きます。
その後、慶長5年(1600年)遠山友政は徳川家康の命を受け苗木城を攻略し、
徳川家康から苗木領を安堵され、後に苗木藩が成立しました。
明治4年(1871年)廃藩置県により苗木藩は廃藩となり、苗木県となっています。
展望台からの眺めが素晴らしいです。
大地を流れる雄大な木曽川が見えてます。
展望台は組木で作られていて、下を見ると怖いです。
ちゃんと手摺があるので安全に景色を見ることが出来ました。
freeWifiが通っているのは有難いですね。
そろそろ下へ降りましょう。
苗木城天守建物の説明書きがありました。
下から見る展望台も凄いです。
帰りは行きと違った道で帰ります。
展望台の木曽川側に降りていく道がありました。
ちょっと急坂だけど大丈夫かな
苗木城跡には巨石がたくさんあります。
天守台南下には「馬洗岩」と呼ばれる大きな岩がありました。
絵図には「この石廻り二十三間弐尺」とあり、周囲約45mの花崗岩質の自然石ですね。
馬洗岩の名の由来
かつて苗木城が敵に攻められ、敵に水の手を切られた時、この岩の上に馬を乗せ、米にて馬を洗い、
水が豊富であるかのように敵を欺いたことから付けられたのだそうです。
眼下に木曽川が見えてます。
石碑もありましたが、何が書かれているのかわかりませんでした。
展望台よりもこちらの方が木曽川の様子が良く見えます
柳原白連歌碑と書かれた木札がありました。
城あとに やかたも人も いまなくて かたるは何ぞ 山鳥の声 白蓮
柳原白蓮は昭和28年5月16日に苗木を訪れたそうです。
昼に苗木城跡に上がり、天守跡で苗木婦人会の方々と軽食を交え、歓談したそうです。
その年の冬、昭和28年12月20日に歌碑が建立されたようです。
あ、見覚えのある場所です。
ここから、さっき頂上の展望台にのぼっていきました。
展望台をぐるりと一周したことになるようです。
下山しようと思ったら・・・・・
すわ~、スズメバチの巣があるようです。
ゆっくりと刺激しないように通り過ぎましょう。
眼下に見えるのは、大矢倉跡です、そこにも立ち寄ります。
大矢倉跡の上に上ってきました。
そこから見る苗木城跡展望台の眺めです。
逆光で黒ずんでしまったのが残念です。
こちらには、北門があったようです。
ここから先もハイキングコースになっているみたいです。
ハイキングすると遠くなってしまうので、大人しく駐車場へ戻ります。