松島のシンボル的観光地 すかし橋を通って「五大堂」へ | cotsplaceのブログ

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2023年5月26日

 

名古屋から朝一番の飛行機でやってきて松島観光をしています。

 

数年前にバスツアーで来た時は、遊覧船に乗り、笹かまぼこを焼いて食べたら、タイムリミットでした。

なので、周囲の観光地を全く立ち寄っていなかったのです。

今回は、松島周辺を歩いて観光してみたいと思います。

 

 

最初に向かったのは、松島のシンボルのひとつでもある「五大堂」です。

 

 

五大堂は、大同年中(807~809)坂上田村麻呂が東征のとき、毘沙門堂を建立しました。

後に慈覚大師円仁が五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれています。

 

 

五大堂に行くには小島を二つ越えるため、橋を三つ渡らなければなりません。

一つ目の橋は、普通の赤い橋ですが、二つ目と三つ目の橋は下の海岸が見通せる「すかし橋」になっています。

 

 

この橋は、江戸時代中期の頃からすかし構造になっていたと云われています。

 

 

五大堂へ参詣する時は、この橋を徒歩で渡る事となるので、

その際に身も心も乱れの無いように足もとをよく見つめて気を引き締めさせる為なのだそうです。

 

 

私も、身も心も乱れの無いように、足もとをよく見つめて、気を引き締めて、渡らせてもらいます。

 

 

橋げたが格子状になっており、渡る時には足下から海が透けてみえます。

とてもスリリングな感じの橋ですが、そんなに怖くはありませんでした。

 

 

すかし橋を二人で渡る時、手を取り合って渡るので「縁結び橋」でもあるようです。

 

 

足元をよくみて注意しながら渡ります。

 

 

渡し板の間隔が広いので、車椅子での利用は難しそうな「すかし橋」でした。

 

 

透かし橋を渡った先には、国の重要文化財に指定されている「五大堂」があります。

 

 

五大堂の始まりは、828年慈覚大師が毘沙門堂があったこの島に、

瑞巌寺の前身となる松島寺を建てたのが始まりとされています。

 

 

五大堂は、松島にある瑞巌寺の管理、所有となっていて「瑞巌寺 五大堂」とも呼ばれています。

臨済宗妙心寺派瑞巌寺の境外仏堂の位置づけになっています。

 

 

現在の建物は、 伊達政宗公が慶長9年(1604)に再建したもので、東北地方現存最古の桃山建築だそうです。

 

 

堂四面の蟇股には方位に従って十二支の彫刻が施されていました。

 

 

一応、全部の方位の写真を撮ってきたけれど・・・・・・

 

 

分かりにくいので、二枚のアップにとどめておきます。

全部ご覧になりたい方は、現地へどうぞ!!

 

 

秘仏とされる五大明王像は、五代藩主吉村が500年ぶりにご開帳した1700年代以降、

33年に一度ずづご開帳されているそうです。

 

 

次回の御開帳は、16年後の2039年8月20日、その時だけ堂内を拝観できるようです。

 

 

世界平和と旅の安全を祈願して、お参りさせてもらいました。

 

 

さてと、透かし橋を渡って戻りましょう。

 

 

五大堂の拝観料は無料ですが、夕方になると五大堂に渡る橋の出入り口が閉じられてしまいます。

 

 

この橋を渡ることが出来るのは、8時頃から17時頃までのようでした。

 

 

やんちゃ坊主と書かれたTシャツ・・・・・

孫に合うサイズならば買いたかったのですが、大きすぎました。

 

 

赤い橋を横から見たらこんな感じです。

すぐ近くに、東日本大震災の慰霊記念碑がありました。

 

 

松島湾に突き出た小島の上に建てられている五大堂は、

東日本大震災の時に津波の被害を辛くも免れたようですね。