中山道を妻籠宿から馬籠宿へ2 昼食は朴葉寿司を | cotsplaceのブログ

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2020年10月3日


妻籠宿から馬籠宿まで、中山道の馬籠峠越えを歩いています。

 

妻籠宿から庚申塚まで歩いてきましたが、まだ3割ほどしか歩いてません。

 

 

後の7割は、峠越えの山道なんですよ。

 

 

きれいに整備された石畳を歩いていきますが、気が付いたことがあるのです。

 

 

それは、中山道を歩いている人は、馬籠から妻籠方面に歩く人は数多く見かけますが、

私のように妻籠から馬籠に向かって歩いている人が非常に少ないんです。

 

 

私の考えは、宿場町を比較した場合、馬籠宿の方が賑わっているので、到着後の楽しみが多いと思ってこのコースにしました

 

 

でも、コース的には登りの距離が長く続くので、歩くには逆の方が楽なのかもしれません。

今更、変更することもできませんが、今から行かれる方はその辺を考慮された方がいいと思います。

 

 

なにせ、牛頭観音が祀られているような場所なんです。

力持ちの黒牛さえも供養しなければならない難所なのですから。

 

 

視界が開けたところから下を見ると、ずいぶんと登ってきた実感が味わえます。

 

 

でも、まだまだ続く、つづら折りの石畳です。

 

 

道端に熊よけの鐘が置かれています。

今年は熊が多いそうで、妻籠と馬籠の中山道に出没はしていないものの、注意が必要とのことでした。

 

 

半分まで、あとひと踏ん張りありますね。

 

 

鐘を鳴らしながら進みます。

 

 

やっと3kmを越えました。

 

 

 

案内板によると、男滝と女滝に行くには、中山道をそれて車道伝いに行く必要がありますね。

行ってみたいけど・・・・帰りのバスが心配なので今回はパスしましょう。

 

 

ここにも庚申碑がありました。

 

 

中山道から川の様子を伺います、滝が見られると嬉しいのですが、

 

 

よく見えませんが、滝らしきものが見えました、男滝でしょうか、

そんな気がしていましたが、違うようですね。

 

 

吉川英治の小説「宮本武蔵」の舞台となった滝だそうで、小説では武蔵とお通の情念の恋の場として登場します。

 

 

また、倉科様伝説も言い伝えられているようです。

 

 

倉科様伝説とは、
松本平の豪族・倉科左衛門尉時元が、豊臣秀吉の関白就任のお祝いに金の鶏をもって上洛する途中、大妻籠宿付近で地元の豪族に襲われ殺害されてしまい、その時のお祝いの品であった金の鶏が女滝に舞い込んでしまいました。

 

 

訃報を知った倉科様の奥方は妻籠の宿まで来て「夫の仇、夫の恨み粟の粒ほど崇れ」と叫び、その祟りのためか滝壺は埋め尽くされてしまいます。

そのため滝壺に舞い込んだ金の鶏は再び悪人共に姿を見られることはなかったそうです。

 

 

集落の人たちはこれこそ倉科様の霊の祟りだと租霊社に倉科様の霊を祀り、山賊に盗まれた品物を木でこしらえ御霊代として祭祀としたのです。

 

 

時間が許せば、男滝と女滝に行き、小説や伝説に思いを馳せるのもいいと思います。

 

 

澄み切った清流にこころも洗われるような気がします。

 

 

この辺りは石畳もなくなり、細い山道といった感じさえしてきます。

 

 

あと4.1kmですか、まだ、半分まで来ていませんね。

 

 

所々で中山道と自動車道が交差しながら進みます。

 

 

でも、標識があるので大丈夫です。

 

 

熊よけの鐘は、もう七つ目です、いくつあるのでしょうね。

 

 

 

湧水がシャワーのようになってます。

 

 

綺麗なオレンジ色のきのこはベニヒガサダケでしょうか、

 

 

苔の中に群生していました。

 

 

中山道も、いよいよ峠の入り口に差し掛かります。

 

 

ここから先は石畳の道になってますね。

 

 

と思ったものの、それは最初だけで、あとは普通の山道になってました。

 

 

小川に沿って中山道が続きます。

 

 

木の下側の土手が川の流れで侵食されて空洞になっていますが、

ところがどっこい木は倒れずに頑張っていました。

 

 

樹木の説明書きがありました。

 

 

椹(さわら)の大樹の説明書きには、

椹は耐水性が高いので風呂桶などに使われるそうです。

この木1本で300個の風呂桶を作ることが出来るのだとか。

 

 

そして、こちらは神居木(かもいぎ)です。

椹の下枝が立ち上がって特異な形になっており、昔から神様や天狗様が腰かけて休む場所とされているようです

 

 

傷つけたり切ったりすると祟りがあると言い伝えられており、杣人はその下を通るのも嫌がりました。

杣人(そまびと)=きこり

 

 

なんとも厳かな雰囲気のある木ですよね~

 

 

たまに、馬籠から歩いてくるハイカーと出会います。

こんにちは~、と軽く挨拶をしてすれ違います。

 

 

湿気が多いのでしょうか、生気のいい苔がびっしりと生えているところもありました。

 

しばらく行くと、開けた場所に何かが見えてきましたよ。

 

 

そこは、一石栃白木改番所跡でした。

白木改番所とは、木曽五木(ひのき・さわら・あすなろ・こうやまき・ねずこ)をはじめ、伐採禁止木の出荷統制をした所です。

 

 

峠は越えていないけれど、距離は半分を超えましたね、ここでお弁当を食べましょうか。

 

 

一石栃白木改番所跡の中に、テーブルと椅子があったので使わせてもらいました。

 

 

お弁当といっても、途中の道の駅で仕入れてきた、朴葉寿司なんですけどね。

 

 

こちらは、大きいのが二つ入っていました。

 

 

酢飯と具材を朴葉で包んでありますが、ご飯が緩く包まれていて美味しいです。

 

 

そしてこちらは、4個入りの朴葉寿司で、今年の新米で作られていると書かれてました。

 

 

新米だからでしょうか、ご飯がしっかり握りすぎのような気がします。

 

 

まるで押し寿司のようになっています。

 

 

どちらも美味しいのですが、私は緩く包まれた方が好みですね。

 

 

一石栃白木改番所跡の近くには、立場茶屋の遺構があり、無料休憩所になっていました。

 

 

こちらで、お弁当を食べてもよかったかな。(食べて良いかは確認してません)

 

 

木製の水盤に湧水が引かれていました。

 

 

公衆トイレをお借りしてから、馬籠峠を目指します。

 

つづく