妻籠宿で手作りの「栗きんとん」を頂きました | cotsplaceのブログ

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2020年10月3日

 

中山道の妻籠宿を散策しています。

 

昨日からの続きになります。

 

 

おいしそうな栗が売られていました、今が旬ですからね~。

焼き栗にしても美味しそうだけど・・・・・そうだ、栗ご飯にしよう!! 

というわけで、二袋お買い上げ~

 

 

お店の人が、自家製の栗きんとんを勧めてきました。

今朝作った自家製の栗きんとんが、ワンコインの100円なのだそうです。

店先で売られているのと同じ栗を使って、作っているそうです。

100円とは驚くほど安いですね~、頂いてみましょうか。

 

 

ラップに包んであって見栄えはいまいちだけど・・・・・

味は遜色有りませんよ、というか、ねっとりとした甘さが無くて上品な美味しさです。

栗粒が残っていて、栗を食べている感じも味わえました。

栗きんとんも見かけによらないですね~

 

 

唐辛子を買おうと別の店を覗くと、猫ちゃんが・・・・・

 

 

ここでも栗を売っていましたが、栗は買ったばかりなので、ここでは唐辛子だけ買いました。

 

 

水車小屋を通りぬけると・・・・・

 

 

高札場がありました。

高札場は、幕府が庶民に対し、禁制や御法度等を掲げて周知させた場所です。
 

 

妻籠宿の北端には「鯉岩」とか、「鯉ヶ岩」と呼ばれる大岩がありました。

 

 

江戸時代に発刊された「木曽路名所絵図」には、

「鯉巖 妻籠宿の北はづれにあり、形鯉に似たるより名に呼ぶ」

と記載されています。

でも鯉の形には見えませんよね~、そのわけは・・・・・

明治24年の濃尾大地震により鯉の頭部分が滑落し現在の様な形状になってしまったそうです。
 

 

でも、それ以外にも諸説あり、

木曽義仲が京都上洛の際、愛妾鞆絵御前(巴御前)と、この大岩の前で別れを惜しんだとか、

鎌倉時代に、1人の武将が合戦に赴く際、この岩の前で許婚と「戦が終わるまで、待っていて欲しい。帰って来たら祝言を挙げよう。」と語り別れを告げた後、勝利して再会を果たし幸せになったとか、

戦国時代、木曽義仲の後裔とされる木曽義昌が妻籠城を築き、徳川方の大軍が攻めかかろうとした際、城方の1人の武将が、この大岩の下に意中の女性を誘い、恋物語をささやいたとか、

ある石工が、この大岩から石材を切り出そうとし、ノミを入れようとしたところ、岩の精霊のものと思われる声が岩の中からしたので、石工は怖くなり逃げ出した事から、何時しか「声岩」と呼ばれるようになったとか、

いろんな説があるようでした。

 

 

熊谷家住宅は、19世紀初頭に建てられた長屋の一部で、左右の建物が建て替えのため取り壊されたことから、

長屋の右半分と左半分が残り、一軒の家として使用されてきたものだそうです。す。

 

 

こうした例は建築学上珍しい貴重な建物なのだそうです。

このため、昭和48年に町で買い上げて復原され、町指定有形文化財として一般に公開されています。

 

 

 

山の中の宿場町なので、片側が斜面になってますね。

 

 

棚に瓢箪がぶら下がっていると思ったら、大きな糸瓜でした。

まだ黄色い花も咲いてますね。

 

 

下嵯峨屋は、当時の庶民の住居を代表する片土間に並列2間取の形式の建物です。

 

 

三軒長屋であったうちの一戸を昭和43年に解体復原したものだそうです。

 

 

妻籠宿に現存する民家では比較的古い形式なのだそうです。

木曽谷の民家としては珍しく柱に桧が使われています。

 

 

囲炉裏や内側に開く窓が時代を感じさせてくれました。

 

 

妻籠宿の古い建物を生かして、お洒落なカフェが営業しています。

 

 

外観は江戸時代ですが・・・・・中はモダンになってますよ。

 

 

だんだんと、観光客も増えてきました。

 

 

私たちは、これから中山道を、江戸時代の旅人になった気分で、隣の馬籠宿まで歩きます。

 

 

駐車場に戻って、栗と唐辛子を車に置いて身軽にしてから、中山道ウォークを始めましょう。

妻籠宿から馬籠宿迄は約8km程度ですが、峠越えなんですよ。

 

では、行ってきま~す。