時代は明治から大正へ まるごと大正、日本大正村 | cotsplaceのブログ

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昨日までは、明治村をご紹介していましたが、

今日は、日本大正村になります。

 

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日本大正村は、明治村のようなテーマパークではなくて、恵那市明智町の街全体が大正村になっています。

 

観光案内所でまち歩きマップをもらい散策しました。

 

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大正路地への入り口です。

橋を渡って大正時代にタイムスリップしに行きます。

 

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黒い板塀の蔵に、白い石畳の路地、いい雰囲気ですね。 

  

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路地の突き当りには絵画館が見えています。 

  

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右手に大正時計店、左手は日本大正村役場です。

 

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役場にご挨拶していきましょう。

 

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今年は、大正でいうと105年になるのですね~。

 

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大正の美女がお出迎えしてくれました。 マネキンですけどね。

 

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芸能人のサイン色紙が、たくさんありますね~。

 

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村長室です。 

村長はご不在でしたが、日本大正村の村長は、・・・・・

 

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竹下景子さんでした~。

 

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こちらは、初代村長の高峰三枝子さんのブロンズ像ですね。

 

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日本大正村の初代議長は、春日野清隆さんでした。

 

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旧三宅家にやってきましたよ。

 

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三宅家は馬木村の有力な農家で、江戸時代の初めには旗本明知遠山家に仕えていましたが、寛文4年(1664)に帰農し馬木村に居を定めました。

  

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レンタル着物を着た美女たちが、カメラマンに写真を撮ってもらっていますね。 青春してますね~。

 

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家の中では囲炉裏に薪がくべられていました。

夏なので暑いと思いましたが、通気性がいいのかそんなに暑く感じませんでした。

 

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住居は元禄元年(1688)に普請されたもので、近世中期の民家の特徴である鳥居建てとなっています。

 

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内部は養蚕のために板の間が拡張され、三間取り(広間型)から四間取り(田の字型)に改造されています

 

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写真は撮り忘れましたが、家の土間の所に厩もありました。

人と馬が一つ屋根の下で一緒に生活するのは珍しいですね。

 

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大正琴も、大正時代に誕生したのですね。

  

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花ハス園では、ピンクの花が綺麗に咲いていました。

 

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ピンクばかりでなく、白い花もあります。 

  

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薔薇園の薔薇は見頃を過ぎていましたが、百合が綺麗に咲いていました。

 

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さらに散策を続け、八王子神社にやってきました。

 

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明智光秀誕生の地の幟がありました。

 

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明智町は明智光秀誕生の地らしいのですが、はっきりしたことは不明で、

他にも、誕生の地を名乗っている自治体があるようです。 

 

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夏祭りの輪くぐり、茅輪神事の輪が用意されていました。

 

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このあたりに、明智光秀手植えの楓があるらしいのですが・・・・

ありました~。

 

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これが明智光秀の手植えの楓になります。

大きく成長していますね。

 

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明智光秀が建立したとされている「柿本人麻呂神社」です。

 

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時間が無かったので、明智城跡まで行けませんでしたが、

大正浪漫の風薫る、日本大正村の散策はいいものですね。

 

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施設のデータ

施設名 日本大正村 ←ホームページ

    明智町主要部が大正村エリアです

住所  岐阜県恵那市明智町456