広重の浮世絵、名所江戸百景にも描かれた、清水観音堂の「月の松」  | cotsplaceのブログ

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歌川広重画 東都名所 上野東叡山全図です。

 

上野東叡山は江戸城の鬼門の位置にあります。

京都の町の鬼門にあたる比叡山に延暦寺が建てられているのにならい、

上野忍が岡の大地を東の比叡山という意味で東叡山と号し寛永寺を建立したようです。

 

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寛永寺の清水観音堂にやってきました。

京都東山の清水寺を模した舞台造りのお堂です。

 

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手水舎で浄めてからお参りします。

 

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秘仏の千手観世音菩薩は撮影禁止でしたので、写真はありません。

 

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びんづる尊者です。

昔からびんずる様の体を触って、その手で自分の体を撫でると病気が治り頭もよくなり節々の痛みも軽くなるといわれて深信仰されているようです。

  

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「月の松」は、明治初期の台風により被害を受けて永らく失われていましたが、浮世絵にも描かれていた代表的な江戸の風景として、平成24年に復元されました。

 

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独特の枝ぶりが特徴の月の松ですね。

江戸の名所を描いた歌川広重の連作浮世絵シリーズ「名所江戸百景」には「上野山内月のまつ」「上野清水堂不忍ノ池」の2枚に描かれています。

 

横には、月のうさぎの願い玉を放る所がありました。

下の器の中へ願い玉を投げ入れます。 

 

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月の松の輪の中には不忍池辯天堂がすっぽり入っていますね。

歌川広重も、月の松を通してこの風景をみていたのでしょうか。

 

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清水観音堂の近くには、「時忘れじの塔」がありました。

 

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塔に刻まれていた言葉です。

 

関東大震災(大正十二年)・東京大空襲(昭和二十年)

東京にも、現在からは想像もできない悲しい歴史があります。

今、緑美しい上野の山を行き交う人々に、そのような出来事を

思い起こしてもらうとともに、平和な時代へと時をつなげる心の

目印として、この時計台を寄贈しました。

建立寄贈 初代 林家三平妻 海老名香葉子   建立有志一同

 デザイン 有原誠治   彫刻 本多正直

 石工 株式会社アイエム 水上逸朗

 

初代 林家三平の妻でエッセイストの海老名香葉子さん達が建立したのですね。

 

 

 

イストの海老名香葉子さん達が建立したのですね。