青春18きっぷの日帰り旅行 金沢 Vol.12 敦賀駅 | cotsplaceのブログ

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2017年4月9日

2017年春の青春18きっぷを使い切るために金沢観光しています。

 

金沢市内をぐるっと観光していたら、時計が16時を回っています。

そろそろ帰りの時間ですね。

 

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帰りの電車は、16時31分発の敦賀行きに乗ります

敦賀で連絡電車の待ち時間があるため、夕食は敦賀ラーメンでも食べましょう。

  

この後の、17時15分発の福井行きの方が、電車の連絡がいいのですが、連絡が良すぎて、夕食を食べる時間が取れないんですよね。

 

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で・・・19時6分に敦賀に到着です。

なんと、2時間35分もかかっちやいました。

 

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次の電車は、19時52分発の米原行きになります。

待ち時間は46分間・・・・・

どこで敦賀ラーメンを食べましょうかねぇ~

 

天井から新幹線がぶら下がっています。

敦賀にはまだ北陸新幹線は来ていないのですが、

盛り上がっているようですね。

 

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地下通路を通って改札へ向かいます。

 

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「鉄路のはじまりは敦賀から」の顔出しパネルがありました。

 

明治15年に敦賀に鉄道が敷設されました。

日本海側で初めて鉄道が通った町になるそうです。

 

欧亜国際列車も走っていた!?!?

「欧亜国際連絡列車」とは・・・・

この列車は日本の国内鉄道(東京~敦賀)と、日本海を渡る船(敦賀~ウラジオストック)、そしてシベリア鉄道を連絡して、東京~ヨーロッパを結ぶ経路を形成して、共通の切符が発行されていました。

(東京で終点のパリまでの切符を買う事が可能な路線でした)

 

1940年(第二次世界大戦が本格化する頃)まで列車は運行されていたようです。

日本が1932年に国際連盟脱退を宣言した松岡洋右一行の往復もこの経路を利用したそうです。

当時の船舶では約40日かかった東京~パリ間を17日間で結ぶ経路だったのです。

 

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1940年に杉原千畝の「命のビザ」を持ったユダヤ人難民が、シベリア鉄道経由で敦賀港に上陸し、敦賀から列車で横浜や神戸へ、そしてアメリカへと逃れました。

戦前は、敦賀がヨーロッパへの玄関口だったようですね

 

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敦賀ラーメンを食べようと駅周辺を探しましたが・・・・

居酒屋はたくさんあるけれど、ラーメン屋さんが無いのです。

国道8号線まで歩いていく時間はないので、諦めて駅構内の蕎麦屋さんへ・・・・

 

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おろしそばも気になっていましたが、

肉そばの写真が旨そうだったので・・・・

 

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注文してから出てくるまでが早いですね、早くても、最近の駅そばは美味しくなったと思います。

 

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電車旅の帰りは、お酒は飲むことが出来ません、駅から車なんですよ。

  

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改札を入って・・・・・あれれ!!来た時と雰囲気が違います。

 

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少し都会的になっていました。

 

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でも、特急列車の編成案内はランプ点灯のアナログ式ですね。

 

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こんな案内も、新幹線が来ると無くなってしまうのが残念です。

 

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特急を待っている福井行きの普通電車です。

 

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私が乗るのは、19時52分発の米原行きです。

 

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やってきましたよ、米原行きの普通電車が、

 

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ローカル線は空いているのが有難いです。

東海道線だと、座れる確率がぐっと下がりますからね。

 

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米原までの50分間は電車に揺られて、お休みタイムと致します。

 

米原で乗り換えて、垂井到着予定が21時30分、

この日の長い一日が終わろうとしています。

 

春の青春18きっぷの乗り修めとなった「金沢旅」も充実していました。

 

次回の青春18きっぷは7月20日からですが・・・・

行けるところは行き尽したし、どうしたものか思案中です。

 

金沢旅、おしまい!!

 

 

 

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