ランズベルギスの夕べ。 | when in doubt, castle.

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フリーランス編集者による、日々の備忘録。タイトルはカート・ヴォネガットのパパの言葉から拝借。           曰く「迷った時は、一か八かの勝負に出ろ!」


昨日、写真家・若木信吾さんのお招きにより、
リトアニアの音楽家・政治家ヴィータウタス・ランズベルギス
ピアノコンサートに行ってきました。


『エスクァイア日本版』の「クラシック音楽特集」の取材で、
若木さんとフィンランド・ロシア・リトアニアを旅したのが2006年の初夏。


その当時から若木さんは、
「ランズベルギスが書いたチュルリョーニスの訳書を出版したい」
と仰っており、首都ヴィリニュスまでの旅は、
出版の許諾を取るミッションを抱えてもいたわけです。
(その模様が載っている『エスクァイア日本版』2006年9月号は、
 Amazonのマーケットプライスで、最安値が¥1,692!)


3年ぶりに再会したランズベルギスは、
ちょっと腰が曲がって老け込んだ印象。
しかし、ユーモアたっぷりのコメントを差し挟みながら、
チュルリョーニスのピアノ作品を存分に聴かせてくれました。


せっかくなので、以下に、当時僕が書いたコラム記事を転載。


「リトアニアの人々にとってチュルリョーニスとは、ただ単に『ユニークな才能を持った芸術家』という存在にはとどまりません。優れた小説家・評論家であり、将来を考える優秀な頭脳を持った社会活動家でもありました。彼の存在抜きには、リトアニアの民族文化を考えることは不可能だといえます」
 物静かにそう語るのは、ヴィータウタス・ランズベルギス。ピアニストであり音楽評論家でもある一方で、’91年、祖国をソ連から独立させることに成功し、その後リトアニアの国家元首として活躍した、世界現代史における英雄のひとりである。
「ヴィリニュスの音楽院をピアニストとして卒業した後、私は、音楽理論や歴史の勉強を始めました。その頃に研究対象としてチュルリョーニスを取り上げ、手書きの楽譜を解読したり、未発表曲を演奏するうちに、彼の特徴を理解できるようになりました。紙に書かれた音楽と、実際に聞こえてくる音楽との間にある関係性を正確に捉えることは、その作曲家の人間性を理解する上で、非常に重要なことなのです」
 ところで、ランズベルギス自らが演奏したチュルリョーニスの調べは、ある映画の中でも聴くことができる。
「日本を題材にしたソクーロフ監督の『オリエンタル・エレジー』で、私の演奏が使用されています。あと、我が同胞であるジョナス・メカスの『リトアニアへの旅の追憶』でもピアノを弾いています。メカスとはいまでも連絡を取り合っていますよ」
 

若木さんの情熱は、『チュルリョーニスの時代』として今年ついに成就。
(日本版のみ、メカスによる序文あり)


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写真は、『チュルリョーニスの時代』を
翻訳・執筆をご担当なさった佐藤泰一さんが
ご病気中でコンサートに来られなかった為、
彼の為にサインをもらう若木さん。


僭越ながら、僕としても
「ミッションコンプリート」な気分にさせられた夜でした。


若木さん、お疲れさまでした!