高校生の頃の話 | MUSIC ASSEMBLY

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作曲・編曲家、深川甫の日常や感じたことをひとまとまり

みなさまこんにちは。
毎度ながら久しぶりの更新です。

毎日寒い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか?



昨日、高校時代(1年生)担任の釋(しゃく)先生が上京されているとのことで急遽同級生・山口氏が一席設けてくれました。
同級生も先生も卒業以来、会うのは12年ぶりでしょうか。


1年生の頃なので今の年齢の半分の頃からお世話になっていた先生。
今は教職の現場からは退いておられるのですが、知的でありながら自然体で飾らない感じは当時のままで、改めて尊敬できる素晴らしい先生です。何よりお元気そうで本当に嬉しかった。



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さて、久しぶりに同級生の山口氏に会って色々と思い出したので高校生の頃のことを書いてみようと思う。



高校に入学した一番最初の席が隣だった山口氏は自他ともに認めるいわゆるクラスのムードメーカーだったのであるが、何せ声が大きい。昨日12年ぶりにあってもやはり声が大きいw
そして当時から相変わらず笑いには人一倍厳しいのである。
もちろん釋先生のモノマネは真似されている先生御本人も他の先生も笑ってしまうほどの皆が認める高い完成度を誇っており、彼のテッパンネタであった。

入学当時はその濃いキャラクターに圧倒されたのであるが、今思えば彼の明るく社交的で豪快な性格と堂々とした雰囲気、そして男らしい優しさに随分と助けられたものである。

が、その一方で彼が私の隣であったために、授業中良く話しかけられた。
もちろん授業中だろうと声がデカイので、当然よく一緒に注意されることとなってしまったものである。特に古典の授業ではよく怒られたと記憶している。


更に、そんな彼が隣であったことも手伝って、元々得意ではなかった数学が一年生の最初の段階でさっぱりわからなくなってしまった。。。。


断っておくが、もちろん彼のせいでそうなったとは思っていない。自分の責任であることは自覚している。
ともあれそんな毎日は楽しかったし、幸いなことに音大に進むと決めていた自分の受験科目に数学はなかったのでそこは問題なかった。ただ、進学校であったために受験をにらんだ毎回の試験問題はレベルが高く、当時の僕にとっては卒業できる点数を取ることも決して容易ではなかった。点数のグラフを書けば、その線は、文字通り地を這ったような、いや、地中に潜ったものになるのは恥ずかしい限りである。


昨日会ったときこの話をすると彼は爆笑していた(- -;)
釋先生には『それは席が不幸だったな~』といわれる始末である。


一方の彼は、あれだけ人に話しかけてきていたのに、その後しっかりと理系に進み現在では国の第一線で活躍する人間になっていた。お茶目な彼は、先日までいたタイにすっかり魅了されて『今、タイパブの社長をやっている』とかテキトーなことを真顔で言いながら、なかなかすんなりと今の仕事を教えてくれなかったがそこが彼の魅力なのである。昔から実は真面目で努力家であったのは感じていたので立派になっている事自体には驚かなかったが、僕の中では高校当時のイメージのままであるので、活躍しているフィールドを聞くとやはり驚かずにはいられなかった。


なぜか高校当時から先生と絶妙なコンビネーションであった山口氏が並ぶ姿は一気に当時のクラスの雰囲気を思い出させてくれた。が12年経って交わされる会話は実に幅広く、クラスメイトの近況から今現在の日本・世界の社会情勢やそれに関する現場の生の声など至るまで多岐に及んだ。同時に、自分自身が常日頃からいかに不勉強であったかということも感じずにはいられなかったのであるが、改めてそういう同級生が数多くいることを心強く感じつつ大きな刺激をもらった夜であった。

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