何か得られればいいけど・・・ | コスモスの心

コスモスの心

自分の中の 神様を信じて・・・思いのままを綴りたい。

4月になってしまいましたが、
一年の1/4過ぎたことになります。
そう考えると早いような気がします。

激動?の年と言われていますが、
さすが家庭連合は内外共に、揺れに揺れ、
周りも揺ぶっているのですね。

「信仰の自由と人権」ということで、
地域や社会的に差別に似たようなことをされてしまっては、
裁判したくなるのも、致し方ないかもしれません。

別に家庭連合のため?というわけではなく、
やはり国、社会での公的機関の受け入れをしないというのは、
よくないことだとは思います。

どこかの市長さんが言っていましたが、
その市民であれば、宗教であっても、
何かの団体に呼ばれれば行くし、
祝辞を述べてほしいと言われれば述べ・・・
そんなことを言っていましたよね。

当たり前の立場なんですが、これってすごいことです。
信仰者とて、こんなこと言えません。
(自分と違う団体とか分派とて、突き飛ばしてメタメタにする家庭連合ですから)

今は家庭連合も、昔より地に落ちています。
お父様(文鮮明創始者)は、すでに霊界に行きましたし、
そのせいか、悪徳幹部達はやりたい放題です。
それと共にメンバーの質もより一層落ちたということです。

確かに40年・30年前は、
霊感商法だの、珍味売りだの、さまざまな経済復帰がありましたが、
メンバー達はたくましかったですよ。
私も若かりし頃、よくやったと自分を褒めてあげたいです。
(嫌なこともあったけど、私個人においては、得ることがたくさんあったね。こんな経験は普通にはできませんから)

まぁ、純粋だったのかもしれませんし、
自分のためにも成長させられていたようだし、
おかしなことは考えもしませんでした。

経済復帰は、必要ですから、
大学留年してでも何かしても、おかしなことでもないです。
他の宗教などは、当たり前にしてますからね。
(確かモルモン教。ここはもっとすごいことしてて、私は偉いと思いました)
アメリカは大学時代に一・二年留年して、
何かをやるのは当たり前に近く、そして多いらしいです。
(社会人になったら、まとめて休みを取るのは無理なので、大学時代にやらなければならないことや、やりたいことをするらしいです)
日本人には、こういう観点があまりないので、
つまずく人もいることはいます。

何書いてるのか、わからなくなって来ましたが、
「宗教の時代」は終わった?
役目を果たさず投げた?ような感じですが、
いろんなところで訴えるのも、
どうかぁと思います。

ジブリのぽんぽこたぬきの
「赤勝て、白勝て、どっちも負けろ!」のような気がします。
裁判して、何か得られればいいけど、
日本の司法はどこまで、味方してくれるでしょうか・・・








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