異端のTourism Doctrine

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随想夜伽『自信なんかあるわきゃぁない』

随想夜伽 『自信なんかあるわきゃぁない』

 

 

自信というものには常に裏付けが伴って然りであって、裏付けの伴わないものは過信とおかれるのが広義の解釈である。さてでは昨日わたしの書いた原稿にこれを当て嵌めて解釈を試みてみよう。

 

いやいや待て待て。どこに自信の迸りが覗えるというのか。仕事人としての矜持、姿勢、発露は覗えるが自信があるとは書いてはいない。当たり前である。自信を担保し得る裏付けなどこれっぽっち無いのである。一度たりとも、最終選考はおろか、二次選考一次選考すら通ったことは無い。そのような箸にも棒にも掛からぬレベルのわたしがいったい自らの何に自信が持てるというのだろう。

 

自信を持つという事と、姿勢と信念を保つという事を混同すべきではない。また、精励恪勤、一つ物事に打ち込む姿勢と過信を同義とするような浅薄なる読み方は自らの読解力の凡庸さを広宣、流布するに通じてくる。気をつけたいものである。

 

因みにだ……一つ知っておいてもらえると有難いのだが、四方やわたしが自らの書くものを「私の文学が……」であり、「私の純文学が……」と遣り出したら注意である。

2021年を契機としてわたしは自分の書くものを「文学」、「純文学」と謳うことをやめている。これは学問への敬意だ。

学問を修めた人たちへの敬意だ。

 

これを修めていない者であるわたしは、それを修めた然るべき人々からのお墨付きを頂くまでは棚上げしておかなくばならない言葉であり、それを使うほど過信も不遜も、自惚れも持っていないのである。

これは謙虚ではない。わたしの信念だ。

そしてわたしはこれに自信を持っている。いつか必ず「世一の文学は……」、「世一の純文学は……」そう言わせしめるであろうことに。

 

 

小説 『傲灥GOSEN』だってさ、どれだけ戦えるかなんて自信なんか無いよぉ。ただ、4月からここまでの「フェーズ」の肌感は、あゝ~読める人たちに読んでもらえて良かったという事でしかない。とてもじゃないけど自信なんか持てるわけがないのだわ。わたし…気は小さいのだわ(笑)蚤のように。
だって毎日((((;゚Д゚))))ガクブルしているもんね。
通して・・・通して・・・お願いだから通してって。

眠れないよ。毎日。二時間おきに目が覚める。

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