東京スクーリング 倫理学概論 身につまされる生命倫理 | あひるさんの40歳から日大通信で哲学を学ぼう日記

あひるさんの40歳から日大通信で哲学を学ぼう日記

高校時代に諦めた「哲学を学びたい」気持ちが忘れがたく
2022年春から日本大学通信教育部で学習開始しました。
文理学部 哲学専攻です。

知識もさることながら新しい人の輪や体験ができればと思います。
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こんにちは、あひるさんです。


いま東京スクーリングからの帰りです。新幹線です。週末が終わって、明日からまた仕事なのが辛すぎます笑。


土日と、倫理学概論の講義を受け、修了試験も受けてきました。もうね、手首がやばいです。A3の用紙を表裏埋めるわけですからね。埋めまではいかないけれど、1.3枚分くらいですね。今回は時計すら見なかったです。自分字が小さいので、それで1時間シャカリキになってもそれしか埋まらないです。先生に「腱鞘炎にならない?大丈夫?」って声までかけられてしまった。実際今も痛いです。


くだらない話はいいとして、この2日間の感想を。


今回の倫理学概論、テーマは生命倫理でした。2日間、ひたすら生命倫理的なトピックスについて語られ続けました。


いやー、身につまされるトピックスが多くて。どのネタでも最終試験書けたんじゃないか。


どんな話だったか。ほんといろいろですよ。ヒトゲノムの話、人工授精や精子バンク、デザイナーベビーの話、代理母や選択的シングルマザーの話、出生前診断や中絶の話、脳死や臓器移植、安楽死や終末期医療の話、老化や認知症の話など。


18-22歳のリアル学生さんにはお勉強として受けとめられるかもしれませんけど、40代半ばを迎えつつある自分にとってはどの話も身近で起きていることだったり、過去乗り越えてきた話だったりします。時に胸が潰れる思いで聞いてましたよ。


例えば出生前診断ですよ。これだって自分身につまされる話がある。何を隠そうニンさんは生まれてくる1ヶ月前、エコーで「小脳何かあるかもしれません」って産科で言われたんです。


義理の父がALSでして、その当時すでに寝たきりで目しか動かなかった。ALSと小脳は直接リンクするのかどうか知りませんけれど、そんな話を出産の1ヶ月前にいきなり聞いたらどうなるか。もう大変でした。


結果としては何もなかったんです。たまたまその時のエコー診断で映りが悪かっただけで。生まれてからあちこち大学病院行って、まだ首も座ってないのに検査かけまくることになりました。おかげさまで何にも問題がないことがどんどん分かって結果オーライでしたけれど。


でも、最初聞いた時は覚悟しました。もう中絶できる月数でもない。義理の父がこうだから、これもありうるかもしれないとか、そもそも自分が不摂生だったのがいけなかったのかとか、めちゃくちゃ考えましたね。自分はまだ理性的に対応していたと思いますが。これ以上は言わないです。いやまあしばらく大変でした。


言ったら悪いのですが、やはり自分は結婚も子供持つのも早くしたいと思っていました。その理由の一つは申し訳ないけれど健常な確率云々という意識もありました。


それで、未遂でもこれなのでね。実際に出生前診断で何か言われたらどうなるかなんて、考えるだに恐ろしい。講義の中で、出生前診断は気軽に受けるもんじゃないという話を聞いて、当時のことが鮮明に思い出されました。


ALSの話しましたけれど、家族親戚友人まで入れたら、身につまされることはたくさんある。ダウン症やらその他先天性の障害、何なら医療事故、後天的な事故、いくらでもあります。


義理の父は自分結婚した時にはALSですでに喋れなかった。義理の母親の母親は、年齢も年齢になったのでと自宅に連れてきたら急速に認知症が進んで亡くなった。連れてきたのは良かったのか悔やまれる。


従兄弟の1人は最近両腕の筋力がなくなってしまい、以前のように仕事ができなくなった。伯母は聡明で活発な人だったけれどアルツハイマーになって見る影もないと聞いた。親族が多いので、帰省するたびに誰かが病気になったり身の上の何かがある。みんな歳とるから仕方ないけれど。


本当に本当に自分の身の上に起きているとは言えないから、これから言うのは不遜かもわからない。けれど、これらの話を聞いて一つ感じるのはみんな不運ではあるし、不便なことはあるが、不幸ではない」こと。おそらく。


五体満足だったからって、幸せかと言えば、もうよく分からないですよ。円満かと思ったら離婚されたりもするし、仕事で人間扱いされないとか、パワハラ受けたりしていたら、生きていること自体が地獄に感じられたりするだろう。


普通に生活していたって一寸先は闇。毎日毎日児童学生が車にはねられるニュース出ていますよね。携帯見ていた壮年かアクセル踏み間違いの高齢者の車に突っ込まれ、軽自動車乗っていた人が一瞬でペシャンコになって、日々死んでいっている。これが現実。


最近、実家の隣の家は火事で全焼してしまった。以前にも話した通り、同じ課の先輩は金曜夜に気持ちよくお酒飲んだのに、次の週明けに急逝されたりするんだから。


暗い話ばかりですみません。ともかく一寸先は闇ってことだし、人間はかくも弱いもので、社会に依存しないと生きていけないものなんだということを再認識した次第。


ちょっと話変わるけれど、社会には寛容さが必要。家族の形も、倫理も幸福も、自分たちが思いもしなかった形がありうる。


出自とかさ、家族の形とか関係なくてさ。いま現にこの世にいる人たちが、ちゃんと世の中で居場所持てて、大事に扱われていたら、それより望むものなんてないんじゃないかな。


プラグマティズムよろしく、古い習慣ばかりにしがみついたらいけない。自分が理解できないものをバサッとやっちゃあいかんのです。時代は変わっているのだから。


おっ、ボブ・ディランだ。"The Times They Are A-Changin'"(時代は変わる)だな。

僕はボブ・ディランではなくサイモン&ガーファンクルで育ったので、こっちの方が馴染みあるな。ボブ・ディランのような凄みや緊張感がないとは言われるが。

すみません、今日は疲れて頭あんまり回ってません。。


楽しかった土日は終わり。また仕事が待っているわけであります。


はー、来週のかもしゅう(科目修得試験)は無理だな。。今回はさすがに何もやらなさすぎてパス濃厚です。