こんにちは、あひるさんです。


なかなか梅雨がこないと思っていたら、いよいよ天気予報に梅雨前線がずっと居すわるようになった。6月ももう下旬ですね。


時系列的には逆転しますが、東京スクーリングの前週、卒論指導の先生とのセッションを持ちました。今回はその話を。


前回セッションの最後に次回の時間を機械的に決めた。こうやって期日を作るのはいいことですね。


前回の卒論指導の際の宿題は、アウトラインを作ることでした。


元々のストーリーはエリート主義批判をケア倫理の文脈でやることだったのですが、何かそれだと面白くないように感じる、というのが前回の相談内容。


それが面白くないと感じるようになったのは、岡野先生の本『ケアの倫理──フェミニズムの政治思想』を読んだことが大きかった。


けれども、「だから、何なのか?」「では、何を面白いと考えるのか?」「結局何をするのか?」、これが自分でもまとまらないし、うまく言語化できなかった。


ということで、岡野先生の講演会に参加してみたら?というアドバイスをいただき、そのあとトロント先生の講演会にまで繋がることができたわけです。


そういうものにも触れながら、自分の問題意識ややりたいことを考えてみるといい、というアドバイスだったわけです。


で、まぁそこからウンウン悩み続け、卒論検討のノートにグジャグジャ書きまくりました。こういう作業はやっぱり紙がいいですね。自分はPCや携帯の真っ白なキャンバスを見ると、思考停止してしまう。


作法としては、「問題は何か」「自分の主張は何か」「そう主張する根拠は何か」を書くことです、と卒論指導本には書いてある。


しかし、この建て付けで考えようとしても、どうにも出てこず、困りました。「問題は?」「主張は?」とぶつ切りに論理的に自分の頭に迫ってみても、自分の頭が萎縮してしまう。たぶんこれは、自分という人間があんまり論理に明るくないからなんだろうと思う。自分、論理的ではなく感覚的だから、感覚的につかめないと前に進めない。


6月頭から10日くらいまで、毎日悶々とし続けました。いよいよ今日やらないとという日曜日、「だったら!」と思って、「問題」「主張」などは気にせず自分は何をどう考えているのか、ウダウダ書いてみることにしました。そうしたら「はじめに」にあたる部分が書けてしまった。最初からそうすれば良かったじゃんという話ではありますが、それは後知恵にすぎないな。


今回興味を持つに至ったきっかけがあり、東大の式辞の話があり。その後マッキンタイアやロールズ、サンデルなど読んできたが、どうもしっくりこない。ケアの倫理に出会って、これだと思った。


ケアの倫理も調べてみると色々な路線があって、岡野さんのようなフェミニズム路線もあれば、徳倫理学的な方向もある。「ケアvs正義論」のような、これまでの倫理と何が違うのかを明らかにしようというものもある。


自分としては、岡野先生やトロント先生の講演会の中で岡野先生がおっしゃっていた「何で日本ではケアの倫理といって取り上げられるのがノディングスなんだ?」というのはキークエスチョンになった。「日本ではギリガンやそれに続く女性研究者たちの声が届かない」「もっといろんな人たちがいろんな研究や考え方を打ち出しているのに」というのは、聞けてよかった話だ。


長くなるのでもうやめますね。


ということで、それに対して自分はこんなふうに考えるから、こんなふうなアプローチをしてみようと思う。と書いていったら書けてしまった。


そこまでできたので、その日曜日は先生に送りまして。で、週ナカに先生とのセッションを迎えたわけです。


先生からは、「何かこう、今まで考えてきたことがギュッとまとまった感じだね」「これならもう書けるよ」とのコメント。そうですか。。


もちろん、中身に関しての議論もいろいろしました。岡野先生の講演会に卒論指導の先生も見えていた(これは知っていた)こともあり、当日の感想交換もしましたし、京都でのトロント先生の話もしました。


講演会にも見えていた江原由美子先生の「からかいの政治学」という論考も紹介していただいた。

ミソジニー(女性嫌悪)の話もちょいちょい聞く。これもこれで時間があったら読みたいなぁ。


フェミニズムが議論していることは、別に女性解放って話だけではないとか、新たな気づきもありました。


面白かったのは、熱量のある議論に対して冷静な感じでいくという話をしたら、「それは〇〇だから、いっそ一緒になってワアワアやる方がいいよ」というアドバイス。


面白いなぁと思ったのは、この〇〇部分の日本語、これ思い出せなくて困っているんですけれど、そのフレーズがすごく自分の中でハマりまして。


陳腐な構図、ありきたりの構図みたいな意味なんですけど、これ今風の日本語で何て言うんでしたっけ?わかった方見えたら教えてください。(分かるわけないよな笑)


そんなわけで、次回7月末までに今度は目次を作ってきてと言われました。


アウトラインが言いたいことだとすると、目次は実際の章立てになります。


もう書けるよと言われはしたものの、実際書けるかと言われると、まだまだ自信はないですよね。


問題意識まではまだ良かったとしても、同じようなことを論じている先行研究ないのかはまだまだ分からない。何か主張しようにも、それを十分にサポートしてくれるものがあるかも不安。考えても仕方ないので、前に進むしかないけど。

卒業時期についても「どうする?」という話がありました。いまポータルサイトで今年度卒業の方は卒論の申請をするように言われている。しかし、12月までに書き切れるかは微妙。


どうしても3月で終わらせないといけない事情はないので、9月卒業になってもいい。これは教務課に話をしてもらえばいいとのことだった。


時間の自信がないのは、自分として洋書読まないかんとなってしまったからなんですね。

マーガレット・ウォーカーのケアの倫理についての本。


ケアの倫理について、哲学者が倫理学者のもの、政治思想色が薄い形、かつ徳倫理的でないまとまったものって無いのかを探しまくった結果がこれ。

材料はだいぶ揃ってきました。自分がんばりましょう。


それにしても、卒論がこんな方向になるとは思ってもみなかった。仕事にはどうか知らないが、今後の人生にとって新たな視座が得られたという意味で、今回通信大学生やって本当に良かったと思う。