「飛灰中の重金属の固定化方法及び重金属固定化処理剤」事件
                                       
    ① 東京地判平成22年11月18日・平成19年(ワ)第507号特許権侵害差止等請求事件(民事事件第一審判決」)
    ② 知財高判平成23年12月22日・平成22年(ネ)第10091号特許権侵害差止等請求事件(民事事件控訴審判決)
    ③ 知財高判平成23年12月22日・平成22年(行ケ)第10097号審決取消請求事件(行事件第1事件判決)
    ④ 知財高判平成23年12月22日・平成22年(行ケ)第10311号審決取消請求事件(行政事件第2事件判決)

 

7 本件発明と第2引用例との相違点の容易想到性についての各判決の判断の検討
  (1)  本件発明と第2引用発明とは、行政事件第2事件の審決が認定するように、下記の点で相違する。
         本件発明の「ピペラジン-N,N′-ビス-カルボジチオ酸塩」は、「飛灰中の重金属固定化処理剤」であるのに対し、
         第2引用発明の「ピペラジン-ビス-(N,N′-カルボジチオアート)ナトリウム」は、「金属陽イオンであるCu2+、Ni2+、Pb2+、Cd2+及びZn2+との反応によりキレートを形成して沈殿が起こり、濾過できる難溶性物質を生成する試薬である点
      しかし、本件発明と第2引用発明との一致点は、「ピペラジン-N、N′-ビスカルボジチオ酸塩からなる重金属イオンと反応してキレートを形成することによって水溶液から不溶化する薬剤」であるから、本件発明に用いられている化合物と第2引用発明に用いられている化合物はいずれも「ピペラジン-N、N′-ビスカルボジチオ酸塩」であって、両者には違いはない。
     そして、本件発明の発明特定事項として記載されている「飛灰中の重金属固定化処理剤」は、「ピペラジン-N、N′-ビスカルボジチオ酸塩」の性質ないしは属性のうちの特定の性質ないしは属性を利用することによって実現される用途である。第2引用発明の「濾過できる難溶性物質を生成する試薬」という発明特定事項も、同様に、「ピペラジン-N、N′-ビスカルボジチオ酸塩」の用途である。
     すなわち、本件発明と第2引用発明における技術的解決手段(構成)はいずれも「ピペラジン-N、N′-ビスカルボジチオ酸塩」という化合物であって、本件発明の「飛灰中の重金属固定化処理剤」や第2引用発明の「濾過できる難溶性物質を生成する試薬」はいずれも、技術的解決手段(構成)ではなく、「ピペラジン-N、N′-ビスカルボジチオ酸塩」という技術的快活手段(構成)によって実現される用途である。
     したがって、本件発明と第2引用発明との相違は、構成(技術的解決手段)の相違ではなく、構成(技術的解決手段)によって実現される用途の相違である。
  (2) 対象発明と主引用発明との相違が構成(技術的解決手段)の違いである場合には、対象発明の進歩性の有無は、主引用発明との関係において本件発明の構成が相違する態様の類型を踏まえて、「相違点に係る対象発明の構成」bが容易想到であるかどうかによって判断される。そして、対象発明が主引用発明に基づいて容易に想到することができる(進歩性がない)とは主引用発明において主引用発明の構成のうち対象発明の構成と相違する部分(相違点に係る主引用発明の構成)を解消することができることに他ならないから、主引用発明において「相違点に係る主引用発明の構成」を解消して対象発明と同一の構成へと転換することができるといいうるためには、①「相違点に係る対象発明の構成」と同一の構成を有する発明が存在することと、②主引用発明において「相違点に係る主引用発明の構成」を解消するために相違点に係る主引用発明の構成」の部分に「相違点に係る対象発明の構成」と同一の構成を適用することを着想する契機(動機づけ)となる、主引用発明と「相違点に係る対象発明の構成」とにおける課題あるいは作用・機能の共通性が必要である。
     ところが、対象発明と主引用発明との相違が用途の違いであるときには、対象発明と主引用発明とには構成(技術的解決手段)には相違がないから、主引用発明において対象発明との構成(技術的解決手段)の相違を解消する必要は全くない。そうである以上、「相違点に係る主引用発明の構成」に「相違点に係る対象発明の構成」と同一の構成を適用することを着想する契機(動機づけ)があるかどうかという判断の手法をもって、主引用発明とは用途だけが異なる対象発明の進歩性の有無を判断することはできない。
     構成(技術的解決手段)が同一であって用途が異なるものの典型は、「爆薬」の用途と「狭心症治療薬」との異なる用途がある化合物であるニトログリセリン(C3H5(ONO2)3)である。そして、ニトログリセリンを成分とし「爆薬」を用途とする発明が主引用発明であるとすると、この主引用発明に基づいて、ニトログリセリンを成分とし「狭心症治療薬」を用途する対象発明を容易に想到することができたかどうかは、対象発明の特許出願時において、「狭心症治療薬」がニトログリセリンの用途であることが技術常識であったかどうかによって決定される。なぜならば、「狭心症治療薬」がニトログリセリンの用途であることが認識されていなければ、「爆薬」を用途とするニトログリセリンを「狭心症治療薬」に用いようとする着想は生まれようがないからである。
     したがって、ニトログリセリンの例から明らかなように、構成(技術的解決手段)は同じであって用途だけにおいて主引用発明と相違する対象発明の進歩性の有無は、対象発明の構成(技術的解決手段)が実現する用途はそれの特許出願時に技術常識であったか否かによって決定される、
  (3) 5(3)において述べたとおり、知財高裁4部判決は、第2引用発明を認定するにあたっては、「水溶液中の重金属をキレート化できる化合物は、飛灰中の当該重金属も当然にキレート化できることが本件優先権主張日当時の技術常識であったと認めるには足りない。」と判示している。
     そうすると、このことをもって、本件発明の進歩性は肯定される。
  (4) 6(2)において述べたように、行政事件第2事件判決は、下記のように判示する。
         「水溶液中の重金属をキレート化できる化合物が飛灰中の当該重金属も当然にキレート化できることが本件優先権主張日当時の技術常識であったと認めるには足りないから、引用発明1(筆者注:第2引用発明をいう。)に基づいて引用発明2(筆者注:第1引用発明をいう。)を組み合わせることについての動機付けはない。
         しかも、仮に、引用発明1に引用発明2を組み合わせたとしても、本件ポリアミン誘導体の骨格としてピペラジン(引用発明1)を用いた引用発明2が構成されるのみである。」
     しかし、本件発明と第2引用発明との相違点は構成(技術的解決手段-「ピペラジン-N、N′-ビスカルボジチオ酸塩」)にあるのではなく、用途(「飛灰中の重金属固定化処理剤」か「濾過できる難溶性物質を生成する試薬」か。)であるから、第2引用発明の「ピペラジン-N、N′-ビスカルボジチオ酸塩」という構成は第2引用発明に第1引用発明の構成を適用しなくても、既に本件発明の構成(「ピペラジン-N、N′-ビスカルボジチオ酸塩」)と同一である。そして、第1引用発明の構成も「ピペラジン-N、N′-ビスカルボジチオ酸塩」であるから、第2引用発明に第1引用発明の構成(ピペラジン-N、N′-ビスカルボジチオ酸塩)を適用しても、第2引用発明の構成が変わるわけでもない。したがって、第2引用発明において本件発明の構成と異なる部分を解消して第2引用発明の構成を本件発明の構成に変更するために第2引用発明に第1引用発明の構成を適用することが容易であるかどうかをを論じる意味は全くない。
     つまり、行政事件第2事件判決(知財高裁4部判決)は本件発明が第2引用発明と相違しているのが構成(技術的解決手段)ではなく、それが実現する用途であることを看過しており、同判決の進歩性の有無の判断は、それを判断する手法あるいは方法論において誤っている。
     しかも、特許庁「特許・実用新案審査基準」は、「阻害要因」を、対象発明が主引用発明と構成(技術的解決手段)において相違する場合において、主引用発明において「相違点に係る主引用発明の構成」に「相違点に係る対象発明の構成」と同一の構成を適用して対象発明と同一の構成に到達することが容易想到ではないと判断することが正当であること根拠づける事由として性格づけているから、行政事件第2事件(知財高裁4部判決)のいう「阻害事由」なるものは、特許庁「特許・実用新案審査基準」でいう「阻害要因」とは異なる知財高裁4部判決独自の概念である。
  (5) なお、知財高裁4部判決(民事事件控訴審判決と行政事件第1事件判決)は、第2引用例と同様の学術論文(昭和59年12月20日に発行された「明治大学農学部研究報告第67号」に掲載されている「2個のジチオカルノキシル基を有するキレート試薬により金属の微量分析の研究Ⅰ」との学術論文(第3引用例))には次のとおりの第3引用発明が記載されていると認定したうえで、本件発明は第3引用発明に基づいて容易に想到することはできないと判断している。
     知財高裁4部判決が認定する第3引用発明の内容、本件発明と第3引用発明との一致点、本件発明と第3引用発明との相違点、および本件発明と第3引用発明との相違点の容易想到性についての判断は次のとおりである。
        ① 知財高裁4部判決が認定した第3引用発明の内容
            ピペラジンビスジチオカルバミン酸塩からなり、金属イオンであるCu2+,Co2+、Ni2+、Hg2+などとの反応で生じるキレートが希薄な溶液でコロイド的粒子として安定に存在する、吸光分析法あるいは光散乱分析法に使用できる金属の微量分析用試薬
        ② 知財高裁4部判決が認定した本件発明と第3引用発明との一致点
           ピペラジン-N,N′-ビスカルボジチオ酸塩からなる重金属をキレートする薬剤
        ③ 知財高裁4部判決が認定した本件発明と第3引用発明との相違点
           本件発明6の「ピペラジン-N,N′-ビスカルボジチオ酸塩」は、「飛灰中の重金属固定化処理剤」であるのに対し、
           引用発明2の「ピペラジンビスジチオカルバミン酸ナトリウム(ピペラジン-N,N′-ビスカルボジチオ酸塩に相当する。)」は、「金属イオンであるCu2+、Co2+、Ni2+、Hg2+などとの反応で生じるキレートが希薄な溶液でコロイド的粒子として安定に存在する、吸光分析法あるいは光散乱分析法に使用できる微量分析用試薬」である点
        ④ 相違点の容易想到性についての知財高裁4部判決の判断
           廃棄物等の焼却により生ずる飛灰中に多様な物質が含まれているところ、引用例2(筆者注:第3引用例をいう。以下同じ。)は、飛灰中の重金属の固定化とは技術分野を異にする学術論文であって、本件化合物2の希薄な水溶液中に対象となる重金属イオン以外にはキレート形成に関与する物質が存在しないという環境下でのキレート能力を明らかにしているにすぎない。したがって、引用例2は、本件各化合物が、飛灰を水と混練するという環境下で,そこに含まれる上記の多様な物質の中で鉛等の重金属と錯体を形成し,これを固定化するものであることについて何らかの着想をもたらすものではなく,本件発明の容易想到性を判断するための引用例として適切なものではない。
           さらに、…(略)…引用例1(筆者注:第1引用例をいう。以下同じ。)には、,飛灰中の重金属固定化処理剤として本件発明6(筆者注:本件発明をいう。)の相違点1に係る構成を採用すること(本件各化合物を選択すること)についての記載も示唆もなく、その動機付けもないばかりか、…(略)…本件各化合物を飛灰中の重金属固定化処理剤として使用できることが本件優先権主張日当時の技術常識であったと認めるには足りないから、引用発明2に基づいて引用発明1を組み合わせることについての動機付けはない。
     「③ 知財高裁4部判決が認定した本件発明と第3引用例との相違点」にて述べたとおり、本件発明と第3引用発明との相違点は、要するに、本件発明の用途は「飛灰中の重金属の固定化処理剤であるのに対し、第3引用発明の用途は「吸光分析法あるいは光散乱分析法」であって、本件発明と第2引用発明との相違点と同様、構成の相違でなく用途の相違である。
     ところが、知財高裁4部判決は、本件発明と第2引用発明の相違点については「阻害事由」を理由として容易想到ではないと判断しているのに対し、本件発明と第3引用発明との相違点については、第3引用例には主引用発明において本件発明の構成を採用する示唆も動機づけもないことをもって容易想到ではないと判断している。
     したがって、第2引用発明と第3引用発明とはいずれも試薬をその用途としていことにおいて同一であるにもかかわらず第2引用発明を主引用発明とした場合と第3引用発明を主引用発明とした場合における容易想到性を否定する理由は異なっており、知財高裁4部判には決容易想到性を否定する理由付けの一貫性がない。

8 小括
   民事事件第一審判決は、第1引用発明を主引用発明とした場合における本件発明の進歩性の有無については、第1引用発明において「相違点に係る第1引用発明の構成」-正確には「知財高裁4部判決が認定する相違点2に係る第1引用例の構成」-を変更してそれを「相違点に係る本件発明の構成」にする動機付けや契機となるべきものはないことを理由として、本件発明の進歩性を肯定する。
   また、民事事件第一審判決は、第2引用発明を第2引用発明を主引用発明とした場合における本件発明の進歩性の有無については、第2引用例には第2引用発明が本件発明と相違する部分を本件発明のとおりのものに変更することについての記載も示唆もないことを理由と本件発明の進歩性を肯定する。
   これに対して、知財高裁4部判決は、第1引用発明を主引用発明とした場合でも第2引用発明を主引用発明とした場合でも「阻害事由」を理由として本件発明の進歩性を肯定する。
   以上のとおり、民事事件第一審判決と知財高裁4部判決とは本件発明の進歩性を肯定する点では同じであるが、進歩性を肯定する理由は異なる。
   そして、知財高裁4部判決の判示からは、「阻害事由」なるものによって対象発明の進歩性が肯定されるための条件が何であるのか-「阻害事由」なるものの進歩性の判断基準-は、明らかにならない。
   他方、第1引用発明との関係において本件発明の進歩性が肯定されるのは、①本件発明は第1引用発明との関係においては「要件除去型」の発明であって、②「相違点に係る第1引用発明の構成」が第1引用発明の本質的部分あるいは不可分なものであるためにそれをとり除くと主引用発明である第1引用発明の作用効果や機能が妨げられるものであるからであり、「阻害事由」なる概念によらなくても本件発明に進歩性があることを論証することができる。
   また、第2引用発明との関係において本件発明の進歩性が肯定されるのは、本件発明と第2引用発明との相違は構成(技術的解決手段)の相違ではなくそれが実現する用途の相違であって、本件発明の用途が本件発明の特許出願時に技術常識ではなかったからであり、「阻害事由」なる概念によらなくても本件発明に進歩性があることを論証することができる。
   したがって、「阻害事由」なるものを用いて進歩性の有無を判断する実益を見出すことはできない。しかも、主引用発明が第1引用発明である場合において本件発明が主引用発明と相違する態様ないしは性格と、主引用発明が第2引用発明である場合において本件発明が第2引用発明と相違する態様ないしは性格は異質であり、主引用発明が第1引用発明である場合に本件発明の進歩性の有無を判断する手法あるいはこの場合に進歩性が否定される条件と、進歩性が第2引用発明がである場合に本件発明の進歩性の有無を判断する手法あるいはこの場合に進歩性が否定される条件も異なっているにもかかわらず、その違いを捨象して、「阻害事由」という一つの概念でもって両者の進歩性の有無を判断することは不適切でもある。