我が国の精神科医療は、一部本人の意思に依らないという、
人権上で適切な配慮を必要とする入院形態がある実情を踏まえ、一定の資質を備えた医師が患者の権利を擁護する必要がある。
つまり、精神疾患をもつ一部の人は憲法に定めるところの基本的人権が適用されない場合があり(法律で例外として認められており、日本では障害者権利の面での国の在り方があまり進んでいない)、それでも出来得る限りの人権を保持しようと設置されたのが「精神保健指定医」である。指定医として認められるには厳格な研修機関のもとで所定の課程を修了し、厚生労働大臣に指定されなければならない。
※精神障害者に対する権利についてはまだまだ問題点がたくさんありますが、一旦この場では割愛して、キチンと勉強の機会を設けます!
さて今回は精神科病院のおはなし。すでに前の記事にて歴史を概観しましたが、ここでは精神科病院の役割・機能が現在に至るまでどんな変遷があったのか…に的を絞りましょう。
1.放置・収容の時代(19世紀後半)
明治時代へ突入する時、国の動きは富国強兵

この頃の精神障害者は瘋癲(ふうてん)人と呼ばれ、廃疾(身体障害)者や盲人、貧困者、路上生活者、身寄りのない者と一緒に、養育院と呼ばれる施設にとにかく閉じ込めていました。東京では「東京府養育院(のちに東京府癲狂(てんきょう)院と改名)」が有名で、現在の「都立松沢病院」の前身です。
なぜ収容しかできなかったのか。それは国の予算を戦時費に充てていたからに他ならず、医療・福祉の面では十分な予算や政策がおりなかったからであり、一概に当時の病院体制が悪いとはいえませんでした。
実際、京都・南禅寺境内では我が国最初の公立精神科病院である「京都府癲狂院」が建てられましたが、公立としての位置付けはすぐに廃止されています。
20世紀に入るとすぐ、精神病者監護法(1900年)や精神病院法(1919年)が制定されてきますが、病院の役割・機能は依然として収容だけのものでした。
2.病院中心主義の時代
1919(大正7)年の精神病院法にて、国の権限で各(都)道府県に病院の設置を命じることができました。しかしながら予算は足りるどころか削る必要があったため、病院を建てる方針から減らす方針へ転換せざるを得なくなりました。
終戦後、戦時費に予算を拠出する必要がなくなったため、ようやく全国へ精神病院を設置する兆しが見えてきます。1950(昭和25)年制定の精神衛生法の第4条に「精神病院設置義務」に関する規定が盛り込まれました。制定当時の条文を拝借しますが、この文面を覚えておいて下さい。
(都道府県立精神病院)
第4条 都道府県は、精神病院を設置しなければならない。但し、第5条の規定による指定病院がある場合においては、厚生大臣の承認を得て、その設置を延期することができる。
2 都道府県が精神病院を設置し、又はその施設を増築し若しくは改築しようとするときは、省令の定めるところにより、設備、構造その他設置計画の概要について厚生大臣の承認を受けなければならない。
3 この法律施行の際、現に存する都道府県の設置している精神病院については、前項の規定による承認があつたものとみなす。
都道府県への設置が義務となった発端がこの条文です。指定病院というのは、既にある私立の病院などを代替機関とした場合のこと(私立代替を認めてもいいが、いずれは公立病院を建てなさい)。そして施行31年前の精神病院法にて設置していた都道府県立病院は、これも代替機関として認めますという解釈ですね。
精神病院法は画期的な改正が無かったまま削除されましたが、精神衛生法は改正に改正を重ねながら次第に色付けされていきます。とくに「通報制度」が盛り込まれたことで、精神病床数も爆発的増加をみます。この通報制度が実に厄介で、例えば警察に通報すれば簡単に病院送りにされるという「強制入院手法」が執られたために、この時代は「入り口あって出口なし」というのがコンセプトになる程、病院の存在は社会防衛的役割を担っていました。
3.病院から施設へ移行する時代
このように考え出されたのはつい30年ほど前です。時代も変わり、法律も変わったから、今でこそ一度入院すれば数週間で退院できる体制がありますが、それはそれで“今”入院したらのお話。こんな体制も整わない時代に入院した方は──50~60年以上病院から出られない人が現在もいることを、私たちは心に留めなくてはなりません。
さて、ここでいう「施設」とは何か。1987(昭和62)年に改正された精神保健法(旧称:精神衛生法)では、精神障害者社会復帰施設と銘打たれました。例によって当時の条文を拝借すると、敢えて解釈を加えなくてもなかなか分かりやすく書いてあります。
(精神障害者社会復帰施設の設置)
第9条 都道府県は、精神障害者(精神薄弱者を除く。次項及び次条において同じ。)の社会復帰の促進を図るため、精神障害者社会復帰施設を設置することができる。
2 市町村、社会福祉法人その他の者は、精神障害者の社会復帰の促進を図るため、社会福祉事業法(昭和二十六年法律第四十五号)の定めるところにより、精神障害者社会復帰施設を設置することができる。
(精神障害者社会復帰施設の種類)
第10条 精神障害者社会復帰施設の種類は、次のとおりとする。
一 精神障害者生活訓練施設
二 精神障害者授産施設
2 精神障害者生活訓練施設は、精神障害のため家庭において日常生活を営むのに支障がある精神障害者が日常生活に適応することができるように、低額な料金で、居室その他の設備を利用させ、必要な訓練及び指導を行うことにより、その者の社会復帰の促進を図ることを目的とする施設とする。
3 精神障害者授産施設は、雇用されることが困難な精神障害者が自活することができるように、低額な料金で、必要な訓練を行い、及び職業を与えることにより、その者の社会復帰の促進を図ることを目的とする施設とする。
他にも、任意入院制度の新設や精神保健医療審査会の新設により、より一層の患者の人権に配慮した適正な医療の確保と、精神障害者の社会復帰促進を謳った法改正であると評価できます。ただし社会復帰施設は義務設置ではないため、施設を利用するに至らない地域もあったことが問題でもありました。
4.施設から元いた地域へ戻る時代
これまで障害者福祉施策において、身体・知的は法制度が整っていたものの、精神領域では一度として福祉の対象にはなりませんでした。ようやく光が差し込んだのは1993(平成5)年「障害者基本法」の施行からです。この法律は1970年に制定された心身障害者対策基本法を改正したもので、決定的に何が変化したのかを改正前後の条文(第2条定義の項)で見比べてみましょう。
改正前(1970年)
(定義)
第2条 この法律において「心身障害者」とは、肢体不自由、視覚障害、聴覚障害、平衡機能障害、音声機能障害若しくは言語機能障害、心臓機能障害、呼吸器機能障害等の固定的臓器機能障害又は精神薄弱等の精神的欠陥(以下「心身障害」と総称する。)があるため、長期にわたり日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう。
改正後(1993年)
(定義)
第2条 この法律において「障害者」とは、身体障害、精神薄弱又は精神障害(以下「障害」と総称する。)があるため、長期にわたり日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう。
改正前の文章は、要するに身体障害および精神薄弱(現:知的障害)についてのみ「障害者」と認め、他の法律における障害者施策の対象としますよ、と解釈できます。改正後はこれに精神障害を加えた、所謂3障害一元化によって、精神障害者に対する福祉施策がどんどん盛り込まれることになり、精神保健法自体も条文を変えていきます。
わずか2年後の1995(平成7)年には精神保健法に精神障害者福祉法を織り交ぜた「精神保健福祉法」が誕生し、病院で適正な医療を受ける権利を有しながらも、自立と社会経済活動への参加促進を謳い、人としての当然の権利を享受できるようになりました。
長くなってしまったので、条文解釈は次回に続きます。