「大きな者」 | ティル・ナ・ノーグ Tir na n-Og
平家物語の冒頭分は、きっと誰しもが授業で暗記させられたことでしょう。どんな始まり方をしているか、皆さん覚えていますか?私は答えを聞くまで忘れていました


祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す。奢れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き者も遂には滅びぬ。偏に風の前の塵に同じ──


ここまでは暗唱させられた記憶があります!これ以降はよく分らないのですが。。。でも意味を調べてみると、これがなかなか面白いんです。


祇園精舎(仏教寺)の鐘の音は、仏が言うように「全てのものは移り変わっていて決して一定ではない」と聞こえてきそうだ。四方にあった沙羅(高地に生える常葉樹)は仏が亡くなるとすぐに枯れてしまった。それは「勢いよく咲く花でさえ、いつかは衰えてしまう」ということを仏が示しているに違いない。つまり栄えている時は春の夜の“束の間の夢”なのであり、強い勢力をもった強者でも結局は滅びて無くなる──そう、風に舞う塵と同じなのだ。


「仏」という文字が隠されているところをみると、少し宗教的意味合いが強い感じがします(批判云々は個々人の自由なのでノーコメント)。・・・また一つおりこうさんになったところで、表題の件。

「大きな者」と書いて『奢(おご)る』。今日はそんなことを考えていました。答えは至って明快。障害者を奢り高ぶって見下す人がいるからです。先ほど病棟内で患者さんが一人でふらついていたのを、ワーカーさんが必死に止めていた光景を目の当たりにしました。「どうしてこの人はおかしいんだろうね」と、ワーカーさんがボソッと放った一言が忘れられません。

「おかしいのはあなたですよ」と言い返せるわけもなく。つまり何が言いたいかというと、病院に勤めている身分なら然るべき対応をしなさいって事。患者さんは「下」でも「小さく」もありません。