私が東京のイタリアンバールに入ったときの話です。
その店にいられる時間はわけあって5分から10分。エスプレッソを一杯飲むだけの時間しかありません。
店の前で物腰の柔らかい、でもどこかしらこの店を支えているのは俺だ、という自信ありげな男の人が迎えてく
れます。とても丁寧で、でもかしこまりすぎていない、なかなか真似のできない接客です。
香川県には本格的なイタリアンバールなどというものはありませんから、席についてもどこか落ち着きません。
とりあえずエスプレッソをシングルで注文して店内を観察していると、さっきの男性従業員がカウンター内にいる
女性スタッフに注文を指示する声が聞こえてきます。接客のときとは少し違う、穏やかな声の中に少しだけ厳しさ
が含まれており、指示された女性のスタッフも単なるアルバイトと言う感じではなく、私たちは皆プロなのだという
自覚を持ったかのような返事をして素早く作業に移りました。
私のテーブルに運ばれてきたのは小さなカップに半分ほど注がれ、クレマというきめ細やかな気泡で覆われた
琥珀色の液体。ソーサーの上には小さなスプーンとニ包のグラニュー糖。
エスプレッソにはたっぷりの砂糖を入れる、ということは私も承知していましたが、これはちょっと多すぎるんじゃ
ないのか。と思いつつも、先般の男性従業員がこれを持ってきたのだから、これをありったけ全部入れたところで
おかしなことにはなりはしないだろう、というよくわからないけど確かな信頼をもちつつ、砂糖二袋を30ccほどの
液体の中に全部放り込みました。
スプーンですっと軽くかき混ぜると、甘い香りが鼻先をくすぐります。これがアロマというやつですね。
アロマを十分に堪能したのち、くっとひとくち口に含むとまずやってきたのは苦み。そしてすぐさま甘み。
そして最後に酸味といった具合で、まさにすべての味がハーモニーとなって口の中を駆け巡ります。
さらに鼻から空気を抜いたときの香りと言ったらもう・・・。
幸せな時間もつかの間。それもそのはず、コーヒーは30ccしか入っていないのです。
しかし最後にカップの底に溶けきらずに残ったキャラメル色の砂糖、これがまたうまい。
それはさながらスイーツのような趣があり、一杯たった30ccのコーヒーなのにデザートまで堪能できた
ような喜びを感じ、しばし余韻に浸りました。
至福の時間を名残惜しくも終えて、私は店を出ました。
そしていつものように外の空気を吸い込んで、それを吐き出すとまたエスプレッソの余韻が・・・。
その余韻はしばらく続き、やがて短い夢のようにゆるやかに消えていきました。
店員の質、店内の雰囲気、商品の質、すべてが揃ったあの夢のような店に、
少しでも近づきたくて、私はコルシカ珈琲を作りました。
近づくためには相当な努力がいるし、まだそのレベルに達しているとは思っていません。
でもお客様に短くても、少しでも幸せな夢を提供できる。
そんな仕事ができることに、私は心から感謝しています。