「いい加減にしろ!」
「なんなのよ、急に怒鳴って机をたたいたりして」
「なんなのよ、じゃないよ。頼むからもう喋らないでくれ」
「何よ、その言い方。たしかに私も仕事の愚痴ばっかり話してたけどいつもは・・・・・・・」
「違うよ、そうじゃない! 仕事の愚痴だったら帰って夜が明けるまででも聞いてやるから」
「だったらなんなのよ。大きい声出さないでよ。恥ずかしいじゃない」
「だからなんなのよじゃないんだ。どんぶりの中を見てみろよ」
「・・・・・・・これが何? うどんじゃない」
「ああ、うどんだ。でもただのうどんじゃない。明太釜玉うどんだ」
「わかってるわよ、自分で注文したんだから」
「だったらなんだってそんなことになるんだよ。見ろよ。あんなにとろとろだった生卵がぼそぼそで、明太子も火が
通っちゃって焼きたらこみたいになってるし」
「ああ、そうね」
「ああ、そうねってお前。うどんをバカにしてんのか?」
「はあ? 何言ってんの? うどんをバカにするとか意味わかんない。バカじゃないの」
「釜玉うどんってのはなあ、あつあつのうどんを冷たい生卵の入ったどんぶりに放り込んで、生醤油をかけて、卵
がとろとろの間に一気にすすりこむからおいしいんだろ? そんなかわいそうなことになって……。うどんが泣い
てる、あ、俺のうどんが泣いてるよ!」
「なに思いついて言い直してんのよ。しかもなんなのそれ?」
「ビートルズの名曲「俺のギターが泣いている」じゃないか」
「わかんないわよそんなの。だいたい何なのよ、うどんぐらいで。食べればいいんでしょ食べれば」
「うどんぐらいとななんだよ! お前、それは俺が香川県民だって知っての狼藉か!」
「知ってるわよ。当たり前じゃない、付き合ってるんだから。なにが狼藉よ」
「狼藉だよ。狼藉以外の何物でもない」
「うるさいわね。だいたい私、あなたのそのうどんに対する異常な愛情がちょっとうっとおしいのよ。だからあなたと
うどんを食べに来るのも本当は嫌だったし」
「なんだよ。地元の特産品を愛して何が悪いんだよ。俺だってなあ、こんな釜玉様に明太子入れるようなパチ物
の店なんかに来たくなかったよ! でもお前が嫌がると思って本格的なさぬきうどんの店は敬遠しといたんだろ」
「そんなに気を遣ってくれるなら、明太クリームパスタが出てくるイタリアンに連れてってよ。もういいから静かにし
て」
「食べなくていいよ。そんな風に食べるのはうどんに失礼ってもんだろ」
「うるさいなあ。じゃあもう食べないわよ。バカみたい。うどんぐらいでムキになって大声出して」
「またうどんぐらいって言ったな! 弘法大師は言いました。『書を捨て、筆を捨てよ。そして箸を持ってうどんを
食べよう!』ってな」
「言ってないわよ、そんなこと!だいたいなんで弘法大師なのよ」
「ばか。うどんを日本に持ち込んだのはお大師様だってことは小学生でも知ってるぜ」
「そんなの初めて聞いたわよ。だいたい、いつもそうやって適当なことばっかり言ってるから信用されないのよ」
「ほんとだよ! 香川の人間はみんな知ってる。お大師様のおかげで米がとれなかった香川県の・・・・・・・」
「もういいから! ねえ、だいたい今日が何の日かわかってんの?」
「え? なんだよ、怒んなよ」
「怒るわよ。なんだってこんな日にうどんなんか食べなきゃいけないのよ。こんな大切な日に……」
「おい、泣くなって。悪かったよ大声出したりして」
「そんなんで怒ってるんじゃないわよ。何で怒ってるかホントにわかんないの?」
「いや、わかってるよ。わかってんだよ、今日が付き合って10年目の記念日だってことぐらい」
「だったら何でこんなとこ連れてきたのよ」
「いや、だってここ、はじめてのデートで来た店だから」
「え?」
「え? じゃないよ、忘れてたのかよ」
「あ、へへ、ごめんなさい」
「まったく・・・・・・・。ほら、これ」
「え・・・・・・・。何これ?」
「ん。まあ開けてみてよ」
「これ・・・・・・。どうしたの?」
「うん、まあそろそろけじめをつけなきゃなって思ってさ」
「けじめ?」
「そう。まあ、だからなんだ。俺と・・・・・・。俺と」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・俺と、結婚してください」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・ごめんなさい」
「え?」
「ごめんなさい。あなたとは結婚できないわ」
「え?」
「遅すぎるよ」
「ええ?」
「だって十年だよ。はたちから付き合い始めて、もう三十になるんだよ」
「それは、俺だって同じだよ」
「ずっと考えてたの。そろそろ新しい道を探すべきなんじゃないかって」
「そんな。俺は今日のためにいろいろ準備して、本当はこの後の高級なバーでプロポーズを・・・・・・・」
「ごめんなさい」
「お、おい。ちょっと待って。行かないで!」
「さよなら。あなたはその残ったうどんでも食べて」
「どういうことだよ。こんなの伸びてておいしくないよ」
「そうでしょうね」
「え?」
「私も同じ気持ちなの」