議論や批判、皮肉や誹謗中傷について(最近のニュースに絡めて) | こりーさんのブログ

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長男と共に37歳でサッカーを始めた父が、サッカー、子育て、ユーチューブや他競技から学んだこと、感じたことをなどをブログに綴っています。
「気づき」や「感じたこと」を伝えていきたいと思っております。

全く脈略のないことを思いついたままに書いておりますが、今回のブログは自分の書きたいことをわりとすっきりと書けたことがあり満足しています。

 

いつも目に余る部分もあると思いますが、市井の人の想いをほんの戯言で述べているだけのもの、と思って読んでいただければ幸いです。以下本編です。

 

 

最近サッカーブログ会では、批判と誹謗中傷についての書かれたブログが多く見かけられる。

 

批判とは、

 物事検討を加えて、判定評価すること。

 人の言動仕事などの誤りや欠点指摘し、正すべきであるとして論じること。

 

誹謗中傷は、

誹謗…悪口を言いふらして、他人を傷つけること。

中傷…根拠のない嘘やでたらめを述べること

 

だそうです。

 

誹謗中傷は侮辱罪や心的外傷などにもつながる反社会的な行為だと思いますが、「その考えは間違えだと思う」と述べる批判は言論の自由にあたり、批判すること自体は権利として認められていることだと私は考えています。

(それもみなさん自身のブログ上で自分の意見を述べているので、マナーの上でも問題ないと自身は思っております)

 

福祉の世界では相手と異なる持論を伝える際などに、「あなたはそう考えているのですね」といったん受容するテクニックがあります。

必ず「どちらかが正解」という選択ばかりではないので、相手の意見を受容することは、自分の話を聞いてもらうためにも必要なテクニックのようです。←この件は、あまり詳しくないです。

 

一方で最近流行っていると感じる論破は、本当に論が正しいか以上に話術で相手を丸め込む印象があります。

 

こちらは相手が納得していない場合もあるので、議論に勝っても相手が受け入れてくれるかはわかりません。

話術や議論に長けていなくても、正しい論を述べている人もいるので、注意は必要ですね。

 

すこし横道にそれてしまいましたが、批判や議論について自身の思う所を書いてみたいと思います。

 

大学で比較文化論を教えていた帰国子女の教授の講義を例に挙げると、イギリスでは選挙が始まると市民はアフターファイブになるとパブに行き、隣り合った人と自身の良いと考える政策や政党について話し合うそうです。

 

 

互いにどうして私はそう考えているのかを話し合い、選挙期間中にも他人との議論を経て自身の意見も変わっていくそうです。

そのため支持する候補者や政党も変わっていくそうです。

 

(日本だとさっきと言っていることが違う、と言われそうです。しかし、自身のメンツを保つための一貫性よりも、新しい知識や考え方が入り、受け手の考え方も熟成される、意見も熟成され変わっていく方が合理的で自然なことのような気が私にはします)

 

 

教授の講義の話を元に考えると、

イギリス人が相手の意見や考えと、相手の人格や人間性を同一視しないのに対し、日本人は「意見を否定されるとその人自身が否定されている」と感じてしまいがちな傾向にあるのだと思いました。

 

全く関係のない所ですが、格闘家の青木真也さんと落合陽一さんがたまたま同じイギリスのことを例に挙げて議論についていっています。

 

なぜ日本人は「議論」が苦手!? 落合陽一が言及「考え方は合わないけど“それはそれ”っていうことができない」(TOKYO FM+) - Yahoo!ニュース

 

そうした衝突や行き違いを恐れて日本では対面やSNS上の議論もがあまり活発に行われないのだと思いました。

 

 

そんなわけで誹謗中傷はいけない行為だと思いますが、批判は表現の自由の上に認められた行為であり、より良い意見を生み出すためにも有効だと思います。

(政治家やタレントなどの公人は、公的な場での批判を受けることもありますが、一般社会では批判する際のマナーもまた検討が必要ですね)

 

 

私たち日本人は危機回避意識が強く、危険な部分・間違っている部分・悪い部分に着目する力は元々強いと思います。

 

また、人が作った者のあらさがし(←こういう概念が言語化されて日常的によく使われている時点で、悪い所を探す習慣がいかにあるのかと気付きますが…)、「○○とはけしからん」という危険回避だけではなく、「こうしたらいいよ」という改善の提案を主としてすることが物事をよりよくしていくのだと思います。

 

 

さらにコミュニケーション話になるのかと思いますが、欧米人が批判的な意見に対してウィット(機転)で返したりする文化は頭の良さを見せつけながらメンツも保たれるのでかっこいいなと思います。

 

さらに市民が権力者に対して行う、皮肉や風刺を権力者側や社会が表現の自由と認めている所に、真の意味で「人権や自由を大事にしているのかな」と感じます。

(外から見たことであり実際に人種差別などは依然としてありますが…)

 

サルに例えられたダーウィンや、「それでも地球は回っている」といったガリレオなどは、笑われていあながらも唯一真をついていた人間なので、現代人の私から見るとその孤高感も含めて「かっこいいな」と思います。ニヤリ

 

パイオニアは人から笑われたり、馬鹿にされても本人の心の中に真があるから強いのだと思います。

 

 

 

さて、話は変わって、

小池都知事の任期満了に伴う、東京都知事選が6月20日告示、7月7日投開票となりました。

 

 

私は不謹慎な人間なので、こんな格好で小池現都知事の方針演説を聞いたらどうなるのかなと考えてしまいました。ニヤリ

 

こういう服装で演説を聞いても表現の自由であり、権力を持つものはこの程度の皮肉は認めて欲しいものですが、警察側が勝手に忖度したと思われるやじの対応などをみると、上手いこと排除されそうな気もします。

 

また、実際にはアンチがいることで「反対派にはあんな人がいるなんて嫌だなぁー」という思いから、ふざけてこんな格好で演説を聞いている人がいると、逆に小池氏の投票が増えてしまうのではないかとも思いました。

 

 

都知事選での他の有力候補と言えば蓮舫さんですね。

私の印象では、こちらは「2位じゃダメなんですか、2位じゃ」の人です。

 

ウィキペディアの情報では、

・「’88キャンペーンガール」を監督した村西とおるは、出演者の蓮舫を次のように語っている。「上昇志向は常に伝わってきました。例えば撮影中に、頼んでもいないのに、カメラに向かってみずからウインクやキッス、水着の食い込みを直すなど…“負けてたまるか”という強さを感じましたね」

 

・かつては喫煙者であったが、2004年参院選前に禁煙をしている

 

という人物、元クラリオンガールですっとしたビジュアル、明朗活発で適度なSっ気もあり気位の高そうな印象は、ちょっとMっ気のあるおじさん的には嫌いではない感じだ。

 

上記の「2位じゃダメなんですか」という発言は、体裁的には批判に当たる。

 

そのため「2位じゃダメなんですよ、なぜなら1位と2位では信頼性や認知度が違います。専門知識のない一般の方はとりあえず1位だからという理由で仕事の依頼がくるので、1位と2位では全然違うのですよ」などという反論の余地があり、【批判】つまり、相手の意見について反対である。

 

都知事選とは関係はないが、蓮舫と同様にTVタックルでビートたけしのわきを固めていた現在国会議員になっている丸川珠代元アナウンサーは。

 

10年に子ども手当を導入する関連法案の採決の際、民主党政権に「愚か者めが」「このくだらん選択をしたバカ者ども」などとヤジを飛ばしていたそうだ。

 

こちらは選択や判断について「下らん選択」とこき下ろすまであれば表現の自由だが、「愚か者」「バカ者ども」という人格否定にまでいたると、若干M男傾向の小生もあえなくしょんぼり、である。

 

 

そろそろサッカーの話をしないとアメブロの運営から、「サッカー観戦じゃなくてジャンル選択を日記にしてください」とお達しが来そうなのでサッカーに関わる本日のニュース。

 

引用文:

デル・ボスケ監督は(中略)「グティはレドンドに似ていたね。彼には練習場で『少し髪を切れ』と言ったことがあるが、思い切り正論を返されてしまった」 「グティは『あなたが髭を剃ってくれるなら、僕だって髪を切るんですよ』と返してきた。私は『もう何も言えんよ』と降参するしかなかったのさ」

 

 

元レアル・マドリード監督デル・ボスケ、グティに髪を切るよう命じて返された言葉は…「何も言えなくなってしまった」| ラ・リーガ(DAZN News) - Yahoo!ニュース

 

欧米人は仕事や競技外での人間関係はフラットで「年下のくせに」とか相手の立場や年齢で上下がないのだなと感じました。

 

人権とか人間関係、議論・批判・誹謗中傷など問題は、文化であったり脳やホルモン気候の影響などいろいろなことが影響しているのでどこからどう改善していくのか、一筋縄ではいかないなと思いました。