あくまで感覚的な根拠しかないのだが、ダンスで日本人が少し変わるのではないかという話 | こりーさんのブログ

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長男と共に37歳でサッカーを始めた父が、サッカー、子育て、ユーチューブや他競技から学んだこと、感じたことをなどをブログに綴っています。
「気づき」や「感じたこと」を伝えていきたいと思っております。

今回のテーマはいまさらですが、義務教育の授業にダンスが必修となった事が、なんとなくの自身の感覚なのですが、日本人のメンタリティーに大きく関わっていくのではないかということです。

 

途中自身のあげた例のせいで話が大きく脱線しますが、主題はそこです。以下記事となっております。

 

 

ニュースやブログで日本人論や日本の文化・社会についての特徴や問題点をあげる記事を自身はよく読む。

 

そしてその記事で指摘している事項が、最終的に改善できるのかできないのか、という部分についても示すことがとても重要だと思うのだが、実際には賢い著者が日本ですでに起きていることを小難しい言葉で列挙しただけの記事になってしまっている場合もよく見かける。

(事実を周知することで社会が変わることもあるので、それ自体には意義があると思うのだが、事実を伝えることは、ただ起きてることを言葉にしているだけとも思える、、、)

 

日本人や日本の社会の良くない部分を改善できるのであれば、誰がどのように変えていくのか。

(専門家なのかエリート・資本家・民衆なのか、とか)

 

改善できないのであれば、その部分を受け入れながらも、別の手段や方法によって改善できるのかを探っていくことが必要だと思う。

 

以上をサッカーのコーチで例に挙げると、

 

例えばキック力が弱くシュートが遠くまで飛ばない選手がいたとしたら、「弱い、もっと強く!」と言うのは、ほぼ起きた事実を述べているのに過ぎないと自身は感じる。

 

良いコーチとは子供と一緒に改善策を考えられる、もしくは考えるきっかけを与えられるコーチが良いコーチで、

 

改善できる部分については、

サッカーや運動力学的な知識に基づいて、「ミートの質を上げる」「シュートへの入り方や軸足についてのアドバイス」「全身を使った体の使い方」などについて指導すると思う。

 

また、改善できない部分については、

体が小さい、筋力が弱いなどキック力の向上に限界があると判断した場合(できないことを受容して別の手段を探る方法では)

 

ゴールに近づいてからシュートを打つ

落としてもらうなどして反動をつけると強いシュートが打てる、など、問題の本質が改善しなくても、良い結果が生み出せる指導を行うと思う。

 

話は戻って日本の社会や文化についてのことになるのだが、

現在の日本で問題となっている、SNSなどで自身の価値観にそぐわない人を非難する行為は、かつては井戸端会議的な場面での愚痴だったものが、科学技術の進化によって社会全体を巻き込んで大きな力になってしまっていることが問題の原因であると考えられる。

 

つまり我々が手にする道具の進歩が問題を引き起こしたのであって、日本人の性格や行動は以前と変わっておらず、「出る杭は打たれる」「和を乱すことが悪」という価値観は元から変わっておらず、それを変えることも難しいのだと自身は思う。

 

日本人の性格(過度な危険回避志向)が変わらない根拠は、私たちの多くが幸せ物質のセロトニン受容体をあまり持っていない任族だからであり、きっとこの部分は変わらないのだと思う。

 

変わらないことがある一方で、変わることもあると思う。

それが義務教育にダンスの授業が入ったことだ。

 

何年も前にニュースでそのことを知った時は、現場の教員も困っている(特に小学生の教師は全科目教えることもあり)。とあった。

 

自身も日本人はふりつけ(約束通りの動き)はできても、ダンス(リズム感と踊りの同調)はできないのではないかと思っていたが、自身が目にした子供たちは当たり前のように踊っていた。

 

具体的な例を出すと、職場に実習に来た大学生は(私の職場は福祉施設)、怒られた直後だというのにフロアに流れる音楽に合わせてゆらゆらと踊っているのである。

こちらは女の子で、ぽっちゃりボティーを左右にくねらせて、まるで悪気もない様に踊っている。

 

その他で言うと、スーパーやファッションセンターしまむらでも、小・中学生の女の子が店内のBGMにあわせごくごく自然に踊っていることがあった。(こちらはゆらゆらではなく、わりとダンスっぽい動き)

さらに自身の娘も音楽に合わせて踊ることがある。

ステップを踏むこともあれば、tiktokの影響なのか夕食を目にして急に「ひき肉でーす!」と腕を回し出したこともあった。

 

 

みな「型」はどこかで身に着けたものなのかもしれないが、それを音楽に自然に合わせることができていた。

↑不思議なことに自然にダンスをする子の割合は、女子の方が圧倒的に多いように思える。

 

これは男女差そのものに要因があるのか、そうではなく文化的背景(←自身はこっちが原因だと思う)に要因があるのかは、よくわからない。

 

また、自身は「日本人にダンスなんて合わないと」思っていたが、三波春夫氏の『チャンチキおけさ』では、知らぬ同士がお皿叩いて ちゃんちきおーけーさー、とあるし、地域で毎年行われる『かっぽれ』では、地元の銀行や老人会、婦人グループなどが主となって踊るが、時々陽気な酔っ払いが飛び入りで列にくっついて踊っている。(←最近ではあまり見かけない)

80過ぎの父曰く、かっぽれっていうのはもともとそういうもので、「混ざりたい人は後ろにくっついて混ざっていい」とのこと。

 

「踊る阿呆に見る阿呆」という言葉もあるし、

レコードができる以前は、素人の人たちも楽器を演奏したり、踊りたい人は踊ったりと、日本人の心の中にはもともとダンスはあったのかもしれないなと思った。

(昭和中期からダンスが授業に取り入れられるまでの人たちは、特に踊るのが得意でない世代なのかもしれないと思ったりした)

 

義務教育の授業を通してダンスを文化や習慣に取り入れることができれば、自己表現の能力が伸びチームのコミュニケーションや自身のメンタルコントロールが改善され、日本のサッカー選手たちもよりよくなっていくと、なんとなくの直感なのだがわたしは思う。

 

海外のチームでは、サッカーで失点したときに「チン・アップ(あごをあげろ)」や、「大きな声を出す」などの具体的にできる方法で、気持ちが沈まないようにするとの記事を何度か目にしたことがある。 

 

 

〈科学が証明〉変なダンスを踊ると落ち込み回復! 掛け声かければ作業効率がアップ! | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け (shueisha.online)

 

日本の選手たちが失点をした際に、選手たちがみんなで変な踊りを踊り出すようになれば、プレッシャーに強い民族になるのではないかな、と思った。

 

ふざけているのではなく、「ネガティブなイメージはすぐに切って捨てる」そのための切り替えの手段としてもダンスは有効だ。

 

サッカー以外のスポーツも含め、オリンピックや代表戦しか見ないような人たちも、「選手が失敗しても本人なりの切り替えやリラックスができていて良いな」と思えるようになると、日本のスポーツ界だけでなく、いろいろな所にメリットがありそうな気がします。