「Don't think fell 考えるな、感じろ!」 | こりーさんのブログ

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長男と共に37歳でサッカーを始めた父が、サッカー、子育て、ユーチューブや他競技から学んだこと、感じたことをなどをブログに綴っています。
「気づき」や「感じたこと」を伝えていきたいと思っております。

40歳前後の皆さんならブルース・リーを知っているだろう。

空手家やカンフーの掛け声が「アチョー!」となっているのは、彼が怪鳥音と言われる奇妙な掛け声を出していたことが要因となっている。

 

↑リーが怪鳥音を出していたことには、しっかりとした理由があるのだが、今回はそれは省略しておく。

 

ブルース・リーは言っている。

「Don't think fell(考えるな、感じろ!)」

瞬発的な闘いの世界では、考えるよりも早く反応することが重要だと説いている。

 

最近見つけて、過去ログもさかのぼりながら毎日楽しみに読ませていただいているブログでは、「考えることのデメリット」を伝えたうえ、「考えない状態」であるゾーンに入るようにしていくことでより良いパフォーマンスにつながると伝えている。

引用-

まずみなさんに試してほしい事がある。

それは、何も考えずに1点を見つめてほしい。

これをできれば3分はやってみてほしい。

どうだろうか?何も考えずにできただろうか?

仕事の事や家族のこと、気になる事を思い浮かんでこないだろうか?

思い浮かんだと言う方。

それが自我だ。

自我と聞くと自分自身のように感じるが、実は自分ではない。

実は自分の中にはもう1人の自分がいる。

そいつは自我(じが)だ。

この自我はあらゆる手を使って自分に語りかけてくる。

その物事を考えさせようとするのだ。(中略)

 

そして物事を考えている状態の場合、ゾーンは訪れない。

つまり「考えながらやれ!」は実は

ゾーンとは真逆なのだ。

自我は際限なく自分に考えさせる。

ずっと考えることによって人間はスタミナが減っていくのだ。

守田選手が「考えすぎてパンク」と言ったのも、考えすぎてスタミナが減り、体自体が動けなくなっていたのだ。

 

(専門的な視点では、トッププレイヤーでさえ本当のゾーンに入ったのは人生で2~3回だという記事を読んだことがあるが、自身の体験レベルで書かせていただくと)

 

上手くいったプレーの方が、まるで何も考えないで体が動いたり、受ける直前に浮かんだイメージをなぞってプレーすることで思い通りのプレーができたりと、良いプレーの方が、直後であるにも関わらず自身が行った実感があまりなかいことが多い。

 

ゾーンまで行かなくとも、上手くいっているがゆえに何も考えていない状態と、不安や雑念により脳がビジーな状態とでは、適切な判断力やエネルギーの消費の面でも明らかに差があると考えられる。

 

陸上のオリンピックメダリストの為末氏も、不安が能力を奪う理由を伝えている。(引用とかはなく、投げっぱなしですみません)

 

 

また、今回取り上げたブログの主は、稚拙な二元論で闘論することを子供っぽいと表現している。

 

確かにその通りだと思うのは、今回のゾーンの話を考えても、

ゾーンに入ること(忘我・トランス)もよい状態だが、相手を分析して「はめる」こと、考えることも有効な手段なのである。

 

考えずに反応することも大事だが、コーチング(他人の考え)により、気づきを共有することもとても重要だ。

(こちらは考え【他人の気付き】をより反応に近い形に変えられるように、言語の統一などがなされていることもある)

 

再びブルースリーの話に戻ると、リーはカンフー映画の一場面で手合わせの際に、深々と頭を下げた弟子の鼻をつまみ「鼻をつままれたということは、目つぶしをされたということだ」と伝えている。

 

「Don't think fell(考えるな、感じろ!)」と言っておきながら、練習の中ではしっかりと考えるきっかけを与えている。

 

つまり、平時に振り返りや深く考える機会を持ち、その考えを練習や稽古で動きの中に落とし込みむ。

 

そして、実戦の際には考えず(Don't Think)に、反応(Feel)できるようにしていくように身につけさせているのだ。

 

今回紹介したブログでは単純な二元論を良しとせずに、偏った思想でなく全てが合わさってサッカーであると言っている。

 

自身も相手を拒絶する単純な二元論ではなく、利き足と両足、ドリブル特化とボールゲームとしてのサッカーなど、互いの論が好敵手として存在しあい、お互いが「それも一理あるのかもな」と思える懐の深さを持つことで、日本のサッカー感が深まっていくのではないかと思っている。

 

別に喧嘩するなではないが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と相手に思わせてしまうようでは、単なる自己満足で終わってしまう。

受け手も懐を深く持ち、話し手も相手に伝わるように言うことで日本サッカー界が活性化していければよいと思っている。

 

次回はファールについての自身の考えを述べようかと思っているのだが、サッカーブログ界隈を見るとヒール(悪役)の役割がとても面白く意義があると感じてしまう。

頑張れという以上に意欲を高めてくれるモチベーターになっているのである。一周回って神々しい印象すら出てきている。

 

いつも文章のまとまりにくい自分なので、さらっとかけそうな方から手を付けてみようと思います。

 

最後にもう一回ブルースリーというか、中国人の闘いのことを取り上げると、中国人はイスでも青龍刀でも何でも使って戦います。

自身が大学で出会った、北京の落ち着いた様子の青年でも中学校で毎年喧嘩で1~2人は死んだり、喧嘩の際には鉛筆や机に忍ばせた青龍刀を使うと言っておりました。(その人から聞いただけの隔たった意見ですが…)

ブルース・リーが「鼻をつままれたら目をつぶされたと思え」というのは、中国で生き残るために必要なハングリーな精神なのだと思います。

 

別にマリーシアとか勉強しなくても、中国人はしたたかにふるまえるのだと思います。

南米やヨーロッパの人たちも暴力的ではないですがしたたかであると思います。(アラブもインドもしたたかだし、)

そんなしたたかな人たちと戦うために、自身はファールについて考える必要があるとも思います。

 

今回はここらで、おあとがよろしいようで、