科学よりも自身の好きなものを取り入れる大切さ | こりーさんのブログ

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長男と共に37歳でサッカーを始めた父が、サッカー、子育て、ユーチューブや他競技から学んだこと、感じたことをなどをブログに綴っています。
「気づき」や「感じたこと」を伝えていきたいと思っております。

今回は「パーソナルフードトレーニング」を読んで得たことや、その内容から感じた自身の思いを綴らせていただきます。

パーソナルフードトレーニング

三戸真理子

 

 

この本は、食事と血液型のなどについてスポーツ医学を学び、ドイツやアメリカにてパーソナル栄養学の現場修行、血液栄養の研究に携わっているフードトレーナーの著者、三戸真理子さんが書いた本だ。三戸さんは旗手怜央選手も3年間サポートしている。


 

内容をざっと説明するとは、

人は個人個人で得意な食べ物と不得意な食べ物があり、それを判断する大きなヒントとなるのが血液型。

不得意な食べ物を食べたからと言ってアレルギーが出たりすることは稀だが、消化や吸収に時間がかかったり、倦怠感が出る場合もある。などと書かれている。

 

血液型別の食物との相性の内容を少し抜粋すると、

A型:穀物・炭水化物の食物や野菜を得意とし、牛・豚・鶏肉や乳製品などの消化酵素はあまり持っていない。タンパク質は大豆や魚、油の少ない鳥のささみや胸肉と取るとよい。

B型:苦手な食材が少なく肉・魚・野菜・果物など多くの食べ物を食べられる傾向がある。穀物はやや苦手。

O型:肉全般が得意。その一方で牛乳・チーズ・バターなどの加工された食品は苦手。小麦も避けた方が良い。

AB型:A型とB型の良いところを持っており、穀物・野菜が得意で、肉の消化酵素も持っているが、胃酸が少ないため食べ方を工夫するとよい。また、砂糖の分解はほかの血液型と比べてやや苦手。

との記述がある。

 

 日本で血液型と言えば占いが一番身近なことだが。そもそも私は血液型とは赤血球の形のことであり、ブラジル人などはほとんどO型だったりするのだから、それを元にその日の幸運・不幸を決めるのは乱暴なことだし、「そもそも血液型占いの性格診断などは誰にでも当てはまるように書かれている」という話を信じていた。(たぶん伊集院光氏がを言っていたような記憶がある)

 

 その上でさらに「あたしって~、両親がAとOだからぁ~、OよりのAみたいな~」と言っている姉さまなどには、「いや、だから赤血球の形の違いだから…」と心の中でつぶやいていた。

 

 が、しかし!であるこの本の中にも「これはあくまで傾向の話です」「現代人は混血化が進んでいるため純粋なA型、O型ではありません」「血液型だけで何が適した食事なのか、すべて判断することはできません」と結ばれていた。

つまり、血液型は結果として特定の赤血球の形で現れるが、そもそも私たちが持つ遺伝子情報は自身の血液型を決定づける遺伝子以上にもっと多くの遺伝的な情報を持っている。血液型は遺伝的特性を確認する上でのヒントにはなるが、その他の遺伝子の影響もあるので、血液型だけではその人の特性は判断できない、ということになる。

 

結果的に私の浅はかな科学知識は、姉さまの女の感の前に完全に敗北したのである。

 

そもそも自身の情報源であるスマホのニュースの根拠の多くは欧米の大学での実験や研究の成果を取り上げたもので、被験者が日本人ではなく欧米人などである可能性が高い。そんなこともありコーヒーが体にいいとか、カフェインが体に悪いとか、グルテンフリーやら断食やら現代解明されている科学知識よりも、そこいらの姉さまの女の感の方がセンサーとして優れているみたいな~、可能性も大いにあるということを常日頃念頭に置きながら事の良し悪しを見極めていかなければ、わかったつもりで誤った取り組みを気づかずに行うこともあるので注意が必要みたいだ。

 

ちなみに先ほどのA型が得意とする野菜・と穀物について、二人ともA型の私たち夫婦の場合でも、著書で得意とされている野菜や穀物の取り方には異なった特徴がみられる。

 

両親が九州と岐阜の系統の妻は疲れている時にレモンや生のタマネギを積極的にとる。

私は両親が東京と群馬の系統だが、疲れた時は穀物酢が欲しくなる。葉物野菜は好きだが、生のタマネギを食べると胃に不快感が現れ食欲がなくなる。

 

以上のように好みや合う食材に違いがみられる要因としては、遺伝子に基づくホメオスタシス効果があり、感覚的に自身の体に有効な食物を取り入れようとするからであると自身は考えてる。

 

そのため、自分が好きなもの、合ったものを取り入れること、現在もっともらしいとされている科学的根拠よりも、時には自身の感を信じることの方が正しい場合もある、と自身は考えている。

 

サッカー指導における利き足、両足議論について考える場合は、本来個々の利き手・利き足の問題や脳の発達の仕方に違いがあるので、どちらが正しいということは一概に言えるものではない。

 

(人類は進化の過程で得た言語や手を使うために右脳・左脳を使い分けるようになった、そのため250万〜200万年前ホモ・ハビリスのころから現在に至るまでの間に人類は右利きが優位に増えている。しかし、右利きの人が進化している・優れているというわけでもないと思われる。その根拠としては世界で上位2%の高IQのメンサでは20%が左利きであり、天才と呼ばれる人には左利きが多い)なぜ、左利きは常に10%存在するのか|人事が知っておくべき人体の秘密|リクルートワークス研究所 (works-i.com)

 

以上を踏まえると「どちらの方が向いている」ということはあるかもしれないが、指導法という観点では「絶対に○○はだめ!という話にはならないと思っている。

 

その理由は、指導論とは汎用性の高い指導法(個々人の利き足・逆足の器用さを度外視した、どのプレイヤーにも有益な指導が指導論であると思うが)であり、その指導論について話し合うことは有意義なことであると思う。

 

その上でもやっぱり、私は自分の好きなこと、合っていると思える方法を伸ばしていくことが、本人の成長と豊かな人生につながっていくのではないかなと思っております。

 

(自分に合っているものがいいとは言っておりますが、「小学生からずっとサッカーしてました」という大人の方がヘッドダウンしていると、「サッカーは顔を上げてからがサッカーですよ」と自身の価値観をぶつけてしまいたくなってしまいます・・・)

 

個々人にあった指導と、汎用性のある指導論には差異があってしかるべきなので、その違いを認識しながら、今後も有効なもの、自身に合っているものは取り入れていこうと思います。