今日はどうも調子がおかしくて。たぶんいろんな思いが錯綜して、カオスになって、どれもこれも消えて行かなくて、わけわからくなって。
小さな事をとっても大きく気にして、押し潰されて、知能と感情のバランスがとれなくなりました。
私は、たぶんやりたいことがあります。恥ずかしくて内容はいえないけど、あります。
でも、それは、恥ずかしいと思うくらいだから、おそらく気にしていることだと思います、風評を。
「それ、その歳でおかしい」
「女性なんだから」
「おばさんなんだから」
「病人なんだから」
などなどいろんなレッテルで言われる数多のそれらを気にしているんだと思います。
幼い頃から時代の価値観、常識にはまるよう強いられました。言動で。ジェンダーという言葉が無い頃、児童虐待という言葉が無い頃、さまざまな枠にはめられました。いろんな力づくで。その後遺症だと思います。
どんな小さなことも、周りの機嫌を窺う。今日なんか、体調がどうにも悪くて、必要最小限の家事を午前中にそれでもこなしたあと、
子どもたちにさえ、
「ねえ、どうしても、調子悪いんだけど、お薬飲んで休んでいいかなぁ。。。」と訊く始末。
休むことすら誰かの許可がないと出来ない。
誰かひとりでも「えー」とか言ったら出来ない。
そんな枠が私にはあります。
平均より、より優れていないと、人としての価値観が無いとされてきました。
だから、何かできることを、一生懸命頑張りました。
誰かの理想になるよう生きてきました。
ちょっとでも1%でも気に入らないところがあると、それを修正して生きてきました。
自分の思いつくことは、全部だめで。
「そんなくだらないこと、おもいつくんじゃない」とまで言われました。
発想や思考を停止させられました。
ただただ従うしかありませんでした。
、、、それで、体と精神を壊しました。
直近で関わった京都大学の人たちに病院に行くよう、促されました。
最初はそれでも行きませんでした。
病気がちじゃ、有能な仕事が出来ない。
そもそも仕事が降りてこない。
任されない。
それはアイデンティティの崩壊でした。
それが知れると(親戚やこれまでの周りやほとんどの人たち)、
なんだか腫物というか、無能な扱いというか、価値がないような、まるで存在が無いような、そんな接触のされ方に変わりました。
そうすると、また、迎合するような、矯正の枠が押し迫ってきました。
どうしても、体も精神もついていきませんでした。
さりとて、自分の活力は戻ってきませんでした。
そんなこんなな、この10数年でした。。。。
今日もその一環の一日でした。
子どもたちに許可を貰いつつも「仕方なしに言っているだけで本当は好ましく思っていないんじゃないか」という疑心暗鬼でいました。
それゆえ、お薬を飲んだこと自体に嫌悪感を持っていました。一旦飲み込んだけれど、体内から出せないかと思いました。
(この疑心暗鬼が根深く植わってしまっています、、、、悲しい)
ぼー、、、、っとしたまま、よく眠れず、いつもなら落ちてしまう分量なのに、悪夢ばかりみて、やっぱり自分の判断を許可できず、
「本当によりよい生き方をしているのか」とずっと自分を責めています。
さっき、やっと、起き上がれたけれど、驚くほどにふらついて、まあ、いつものメニエールほどじゃないけれど、それでも「あれれれれ????私どうなっちゃってる????」みたいにふらふらふらふらして、
そうしてやっと、
「あ、、、、、、、やっぱり、障害があるんだなあ、、、」って、
「だから休んでよかったんだ、、、」ってなりました。
(つづく)