そんなときには、どんな情報も、刺激もダメなんだけど、でも、無刺激なのは、あまりにも辛くて、ちょっとツイッターを覗いてみました。
すると、フォロワーさんがリツイートした人の台詞がこころに響きました。
”自分が「できるひと」であるから価値があるんだと思って生きてきた人は 自分が鬱などであることを認められないことと 周りからの、怠けてるだけ。薬はダメ。などの間違った指摘を受けることから 病院に行けずに苦しむ 鬱になったくらいで自分の価値は失われない、ちゃんと診断を受け、助けを求める”NEW@自己肯定感UPさんhttps://twitter.com/smiletwister
また、
”①子どもの頃に親から認めてもらえなかった 小さな子どもにとって 親は絶対的な存在で 親の承認が得られないと 自分に自信が持てなくなる
②自分の行動に対して周りから非難された 周りから批判を浴びると 自分の判断は 間違っていたと思いやすい”
をるろうに心理カウンセラー×SNSさんhttps://twitter.com/rurouni15967
も。
「嗚呼、 私、こうだったんだなぁ」って。
特にるろう~さんのツイートに反応した人の中には、医学部に合格していながらも、自信がもてなくて手続きしなかった人がいる、って知って、
「そのような繊細な人もいるんだ、、、」となんだか同志を見つけたみたいで、ちょっと嬉しかったり(←孤立していない、という、ささやかな安心)、
何よりちょっと楽になれた気がしました。
前回は専門によって言語の違いがあるかもしれない、と書きましたが、
今日は専門から一般への共通アプローチをしているであろうツイートだから、
単語そのままの意味で読みました。
人のミスを許せないのは、自分が許されなかったからな気がします。。。。
↑
このような様々な指摘、ずっと前から言われいたけれど、自分のこころがようやく指摘についてきて、
やっと受け容れられてきた気がします。。。。
なーんで、わが子の事、総否定だったんでしょうね、親とか親戚とか、、、、
何をもがいていたんでしょうね、、、、
知る由もないけど、ちょっとくらい吐露して欲しかったなあ、、、、
少なくとも、私や弟が大人になってからは、相談相手になれただろうに、、、、
親自身が(両親とも)孤立していたのかもしれないなあ、、、、
親戚の中で、父も母も、よくできる、って、言われていたみたいだから、
父や母が誰にも相談できなかったのかもしれないなあ、、、とか。
子育て、激動の社会と関わるから、本当に大変だもんね。
自分は大人になるにつれ、感性の合う人同士のコミュニティを選んでいくんだろうけど、
子どもが関わる集いに参加するとき、って、もう全然混沌とした価値観の中に入らなきゃいけないから、
マウンティングとか平気でする人たちともかかわらなくちゃいけないもんね。。。。
そりゃ無理だったよwwww
病気になるまでよく頑張りました!!!!って、自分や子どもたちに言おう
みなさんもそうだよね。
PTAムズカシイ、先生とムズカシイ、ママ友ムズカシイ、自治体ムズカシイ、、、、
カオスの中、よく生き抜きました
私にも子どもたちにもみなさんにも拍手~
なんだかそんな感じ
今日はお勉強、たぶん。。。。もしかして、出来ません
すいませーん
ではおやすみなさい