おきあがれないのでおきませんww | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

低気圧対応不能人間です。先日の件で、もうガンバルのをやめました。いえ頑張ることから自分を解き放ちました。障害や特性があっても家の事情や相手の事を先に慮って頑張っていたのですが、相手を甘やかしている事、それが当たり前になって私の命がけの踏ん張りを軽くぞんざいに扱われる事、血のにじむような努力の結果なのに「何でも簡単にできるんでしょ」という思い込みによるいわれのない嫉妬、などなどがある事に、もう何十年も堪えてきたので(私は酷く叱責されて育ったので自己肯定感がかなり低いです。テストの点はいつもすこぶるよかったのでそれに関しては何も言われませんでしたが、以外の事については自分の価値観と違うと言うだけで、私の方を最下層に力づくで糾弾する人ばかりなので。実母実娘、親戚オジサンおばさん、従兄弟、学校の先生、知り合い、クラスメイト、世間のうち素養な人を全部含みます。

 

例えば、奈良女子大学院卒業式(修了式)において、学長から言われた「最先端の事を身につけているからこそ、命を宿し産み育む性を持つからこそ、人さまに慈しみをもってあたるように」という言葉を、人生哲学として信じています。そうなれる人間になりたいと、人生ずっと修行しています。寝ていても「相手にああいわせた、あのような汚い言葉や高圧的な態度を取らせるに至る、私の反省すべき点は何だろうか。森羅万象的には何がどうなっているのだろうか。」とずっと自問自答しています。神経が張り詰めて自責ばかりなので、そのうち身体が壊れてきます。

 

今日はシビレや麻痺のほかの症状である、身体が汚泥になったような感覚で、流体的に重たくどう仕様も起き上がれない一日でした。

これほど強い症状だと、起きる努力などとどかないので、安定剤無しで墜落し続けます。

責任感で動いているので、合唱は起きて参加しているので、他の日がこうであることを、理解してくれる人はほとんどいません。倒れ切るまでは、我儘娘の力の大きいもがきにつきあわされています。そんな毎日を送っています。

ご存じないのでしょうね。ただ、特筆すべきは、知らない事とだからと言ってなんでも勝手な偏見で完全なる物事の理解に至る前に私に暴言や圧力をかけていい事とは全く乖離するほど違います。精密に関連するから連動するのであって、例えば「たまたまそこにいたから」

「ついでだから」はしてはいけません。国の法律や自治体の規定のタイムオリエントで、どうしても色んな事を集約的に伝達しないといけない時はあります。そのようなときは、情報量が膨大になるので、公の言葉で理路整然と箇条書きで事務的に相手に伝える。それがよいと思います。

 

大学院で学生をしていたから、と誤解する人もいますが、博士課程となるとお給料をもらって研究室や大学の仕事をしています。修士の時はTA(ティーチングアシスタント)という肩書で、大学に履歴書や経歴書を書き授業担当の先生の補佐をします。博士課程になると享受や研究室、大学のプロジェクトの手伝いをし、国内外の仕事もするので、RA(リサーチアシスタント)という肩書で、またその際に履歴書や経歴書、それにくわえ研究業績書などを提出し、それで大学に雇ってもらい、仕事をしながら研究をしているのです。ただ学生だけをしているのではありません。それでTAおよびRAは枠が決まっていて、例えば私の場合は家庭の事情と病気の事情でオーバードクターをしてしまったのですが、大学側は文科省に報告する時「最短年限で修了できない人間をRAとして雇っていい資質といえるのか」と応募すら教授に「家庭の事情や身体の事情は解るけどそういう規定だから」と言われます。このTA,RAも研究業績として大学教員として応募する時、研究所に応募する時公に履歴書に業績として記載することができるものなので、雇ってもらえないということは、大学を修了したあとの先に対しての競争としては下位にされてしまいます。特に東京大学や京都大学では、その辺の基準がべらぼうに高いのです。東京大学に合格した全国で最高峰と言われている中で競争するのです。省庁の中で職員が競争論理になっていて、天才と言われている人の例としてタイムリーなのが佐川さんなのですが、おそらく大臣や議員では理解できない実務を担ってきて、それであのように東京大学のエリート最高峰の人に、そうでない選挙で選ばれた学者レベルでない人に糾弾されるのですから、本当に大変な仕事だと思います。

 

それをも堪えて忍んで凌いで無秩序で無知な風評にも一問一問丁寧に対応する。それでも議員や大臣を護る。アホな議員や大臣に証人喚問される。。。悲しすぎますよ、本当に。

 

まあ、汚泥のような時間を経ても壊れたPCでブラインドタッチが超高速に出来なくてもこれくらいの事は瞬時に考えられます。普段会話がかみ合わないし、団の全体練習の集合時間だと言って、しゃべる必要性は何らないのに、いのちに関わる事でも何でもない、どうでもいい事を、ベラベラしゃべることが一般女性の発散なのだろう、と、聴き役になったり、観察してますが、私はその間、楽譜を見て、パート練習の復習および全体練習でどのように歌うのかを脳内シミュレーションしたいというのが本心です。そのような環境にいましたから。

 

例えば、教授の急な海外からの客があるとします。そのような時、特に博士課程の学生や、修士の中でもなかなか良い研究をする学生が選別されて声をかけられ、席をもうけられます。場所はセミナー室や会議室、小さな教室いろいろです。で、先生同士がお話しするのを

ただ聴いているのだけでよいのかというと違います。それぞれの学生は研究者の卵として、名前を呼ばれて御顔見せをし、話の中で「ああ、そういう研究方向なら…あ、なんとかク、関連あるよね。いまちょっとプレゼンテーションして。」と突然何の前触れもなく言われます。

その時に、プレゼンテーション資料が無かったり、英語でスムーズに研究内容をアピールできないと、実は教授の顔に泥を塗ることになってしまいます。「そんな程度の指導もできていないのか」という教授の評価になります。世界的にも有名なその業界での先生なので、その泥を塗ってしまうラインは点数にするなら、学術的に関連するどの分野についてもほぼ満点に近いものを集約して英語で提供しなければなりません。プレゼンテーション資料についても学術的に落ち度があってはなりません。←私は初めてその会談に呼ばれて突然名指しされたとき、ずっとお母さんで受験勉強だけでも一生分の勉強をしてやっと入ったところだったので、それを知らず、英語が一番アホでしたから、"I can't speak English. Please translate."と言ってしまいました。"は?それだけ言えるならやれ。"と日本語でおっしゃいました。顔は海外の相手様に解らないように笑って仰いましたが目が鬼のように怖かったのを覚えています。そこでボロボロになってしまい”忙しい時間を縫って折角旅費まで払って我が研究室に来て下さったのに、なんというお粗末な事をするのだ”という履歴を残してしまい、業績的に研究室に居づらくなったスタートとなってしまいました。そこで先生は私に英語がとんでもなく出来ない学生と決められました。英語を勉強したくても(専門技術英語)あの時の教授の決して笑っていない”私の顔に泥をぬりましたね”の目が思い出されて、また他皆さんの前で醜態をさらした事により、私の心は萎縮して、どうしても英語に向かえないのです。

 

それ以前に物理的な時間の制約がありました。子どもを引き取って育てながらの研究なので、学童の時間になったら向かえに言って、家事をし、学校のケアやからだのケアをして、休ませてそれから徹夜で自宅で出来る研究をしていました。アルバイトの下準備もしていました。アホなある秘書の相手もしないといけませんでした。捕まって叱られる時間をどうしても占有されてしまいました。かまってちゃんのようでした。ちなみに教授となると私の師匠に関してですが、大学院の教授職というだけでなく、それぞれ大学内にある研究施設の長にも並列で任務に疲れています。それが一か所ではありません。また、京都大学に関連する学外の施設、例えば名前出していいのかな…多分いいと思います。関西なら、京阪奈の中のある研究施設の長。などなど、複数関わっている国内外の理事、があって、その中で学生に研究会というミーティングや、今回書いたお客さまとの時間をミーティングに見立て、時間を作ってくださるのです。神様みたいなことを神様じゃないので、肉体が一つしかない教授がなさっています。それであの給料は酷いと思うし、海外に行くのもエコノミーですよ。ポイントを使ってグレードアップしても大学規定に引っ掛かるのでできません。そのような周囲の口うるさい矛盾した制約の中、緻密にやりくりして人間味のある事をしてくださり、これはどうしても厳しくしなければならない、言いたくないけれど世の中の規定がそうだから…と悪役にもなってくださいます。

 

そのような先生方が、一年に一度、学部生も遠慮することなく、ほにゃらら学会の会長も同じ部屋で合宿のように寝食を共にする会議が年度終わりの3月頭にあります。毎年400人を超える参加者です。そこで、例えば国立大を定年し私立大学に行かれた長が「なんで俺がこんなところで学部生と一緒に寝るんだ!」と半分冗談半分本気でおっしゃいます。基調講演や招待講演で、その業界の神様のような方がいらして、ペーペーの学生とすれ違ったりした時、あるいはエレベータが一緒になった時、「どう?研究楽しい?」と声をかけてくださいます。そこで知り合った今では旧帝大の学長になられたり、センター長になられた、まあ、みんな博士号を持っているのですが、そのような先生方が、降りてきてくださって、こんなぺーペーのかおを覚えていてくださって、顔や口に出せない事も解って下さって、全てを包含して、温かいまなざしで、「元気?」といってくださいました。私の事情をご存じの先生が、そのコミュニティでは日本各地でいらっしゃるし、国際会議で意見を下さった海外の先生や、教授が紹介してくださった海外の神様の先生はフランクにしてくださり、身内や親せきや友達には理解されない感覚や概念や言いたい事を解ってくださいます。

 

私のよりどころでした。研究を通じて哲学を通じて、人を想うコミュニケーションがありました。一般的には奇異に映る神様たちも、それを深層で理解すれば、共通する優しい慈悲深い御心がありました。一生懸命修士論文を抱え、門前払いをいくつもくらい、それでやっと逢ってくださってもダメ、、、それでもあきらめずに「学ばせてください!!!」とお願いし、受け入れてくださったのが私の師匠です。

親よりも親をしてくださいました。私の親は事実として未熟で無能で感情的で子どもを自分たちでもうけておきながら自分たちの都合で余裕が無くて苛める人間です。家庭を持っていらっしゃるので、私は遠慮していましたが、身寄りのない海外の留学生の日本での身元引受人をされ、色んな事情で表面的に裏切られていても、何度そうされても、個人個人は皆違うから、と、ずっと寄りのない海外の留学生の日本での身元引受人をされてこられました。それが私の師匠です。娘が首を切って、私が精神的に崩壊してしまいそうな時、「しっかりしなさい」と言ってくださったのも師匠でした。「たった一人しかいない親が狼狽したら、傷を負った当事者であっても子どもは不安になる。」を思いださせてくれました。だから、私がどれだけ大変でも、まるで子どものような逆転している親や親せきなどには、ただパニックを起こしてあることない事糾弾するだけなので、伝えていませんし助けを求めてもいません。そもそもあまり助けをもとめません。弱い者いじめをする人に助けを求めると、弱点を教えてしまう事になるので、それが親であっても友達であっても、そこをついて、逃げようとするだけなのを知っているからです。何度も傷ついています。「何だ…今回も口先だけだったか・・・」と。だから私は「甘えていいよ」と言ってくれてもその人の器をじっと見ています。いくらその気があっても、これだけ複雑になっている家庭やその一員である私を、たった一人の素人が同出来ます? 京大医学部の先生たちが、こぞって色んな方向から尽くしてくださって、一緒に考えてくださって、それでも10年以上かかているんですよ???噂を信じ、コツコツ研鑽しない、フィールドワークも経験が無い、そのようなド素人が、よく自分を過大評価して、おこがましくも、上の側になるなあ、と思って。

 

話を真に聴いてくれるひとは、決して他の人だって忙しいんだから、大変なんだから、というキーワードは絶対使いません。その言葉が絶望を与えてしまう事を知っておられるからです。理解=理(ことはり)を紐解く、というのが私の理解という言葉の数多の解釈のうち、私の解釈です。

まさに森羅万象ですよ。自然に人間は叶わない。物言えない人の苦しさの吸い取り紙になりたいのだけれど、辛抱が足りず目立ちたがり屋で自分を誰よりも先にかまって、ってする人の悪を先に吸い取ってしまって、倒れます・・・だから私は時間が必要なのです。やっと言えるようになった人の一言に重みがあり、それを吸い取りたいのです。私の吸い取り紙のような心や理解はその人のためにあります。

 

辛抱が足りず目立ちたがり屋で自分を誰よりも先にかまって、な人は、私の深層の状態を・・・が出来ないでしょうから、物理的にそうっとしておいてください。あ、私が読者申請している方は、私が大丈夫なみなさんなので、OKです。いつもありがとうございます。