久しぶりにあの日の強い映像が目に飛び込んできた。
本当にごめんなさい。私はまだ見れません。
当時は東日本の時のようなテロップが入らず、毎日毎日今よりアナログの中で、
赤子を護る事に必死で人様にご尽力も何も出来なくて。
東日本のそれも、主治医がモニタを切り替えなかったら、
そのまま宮城に駆けつけなかったら、
私はまたフリーズしていたと思います。
発達障害が悔しいです。
もちろん、当時は解っていなかったし、同じ広汎性発達障害でも、耐性があったり育ったりしている方もいるかもしれません。
でも、東日本大震災でも、自閉傾向にあるお子さんを持つお母様たちが、
見知らぬ方がたくさん集う避難所で子どもがパニックを起こして、
万が一周りの人様にご迷惑をおかけしたら、と、
壊れた自宅でずっと過ごした話があるように、
私は今日も同じ発達障害である子どもが休日に外に出て想定以上に混雑していたためにストレスが溜まってケアするだけで力尽きてしまいました。
もちろん大きな地震があった時のライフラインへの対応や直後の火事の可能性や、
風評への注意などは、知識としては身につけているつもりですが、
いざ当事者になった時に吾が子を護るためにも自助が出来るか重いですし、
子どもに同じ事を求めても、特にこの子は時間がかかるか、もしくは不能です。
そのためにも私は長生きしなければならないのですが、
こればかりは解りません。
落差が激しい事や派手な事など、五感に衝撃を与える事は、
今日、改めて、まだ無理なのだと悟りました。
大変申し訳ありません。
毎年、今日を意識して過ごして来ました。
娘が同じ頃に生まれたというのもあって。
亡くなった人の分まで、とよく言われますが、
時間が途絶えた人がいらっしゃるのに誕生日を祝う気持ちにはなれないのです。
奇しくも錦織選手の番組がありました。コーチとなったマイケルチャンさんの言葉が胸を打ちました。
『勝った時には謙虚さを学び、負けた時には潔さを学べばいいのです。』と。
私は人間が出来ていないので、
もしかしたら、謙虚にはなれても、今の環境で、は、潔さには程遠い、と思います。
神戸に迎えなくて、全壊の被災でなくて、直接身内を亡くせなくて、炊き出しを出来なくて、ボランティアに迎えなくて、タイガーマスク運動出来なくて、いっぱいいっぱい、
いっぱいいっぱいごめんなさい。
本当にごめんなさい。
役に立てないのに生きててごめんなさい。
でも、この子を生んだのは私だから、まだ今は生きる責任があるんです。
すみません、我が儘言って。
ごめんなさい。
ごめんなさい。