あ、診察の事です。
できるだけ著しい勘違いを防ぎながら理解してもらうためには、
具体例をいれつつ、相手の語彙空間を探りながら、相手の理解に直結する語彙に変換しながら話す事が必要不可欠だと、
私は常々考え、模索努力をして来ました。
診察の問答でそれを実践しています。
息子は発達障害を持つので特に幼い頃は小児科と同じで一緒に入って、
先ず息子に対してそれをしながら、ほぼ同時通訳のように医師に行います。
が、あるとき、息子の担当医に私の話は冗長すぎる、という感想を言われてから、
酷く気にするようになりました。
何年も気にしています。
なので私は私の診察で問答の合間に、通じてましか?オカシクないですか?話せてますか?
と、尋ねてしまいます。
いま思うと、息子の担当医の冗長の使い方が適切では無かったように思います。
別件で、長期に渡る息子の信頼を損ねる思考を推し進めようとしたので、
私は小児相手の精神科医師として、それは絶対してはならない、と憤慨した事があるのですが、
憤慨する、という形にさて見せるまで、全く気づいていなかった、そのデリカシーの無さ、人となりに対して憤慨したのでした。
あ、ちょっと脱線しましたね。
とにかく、並列処理が出来ないんですよ。しかも同じものが複数ではなく、多種多様が並列は出来ないお医者さんでした。
主婦が機転を利かすアレとは全く相容れないスタイルでした。
そこで、考えたり気づいたりしてほしいのです。
学校の先生、医師、上司、親でもかまいません、
影響力や発言力を社会的に与えられている側が、
そうでない側にネガティブな意味付けをした、例えば個人的観点で相手を否定した言葉が、
どれだけ受けた側を傷つけているか自覚されていますか???
という事をわたしは言いたいです。
今日の私の主治医は私に冷静に肯定的で、少々今の体調からすると手厳しい指導でしたが、
論理的だし、改善点である事は、客観的俯瞰的に有用であったので、
やっと古い私には必要無かった、言わば、濡れ衣のような、不用意な発言内容を外す事が出来ました。
私はビックリすると、自分が強迫的に矯正を即時に求められている、と、インプットされてしまう特徴を持っているようなのです。
それゆえ、自分の中で増幅されてしまうので、私を勘違いで傷つけた人が、勇気を持って素早く訂正してくださらないと、
放置の時間で本当に増幅増強されてやがては自責になり、抑鬱状態に陥ります。
かねてから書いているように、私の両親は、子どもに済まない事をした、と素直になれない人でした。
なので、私は両親を思い出す度、自分の存在を消したくなる衝動にかられます。
事実、子ども相手に正当性を主張しようとし過ぎて、たくさんの暴言暴力を受けて育ちました。
自分で出来ない事をしてもらっているのではなく、させている、という考えでした。
私は親にこき使われていました。
それに気づいて、もう嫌だ、と言った途端に、これまで育てて貰って、なんて恩知らずな人間だ、と全否定されました。
寂しいけど、頼むしか方法を知らない、そのくせ、秀でているものを欲しがってばかり、
飢えている人なのだと思いました。
経済的には親戚の中でも潤ったのでしょうが、
愛や理解には飢えていた人たちなのだと思います。
そう、親子の役割が逆転していた、機能不全な家でした。
形は家族だったので、当時は誰にも気づいて貰えませんでした。
どうしてこんなに苦しいんだろう?
どうして学校の同じ年頃の子の家の様子とは著しく違う様子なんだろう?
ずっとそう思っていて、学校の図書館でみつけたり、書店で気づいて、心理学に足を踏み込みました。
大学院に入った事が大きな転機だったと思います。
私は修士課程は奈良女子大学という学校なのですが、この学校は、広島大学や、兵庫県立教育大学や、鳴門教育大学や、あともう一校(失念しました、ごめんなさい後で調べます)と同じで、
旧制高等師範学校、つまり学校の先生の学校だったんですね。
それゆえ、青少年の心理には特に力を注いだ教職課程でした。
発達や臨床はもちろん病児心理も履修しましたし、きょうだいに障害者がいたとき、親や周りの手が否応なしにそちらに向かうので、取り残された健常児、とりわけ物分かりがいい思春期に反抗を抑えた子どものストレスも履修しました。
一番最後に記述した児童がかつての私であり、娘です。娘は大暴れしてくれたので、生きた心地は親としてはしませんでしたが、
娘が私の二の舞にならないであろう事はプレゼントできたので、それは良かったと考えています。
子どもさんよろしく、ご自身が趣味を謳歌されている皆様を拝見すると、
胸がキュンとしますが、もう諦めました。
拗ねたんじゃありません。
もしかすると、私が求めた生き方だからです。
私は自分が楽しんでて、子ども達がそうでないなら、もし楽しいイベントに逃避したとかなら、
やっぱり自分を責めると思うからです。
私は自己擁護の嘘はつけない性分です。私が何かを話す事で誰かが理不尽な目に遭うのなら、ひっかぶりますが、
でも私のこの性分を察知していちはやく利用して、油下さらって飛んで行った、かつて私を積極的に親友だといい、近寄って、確信犯的に陥れた人を忘れる事も許す事も出来ず、
何より身体症状に出るくらい騙された私がお人好しなんですが、
なんだか、かつて、一度は心を許した人が、そんな事をして、不義理なままで平気な様子を見ると、
本当になんだか、哀しくて、家庭を持っていたり、子どもさんがいたりすると、
子どもさんはどんな眼差しでその人を見ているのだろうと思うと、
ただただやりきれない、というか、苦しい気持ちになります。
だから、今までかかって、ひっかぶった自分を今日だけは誉めてあげたいです。
同年代のお嬢様を持つ主治医が理解して下さいましたから。
できるだけ著しい勘違いを防ぎながら理解してもらうためには、
具体例をいれつつ、相手の語彙空間を探りながら、相手の理解に直結する語彙に変換しながら話す事が必要不可欠だと、
私は常々考え、模索努力をして来ました。
診察の問答でそれを実践しています。
息子は発達障害を持つので特に幼い頃は小児科と同じで一緒に入って、
先ず息子に対してそれをしながら、ほぼ同時通訳のように医師に行います。
が、あるとき、息子の担当医に私の話は冗長すぎる、という感想を言われてから、
酷く気にするようになりました。
何年も気にしています。
なので私は私の診察で問答の合間に、通じてましか?オカシクないですか?話せてますか?
と、尋ねてしまいます。
いま思うと、息子の担当医の冗長の使い方が適切では無かったように思います。
別件で、長期に渡る息子の信頼を損ねる思考を推し進めようとしたので、
私は小児相手の精神科医師として、それは絶対してはならない、と憤慨した事があるのですが、
憤慨する、という形にさて見せるまで、全く気づいていなかった、そのデリカシーの無さ、人となりに対して憤慨したのでした。
あ、ちょっと脱線しましたね。
とにかく、並列処理が出来ないんですよ。しかも同じものが複数ではなく、多種多様が並列は出来ないお医者さんでした。
主婦が機転を利かすアレとは全く相容れないスタイルでした。
そこで、考えたり気づいたりしてほしいのです。
学校の先生、医師、上司、親でもかまいません、
影響力や発言力を社会的に与えられている側が、
そうでない側にネガティブな意味付けをした、例えば個人的観点で相手を否定した言葉が、
どれだけ受けた側を傷つけているか自覚されていますか???
という事をわたしは言いたいです。
今日の私の主治医は私に冷静に肯定的で、少々今の体調からすると手厳しい指導でしたが、
論理的だし、改善点である事は、客観的俯瞰的に有用であったので、
やっと古い私には必要無かった、言わば、濡れ衣のような、不用意な発言内容を外す事が出来ました。
私はビックリすると、自分が強迫的に矯正を即時に求められている、と、インプットされてしまう特徴を持っているようなのです。
それゆえ、自分の中で増幅されてしまうので、私を勘違いで傷つけた人が、勇気を持って素早く訂正してくださらないと、
放置の時間で本当に増幅増強されてやがては自責になり、抑鬱状態に陥ります。
かねてから書いているように、私の両親は、子どもに済まない事をした、と素直になれない人でした。
なので、私は両親を思い出す度、自分の存在を消したくなる衝動にかられます。
事実、子ども相手に正当性を主張しようとし過ぎて、たくさんの暴言暴力を受けて育ちました。
自分で出来ない事をしてもらっているのではなく、させている、という考えでした。
私は親にこき使われていました。
それに気づいて、もう嫌だ、と言った途端に、これまで育てて貰って、なんて恩知らずな人間だ、と全否定されました。
寂しいけど、頼むしか方法を知らない、そのくせ、秀でているものを欲しがってばかり、
飢えている人なのだと思いました。
経済的には親戚の中でも潤ったのでしょうが、
愛や理解には飢えていた人たちなのだと思います。
そう、親子の役割が逆転していた、機能不全な家でした。
形は家族だったので、当時は誰にも気づいて貰えませんでした。
どうしてこんなに苦しいんだろう?
どうして学校の同じ年頃の子の家の様子とは著しく違う様子なんだろう?
ずっとそう思っていて、学校の図書館でみつけたり、書店で気づいて、心理学に足を踏み込みました。
大学院に入った事が大きな転機だったと思います。
私は修士課程は奈良女子大学という学校なのですが、この学校は、広島大学や、兵庫県立教育大学や、鳴門教育大学や、あともう一校(失念しました、ごめんなさい後で調べます)と同じで、
旧制高等師範学校、つまり学校の先生の学校だったんですね。
それゆえ、青少年の心理には特に力を注いだ教職課程でした。
発達や臨床はもちろん病児心理も履修しましたし、きょうだいに障害者がいたとき、親や周りの手が否応なしにそちらに向かうので、取り残された健常児、とりわけ物分かりがいい思春期に反抗を抑えた子どものストレスも履修しました。
一番最後に記述した児童がかつての私であり、娘です。娘は大暴れしてくれたので、生きた心地は親としてはしませんでしたが、
娘が私の二の舞にならないであろう事はプレゼントできたので、それは良かったと考えています。
子どもさんよろしく、ご自身が趣味を謳歌されている皆様を拝見すると、
胸がキュンとしますが、もう諦めました。
拗ねたんじゃありません。
もしかすると、私が求めた生き方だからです。
私は自分が楽しんでて、子ども達がそうでないなら、もし楽しいイベントに逃避したとかなら、
やっぱり自分を責めると思うからです。
私は自己擁護の嘘はつけない性分です。私が何かを話す事で誰かが理不尽な目に遭うのなら、ひっかぶりますが、
でも私のこの性分を察知していちはやく利用して、油下さらって飛んで行った、かつて私を積極的に親友だといい、近寄って、確信犯的に陥れた人を忘れる事も許す事も出来ず、
何より身体症状に出るくらい騙された私がお人好しなんですが、
なんだか、かつて、一度は心を許した人が、そんな事をして、不義理なままで平気な様子を見ると、
本当になんだか、哀しくて、家庭を持っていたり、子どもさんがいたりすると、
子どもさんはどんな眼差しでその人を見ているのだろうと思うと、
ただただやりきれない、というか、苦しい気持ちになります。
だから、今までかかって、ひっかぶった自分を今日だけは誉めてあげたいです。
同年代のお嬢様を持つ主治医が理解して下さいましたから。