いっぱい泣こう! | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

映画とか観て物理的にそうするか、


数学問題解きながら色んな不甲斐なさを知って心で泣くか解んないけど、


たぶん、すっごい泣くと思う。


子ども達と一緒に遊んでいてめっちゃ楽しい顔をしていても、


目には涙を溜めてるか、


心で泣くんだと思う。




薄皮一枚で隔たりを感じたりする私は、



誰かの応答に酷く傷付く事が多い。



『今回も解って貰えなかった』



『ざっくり纏められた』




観点や感性のズレが何故起こるかは、



それらの粒度のそれ。



…あ。



ちょっと待ってね。



…。



お部屋暗くて、



お月様に逢いにベランダにでようとしたけど、



つまづいてあせる



息子に様子がオカシイのを指摘された。



息子の事言えないハートブレイク



私も小さい頃のトラウマとまだ付き合えないハートブレイク



生きるのも死ぬのも怖いハートブレイク



お月様に逢うのさえ、ふらついて躓くなんてハートブレイク



安定剤飲みましたしょぼん



何にも解らなくなりたいしょぼん



感受性が邪魔な時があるしょぼん



私が私を分離したい時があるハートブレイク



なんのことない、見棄てられ症候群なのは、私なのかもしれない…しょぼん



私は…



母親に優しく抱き締められた記憶が全く無い。



昼寝していると思ったら直ぐ外に出てしまっていた母。


家に落ち着いている人では無かった。


起きたらいつもいなくて、


記憶を頼りに二歳の足で行くにはとんでもなく遠い市場に探しに行って。



気づいた床屋のオジサンが拾ってくれて、


お家に帰ったら反対方向の近所で井戸端会議していたらしく、


床屋さんにお礼を言ったと同時に皆の前で酷く怒られたしょぼん



お母さんがいなくて探しにいったら怒られた。


子どもながらに解らなくなったしょぼん


私は今でも必ず何処に行くか何時に帰ってくるかは、子ども達に告げる。


子ども達が安心する様に。


娘も極力電話してくる。私の安心のために。



息子も小学校でイジメられて以来、ベッタリだ。


私自ら突き放した事は皆無だ。


助けに入ったなら助けられた側に要らない大丈夫と言われるまで安心するまで、傍に居ることが鉄則。


誤魔化しても子どもは見抜く。


『はいはい、わかった』のようにぞんざいに扱われているかは、命に関わるから絶対見抜く。


私の母はいつだったか、私が七歳位の事を『子どもがそこまで考えているとは思うかいな!』と言った。


母や母の周りが七歳でも考える子では無かったんだ。


うまく言い換えたな、と思った。


七歳でこれだから、二歳から記憶がしっかりしている、と言っても、


自分に都合の悪い事は信じないだろう。


その証拠に、子どもの気持ちを最優先に考えたら言うべきではない、という事を、


吟味もせずベラベラしゃべり、


私がそれを如何なものか、と意見したら、


『子どもに聞かれたら都合が悪いからやろ』という論理だった。


解決方法が自分ひとりの事なら勝手な解放でも問題ない。


家族の問題など絡んでいる場合は、それぞれ、という訳にも行かない。


結婚した時、妥協したのは、捕まったのは、母ではなく、父だったのかもしれない。


周りで母の相手をしてくれる大卒の人間は、父だけだったらしい…。


もう、よく解らん。よく解らんけれど、子どもはその夫婦や親戚の中で育つんだから、


それこそ一生に関わる基盤養成の場所。


自分の事だけを考える人の集団の中で、それぞれがてんでバラバラをずっと続けていると、


挟まった子どもは統合失調症になり易いというデータもある。


まあ、当時、学内だけで聞いたのだけれど…


その授業の先生は児童精神科医でした。


例として列挙された問題を持つ家庭を知るたび、


自分の家が該当して仕方なくて、自分の行きづらさが少し解明しだした。


そういう意味でもやはり、現実は残酷なのかもしれない。


憧れだけで子どもを進学させて、近所で実は吹聴している事も見抜いてしまうしょぼん



親を見抜く程、悲しい事はないしょぼん



まだ高齢になって認知症が始まって…のほうが、


高齢のせいにも出来たし、認知症のせいにも出来たしょぼん



やがて私は二歳の頃に始まった混乱を、親の思い付きでミーハーに生きてる結果と知っていく。



…悲しい現実。



私に何故、この感受性があるのだろうしょぼん


乗り越えられない困難はその人に与えない、と慰めてくれる人はいる。


でもそれは必ずしも共感をしている台詞とは限らない。


共感は自分の事の様に理解して初めて出来る行為。


うまく纏められちゃって、解決した事にされるやり方。


って見抜いちゃイケナイんだよね…しょぼん



勉強できたら喜んでくれたのに。


よく気がつくとは、よく見ているという事。



察するのもそう。



勉強や気配りはいいけれど、以外の事も気づいちゃうから仕方ない。



そうして子どもの私は親を怒らさない様に、勉強以外に気づいた事は、ずっと胸に閉まって来た。



消化不良を起こし続けているだけ。



どうして、こんな体に生まれて、あんな環境だったんだろう。


でも離れたら離れたで、また好き勝手な(人を下に見る)レッテルで、


ダイレクトに入る。




ふ~…ダウン



人間は馬鹿だね、ホント。


でも同じ馬鹿なら人様を巻き込まない方の馬鹿でありたい。