
してないから、ぶろぐのないようが、しびあ。
やだやだ、そんなぶろぐにしたくなぁ~いっ

なんていうのかなぁ…
さいきんね、ネットニュースのようやくも、
なんだか、きょくたんにもちあげたり、きょくたんにいじわるくかいたり、
すっごいストレスがたまる


おなじかくにも、もうちょっと、かきようがあるだろうになぁ…
っておもってばかり。
なんだか、よのなかまで、ぎすぎすしているようにかんじるのは、
わたしがことばにしばられるとくせいがあるから。
こうはんせいはったつしょうがい。
さいきん、くんれんができつつあるかもしれないけれど、
やっぱりことばを、じしょどおりにりかいしてしまう。
でも、そうじゃないと、そのときの、かんじょうで、かていないぼうりょくがあったから。
とくに、ちちは、せっかちだったし、たいせつにそだてられたから、
けっこんするまで、けっこうまわりがあたりまえにゆずってきていたから、
おもいどおりになることだらけ。
すると、かちかんのちがう、ははとは、おりあいがわるくなる。
ちちは、りょうしんをはやくなくしていていたから、
ながいきしたりょうしんをもつははを、うらやましくねたましくおもっていたし、
ははは、きょうだいのしたの、いもうとだったから、
ちちは、しごとでも、ぷらいべいとでも、うまれてはじめて、じぶんをおさえるたちばになったのだとおもう。
ながねん、あまやかされていたちちは、きゅうくつにおもったのか、
ちからづくで、ははをしいたげた。
つまりは、おんなをばかにしていた。
だから、じぶんよりあたまのいいじょせいや、
はるかにそだちのいいじょせいを、
どちらにしてもぶべつしていた。
ちちは、じぶんだけがおとこで、
しんせきのだんしどうしは、
どちらがしゅっせしたとかがわだいになっていたかんきょうらしく、
ものごころついたときから、
はらをわってはなせるともだちがいなかったのだとおもう。
なんのこっちゃない、わたしとおなじ。
くりかえしちゃうのかなぁ…
まわりにしらないあいだにまきこまれて、
しょうぎのこまか、へいたいみたいにあつかわれた、
なれのはて。
だから、わたしは、ほんとうはたくみにしくまれている『ふつー』をうたがわないひとが、こわい。
にんきがなくなったら、いなくなるふぁんのてんけいみたいなもん。
じぶんがただしいとおもわないと、じぶんをたもてない。
よわいんだよ、にんげんなんて。
でも、だれかとかかわったら、そのひとをみきわめないと、おいつめたら、とりかえしがつかない。
だから、せっかちにならないで、まって、まって、まつんだ。
こころをひらいてくれるまで。
げんかいなら、そうすなおに、ごめんなさいすればいい。
まあ、ぱにっくおこしちゃうよね、きゅうにいわれたら。
そうなると、ぱにっくおこしているようすが、あたかも、おこっているようにうつる。
…みんな、よゆうがない。
だからこそ、ほうどうのひと、めでぃあのひと、ひとのまえにでるひと、せっきょくてきにかかわるひとは、
ことばえらびを、しんちょうに、せんさいに、じっくりと、してほしいのです。
わたしは、ぎりぎりです。
これいじょうきずつくと、
たおれてしまうので、こどものおせわができません。
おねがいです。
ことばえらび。
おねがいします。あるいは、
すきまをつくってください。
おねがいします。
あ、おねえちゃん、おこしてあげないと…。
ごはんできてるよ~
