木漏れ日見つけてきゃあきゃあ

可愛いぬいくまるみ見つけてきゃあきゃあ

素敵な音色聴こえてウットリ

上昇気流に乗る鳶見つめてこれまたウットリ

ワンコ見つけてお話したくてウズウズ

歩き始めた子どもちゃんと見つめ会いたくてドキドキ

…無いぃ~?
あるよね~

どうして私がこうだったら、
ダメだったんだろう…
って言うくらいいっぱい矯正されて育った。
まずは左利きを右に…。
でも今でもたぶん絵は…
両方だ(笑)
右で描いたりもちかえて左で描いたり。
画用紙正面向けたり回転させたり。
筆だったり綿棒だったり爪楊枝だったり…
するよね

なんかね、
そういうのいっぱい怒られた。
中学校の国語の佐原先生、
回答できなかったから、
裏に当時飼っていたセキセイインコ思い出して、
一匹描いて提出した。
普通の点で、先生は褒めてくれたけど、
親からは怒られた。
ふざけている、って。
直前に母方のおばあちゃんが亡くなった。
やさしいおばあちゃんだった。
おばあちゃんは孫が来る時様にバヤリースのジュースをケースで買っておいてくれた。
一番遠かったからなかなかいけなかった。
おとうさんは母方のおじさんおばさんに寄り付かなかったのもあった。
五歳くらいの頃、物珍しくて嬉しくて美味しくて二本目をねだってみた。
するとおじいちゃんは『卑しい図々しい子だ。』って言った。
私は卑しいや図々しいの意味を知らなかった。だけど、
よろしくなくて私は許されない酷い子どもなんだ…って思った。
おじいちゃんは兵隊さんだったから凄く怖かった。
おばあちゃんは『いいけど、そんなに飲んで大丈夫?』って言った。
小さい時からお腹が弱い事をおばあちゃんは知っていた。
おじいちゃんは怖いだけだったけどおばあちゃんは好きだった。
おばあちゃんの作る茶粥はとってもおいしかった。
そのおばあちゃんが亡くなって直ぐのテスト。
国語の問題は感情を誘発するから、冷静になれなかったし、佐原先生は解ってくれると思ったから、
インコの絵の横に、
『おばあちゃんが亡くなっておじいちゃんはひとりになったから、おじいちゃん孝行したい。』
って書いた。
怖いだけのおじいちゃんだけどそう書いた。
父方の祖父母はもう父が大人になる前に二人とも亡くなっていたから、
私が生まれた頃にはもういなかった。
だから唯一のおじいちゃんだったし。
だけどテストで何やってるんだ、って酷く叱られた。
後で佐原先生が親に言ってくれたらしい。
昔、大人は直ぐ怒って、すぐ殴る、って思ってた。
そういう環境だった。
絵を描いている時はかなり集中するから、
そういう事を全部忘れられた。
だけど、
進学のためには絵も音楽もダメで、
どうせ出来る訳ないと決められた。
通うとなると個人レッスンが要って、著名な先生じゃないとダメで、月額どれだけそっちにかかると思ってるんだ!
ってまた荒れ狂った様に怒った。
私…けたたましいから何も言えなかった…
人生知らないから親の言う事は絶対だったから。
続きはまたいつか(笑)
