7 人間の証明
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春の、やわらかい風が、吹き始めていた。
皇女エオリオ私有の、庭園では――
父親である帝王と、エオリオの兄二人。
それに、付き人のフィーネが混じって、アーモンドの白い花の下、大樹の陰で、楽しげに物語をしている。
話をしているのは、主にエオリオで、どれだけ彼女が、魔龍の山で活躍したか――
面白おかしく、語ってみせている。
時折、付き人のフィーネが、誇張しすぎた話を訂正しているが、皇女は軽やかに笑って、
「あら、そうだったかしら」
と、可愛らしくとぼけている。
もちろん、ジュンクリフ中尉の英雄譚も欠かしていないが、皇女も、ただ誘拐されていただけではなかったらしい。
庭で話をしている間。
結界師は、皇女の部屋の天井に、『魔除けの結界』を、施していた。
シャンデリアの一部に細工をして、ちょっと素人が見ただけでは、分からない。
(うん、いい感じ)
梯子から降り、自分の仕事に、満足げにうなずいた。
「これで魔術師も、魔龍も、そうそう入って来れないでしょ」
マチルダにも協力してもらった、『護符』を、貼り付けている。
邪悪な力を持った者は、この部屋の扉にすら、近寄ることはできないはずだ。
「――結界師さま、おやつになさいませんか」
軽く会釈をし、白いエプロンの、皇女付き女中が入ってきた。
丸い銀色の箱を、見せびらかす。
「うちの里の名産です。実家から送って来たので。よろしかったら」
「あ。ありがとうございます。……お姫さまは?」
「お姫さまの分は……。その前に、開けてみて下さいな」
椅子を、わざわざ運んで来てくれるので、恐縮しながら、腰掛ける。
銀色の蓋を外すと、竹の皮を薄く剥いだもので、縦横六列の「格子」が作られており……
その枠に一つずつ、巾着型の、小さな『袋』が入っている。
「すっごーい。格調高いですね」
「そうでしょー。このぐらいしか、ないんですよ。名産なんて」
黄色や緑。ピンクに、白。
花びらを散らした、中の透けて見えそうな小袋に、薄く、丸い物がたくさん入っている。
「小っちゃいおせんべい、ですね」
「そう。エビのおせんべに、カニのおせんべ。タコと。これなんて、イクラ味」
一つもらって中を開けてみると、たちまち、もち米と海苔の、香ばしい匂いが漂う。
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春の、やわらかい風が、吹き始めていた。
皇女エオリオ私有の、庭園では――
父親である帝王と、エオリオの兄二人。
それに、付き人のフィーネが混じって、アーモンドの白い花の下、大樹の陰で、楽しげに物語をしている。
話をしているのは、主にエオリオで、どれだけ彼女が、魔龍の山で活躍したか――
面白おかしく、語ってみせている。
時折、付き人のフィーネが、誇張しすぎた話を訂正しているが、皇女は軽やかに笑って、
「あら、そうだったかしら」
と、可愛らしくとぼけている。
もちろん、ジュンクリフ中尉の英雄譚も欠かしていないが、皇女も、ただ誘拐されていただけではなかったらしい。
庭で話をしている間。
結界師は、皇女の部屋の天井に、『魔除けの結界』を、施していた。
シャンデリアの一部に細工をして、ちょっと素人が見ただけでは、分からない。
(うん、いい感じ)
梯子から降り、自分の仕事に、満足げにうなずいた。
「これで魔術師も、魔龍も、そうそう入って来れないでしょ」
マチルダにも協力してもらった、『護符』を、貼り付けている。
邪悪な力を持った者は、この部屋の扉にすら、近寄ることはできないはずだ。
「――結界師さま、おやつになさいませんか」
軽く会釈をし、白いエプロンの、皇女付き女中が入ってきた。
丸い銀色の箱を、見せびらかす。
「うちの里の名産です。実家から送って来たので。よろしかったら」
「あ。ありがとうございます。……お姫さまは?」
「お姫さまの分は……。その前に、開けてみて下さいな」
椅子を、わざわざ運んで来てくれるので、恐縮しながら、腰掛ける。
銀色の蓋を外すと、竹の皮を薄く剥いだもので、縦横六列の「格子」が作られており……
その枠に一つずつ、巾着型の、小さな『袋』が入っている。
「すっごーい。格調高いですね」
「そうでしょー。このぐらいしか、ないんですよ。名産なんて」
黄色や緑。ピンクに、白。
花びらを散らした、中の透けて見えそうな小袋に、薄く、丸い物がたくさん入っている。
「小っちゃいおせんべい、ですね」
「そう。エビのおせんべに、カニのおせんべ。タコと。これなんて、イクラ味」
一つもらって中を開けてみると、たちまち、もち米と海苔の、香ばしい匂いが漂う。
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6 人間の証明
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女は、何度も、水をかぶった。
意識を失いそうになっては、石畳に落ちる、手桶の音で、我に返った。
「殺さなくっちゃ……。殺さなくっちゃ……」
体が凍てつき、腕が動かなくなっても――彼女は、手桶にしがみつき続ける。
昔は皇族の懲罰に使われていたという、歴史ある、花崗岩の牢獄である。
しかし今では、これを利用する者もなく、何百年もこの状態で、地下に半分、埋もれたままになっている。
「……早く……早く……。殺さなくっちゃ……」
毎夜毎夜、ベッドを抜け出しては、操られたように何度も水をかぶる。
「殺さなくっちゃ、殺さなくっちゃ……私の中から、『悪魔』を……『イリア』を殺さなくっちゃ……」
歯が打ち震え、両手は青紫になり、かさぶただらけの手は、老婆のようになっている。
彼女は、自分自身の肌を嫌った。
『悪魔』が、肌の内に眠っているから。
……姉を殺した、忌まわしい肌……
何度も何度も、自分の肌を、爪でえぐった。
水をかぶる度、そんな体に、水を吸い込んだ夜着がきつく、重く、食い込む。
彼女を責めるように。許しはしない、と呪うように。
きつくきつく縛り付く。
女帝・マーガレットは繰り帰し、許しを請いながら、神になんとか自分の訴えを聞きとげてもらいたいと、水をかぶり続ける。
「どうか、どうか、イリアを……私の中から……っ!」
けれど、どれだけ体を傷つけても、まだまだ、『悪魔』は、出ていってくれない。
(それほど私の犯した罪は深いのだ……)
女帝はまた、泣き喚きながら、狂ったように、水をかぶり続ける。
「どうか、どうか……っ、早く、『イリア』よ、死んで……っ!」
女帝は水を、かぶり続ける。
力尽きるまで。
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女は、何度も、水をかぶった。
意識を失いそうになっては、石畳に落ちる、手桶の音で、我に返った。
「殺さなくっちゃ……。殺さなくっちゃ……」
体が凍てつき、腕が動かなくなっても――彼女は、手桶にしがみつき続ける。
昔は皇族の懲罰に使われていたという、歴史ある、花崗岩の牢獄である。
しかし今では、これを利用する者もなく、何百年もこの状態で、地下に半分、埋もれたままになっている。
「……早く……早く……。殺さなくっちゃ……」
毎夜毎夜、ベッドを抜け出しては、操られたように何度も水をかぶる。
「殺さなくっちゃ、殺さなくっちゃ……私の中から、『悪魔』を……『イリア』を殺さなくっちゃ……」
歯が打ち震え、両手は青紫になり、かさぶただらけの手は、老婆のようになっている。
彼女は、自分自身の肌を嫌った。
『悪魔』が、肌の内に眠っているから。
……姉を殺した、忌まわしい肌……
何度も何度も、自分の肌を、爪でえぐった。
水をかぶる度、そんな体に、水を吸い込んだ夜着がきつく、重く、食い込む。
彼女を責めるように。許しはしない、と呪うように。
きつくきつく縛り付く。
女帝・マーガレットは繰り帰し、許しを請いながら、神になんとか自分の訴えを聞きとげてもらいたいと、水をかぶり続ける。
「どうか、どうか、イリアを……私の中から……っ!」
けれど、どれだけ体を傷つけても、まだまだ、『悪魔』は、出ていってくれない。
(それほど私の犯した罪は深いのだ……)
女帝はまた、泣き喚きながら、狂ったように、水をかぶり続ける。
「どうか、どうか……っ、早く、『イリア』よ、死んで……っ!」
女帝は水を、かぶり続ける。
力尽きるまで。
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5 人間の証明
『パレード』を見物していた人々は、初め、怪鳥を怖がっていたが、『パレード』があまりに、堂々と続けられるのと、持ち前のこだわりの無さとで――時を置かず――安心しだしたらしい。
「たいしたものだ。化け物にまで、パレードを祝わせるのだからね!」
「間違いない。イリニアには絶対に、勝てる。あのお高くとまった鼻を、へし折ってやれるぜ。パストラル帝国、ばんざーい!」
「宰相閣下、ばんざーいっ!」
再開、しはじめた。
ジェルソミーナは、上着のポケットに、右手を隠し。
隊列を気にしているふりをして、『障壁』の魔法を、完成させる。
(……魔法か……?)
馬車の座席で、ふいに、宰相は、顔を上げた。
もう一度、感触を確かめ――自分の目で、外の様子を、窺ってみる。
そして、眉を寄せた。
(……結界師……)
彼の乗る馬車の、すぐ斜め後ろ。軍馬に乗り、警備隊の制服を着て、結界師が、辺りの群集に気を配っている。
ロープから、馬車へ、今にも飛び出そうとしている女たち。兵士に妨げられて、こぶしを振り上げている男たち。
――群衆。
目をむき、泡を飛ばして、ありえない勢いで、キーツに向かって叫んでいる。
切羽詰まった、狂気としか思えない顔を、どの顔もどの顔も、同じ顔をして……
見苦しく、彼に何かを求め、すがり付こうとしている。
浅ましく、いやらしく、汚らわしい。
人ではない。
蠢(うごめ)く、虫の集団のようだ。
人の形を取ってはいても、汚らわしい、魂のない「影」に変わりない。
(……っ!)
固く目を閉ざし、宰相は、無理やり、視線を外した。
「ロープから入らないでー!」
女の、しっかりとした声が、ここまで届いた。
結界師は、叫びながら、ロープ脇を走り続ける。
それでも隙を窺って、人々は、ロープを振り切ろうとする――が、それを力の限り、警告で、押し止め続けている。
灰色の制服が、目に飛び込んできた。
手綱を引き絞り、彼女は、大通り脇に向かって叫ぶ。
(あ……)
結界師は明らかに、今、彼の見ている目の前で、『魔法』を使った。
誰も気付かなかったに違いない。彼女は、宰相の馬車に、「守り」の魔法をかけたのだ。
「押さないで下さい。そこ、入らないでー!」
乗り越えようとした婦人たちに、リボンの髪を波うたせて、駆けつけて行く。
すべては、宰相の馬車に、触れさせないがため、である。
(……随分と必死に、仕事をするのだな)
婦人たちは、兵士に腕をつかまれ、雑踏の一番後ろへと連れ去られていく。
目を血走らせ、叫ぶ、木偶たちの姿は、変わらない。
叫ぶ言葉も、彼の耳には、「言葉」として届かない。
同じ顔が、通り沿いに、連なる。
(……)
だが、今。
目の前で、必死になって駒を駆る者がいる。転がり出した少年を、ロープの中に手渡す、真面目で、微笑む横顔がある。
その女の声だけは、どんな小声でも――彼の耳に、はっきりと聞こえる。
(結界師……)
窓の外を、彼女の背中が流れて行く。それを見つめながら、ふと感じた。
(ひょっとするとこいつは……人間なのかもしれない……)
馬車に揺られながら、石畳を眺め。
やがて、間を置いて。
彼は自分の考えたことを、少しずつ反芻しだした。
そして、驚愕した。
正気の沙汰ではない。
(……くそっ!)
途端、力ずく、キーツは馬車の窓を、閉めきった。
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「たいしたものだ。化け物にまで、パレードを祝わせるのだからね!」
「間違いない。イリニアには絶対に、勝てる。あのお高くとまった鼻を、へし折ってやれるぜ。パストラル帝国、ばんざーい!」
「宰相閣下、ばんざーいっ!」
再開、しはじめた。
ジェルソミーナは、上着のポケットに、右手を隠し。
隊列を気にしているふりをして、『障壁』の魔法を、完成させる。
(……魔法か……?)
馬車の座席で、ふいに、宰相は、顔を上げた。
もう一度、感触を確かめ――自分の目で、外の様子を、窺ってみる。
そして、眉を寄せた。
(……結界師……)
彼の乗る馬車の、すぐ斜め後ろ。軍馬に乗り、警備隊の制服を着て、結界師が、辺りの群集に気を配っている。
ロープから、馬車へ、今にも飛び出そうとしている女たち。兵士に妨げられて、こぶしを振り上げている男たち。
――群衆。
目をむき、泡を飛ばして、ありえない勢いで、キーツに向かって叫んでいる。
切羽詰まった、狂気としか思えない顔を、どの顔もどの顔も、同じ顔をして……
見苦しく、彼に何かを求め、すがり付こうとしている。
浅ましく、いやらしく、汚らわしい。
人ではない。
蠢(うごめ)く、虫の集団のようだ。
人の形を取ってはいても、汚らわしい、魂のない「影」に変わりない。
(……っ!)
固く目を閉ざし、宰相は、無理やり、視線を外した。
「ロープから入らないでー!」
女の、しっかりとした声が、ここまで届いた。
結界師は、叫びながら、ロープ脇を走り続ける。
それでも隙を窺って、人々は、ロープを振り切ろうとする――が、それを力の限り、警告で、押し止め続けている。
灰色の制服が、目に飛び込んできた。
手綱を引き絞り、彼女は、大通り脇に向かって叫ぶ。
(あ……)
結界師は明らかに、今、彼の見ている目の前で、『魔法』を使った。
誰も気付かなかったに違いない。彼女は、宰相の馬車に、「守り」の魔法をかけたのだ。
「押さないで下さい。そこ、入らないでー!」
乗り越えようとした婦人たちに、リボンの髪を波うたせて、駆けつけて行く。
すべては、宰相の馬車に、触れさせないがため、である。
(……随分と必死に、仕事をするのだな)
婦人たちは、兵士に腕をつかまれ、雑踏の一番後ろへと連れ去られていく。
目を血走らせ、叫ぶ、木偶たちの姿は、変わらない。
叫ぶ言葉も、彼の耳には、「言葉」として届かない。
同じ顔が、通り沿いに、連なる。
(……)
だが、今。
目の前で、必死になって駒を駆る者がいる。転がり出した少年を、ロープの中に手渡す、真面目で、微笑む横顔がある。
その女の声だけは、どんな小声でも――彼の耳に、はっきりと聞こえる。
(結界師……)
窓の外を、彼女の背中が流れて行く。それを見つめながら、ふと感じた。
(ひょっとするとこいつは……人間なのかもしれない……)
馬車に揺られながら、石畳を眺め。
やがて、間を置いて。
彼は自分の考えたことを、少しずつ反芻しだした。
そして、驚愕した。
正気の沙汰ではない。
(……くそっ!)
途端、力ずく、キーツは馬車の窓を、閉めきった。
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