10 人間の証明
(ロードのお城には、二度と来るな、って言われてたんだ。それできっと……キーツ様、怒ってらっしゃるんだわ!)
それさえ分かれば、ぼやぼやしている場合ではない。
「皇帝陛下の用件で参りました。けれど、すぐに帰ります、用事は終わりましたので。申し訳ございません、それでは!」
口上を、勢いまかせに告げ、急に、立ち上がる。
そして、もと来た方角を振り返り、逃げるように、その場を離れようとした、
――瞬間、
(っ!)
リボンで束ねた後ろ髪を、つかまえられ。思いきり、後方へ引っ張られた。
彼女の肩に、指が掛けられ。
強い力で、一瞬のうちに。宰相の胸へ、向き合うように、引き寄せられる。
「わたしを見ろ!」
乱暴に、結界師の頭をつかみ。顔を、上へ向けさせた。
「わたしがどう見えている!」
これほど真剣で、威圧的な宰相を、間近で見たのは、初めてだ。
凍てついた瞳が、彼女を凌駕するように、鋭い光を放っている。
上腕から肩を押さえる両腕には、力がこもり……
答えを聞くまで、微塵も揺るがない。
結界師は、宰相の顔を見上げたまま色を失い、口をつぐんで黙っていた。
だが、やがて――
じっと、何かを考えあぐねるような、遠い視線になって、
「……格好良くて、荘厳で。気品があって、落ちつきがあって、優秀で、万能で、魔法も使えて、手先が器用で……っ」
初めは、ゆっくりと。
じょじょに、速度を上げながら、
「慎重で、冷静で、真面目で、理知的で、繊細で、せっかちで、強引で、自信家で、短気で、身勝手で、わがままで、エラそうで、横柄で、傲慢で、内向的で、後ろ向き……あっ!」
――しまった、つい言いすぎた!
と思った時にはすでに遅かった。
最後まで、一気に、余計なことまで立て板に水をして、突如、結界師は固まった。
雲隠れしようと、咄嗟に彼女は足掻いたが。
当然、逃げるどころか、腕のすじ一本まで、宰相に封じられ、動けない。
しかも、何より恐ろしいことに、彼女を見下ろす冷酷なまなざしには、なんの感情も、読み取れなかった。
「わがままだと」
宰相は、目を見開いた。
髪を、わしづかみにしている手に、力がこもる。
「このわたしが……わがままだと?」
宰相の瞳は、射殺すように、彼女の顔を、間近から見つめている。
この状態からは、奇跡が起こっても、絶対に逃げられない。
ジェルソミーナは、身を縮め、固く、両目をつぶった。
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それさえ分かれば、ぼやぼやしている場合ではない。
「皇帝陛下の用件で参りました。けれど、すぐに帰ります、用事は終わりましたので。申し訳ございません、それでは!」
口上を、勢いまかせに告げ、急に、立ち上がる。
そして、もと来た方角を振り返り、逃げるように、その場を離れようとした、
――瞬間、
(っ!)
リボンで束ねた後ろ髪を、つかまえられ。思いきり、後方へ引っ張られた。
彼女の肩に、指が掛けられ。
強い力で、一瞬のうちに。宰相の胸へ、向き合うように、引き寄せられる。
「わたしを見ろ!」
乱暴に、結界師の頭をつかみ。顔を、上へ向けさせた。
「わたしがどう見えている!」
これほど真剣で、威圧的な宰相を、間近で見たのは、初めてだ。
凍てついた瞳が、彼女を凌駕するように、鋭い光を放っている。
上腕から肩を押さえる両腕には、力がこもり……
答えを聞くまで、微塵も揺るがない。
結界師は、宰相の顔を見上げたまま色を失い、口をつぐんで黙っていた。
だが、やがて――
じっと、何かを考えあぐねるような、遠い視線になって、
「……格好良くて、荘厳で。気品があって、落ちつきがあって、優秀で、万能で、魔法も使えて、手先が器用で……っ」
初めは、ゆっくりと。
じょじょに、速度を上げながら、
「慎重で、冷静で、真面目で、理知的で、繊細で、せっかちで、強引で、自信家で、短気で、身勝手で、わがままで、エラそうで、横柄で、傲慢で、内向的で、後ろ向き……あっ!」
――しまった、つい言いすぎた!
と思った時にはすでに遅かった。
最後まで、一気に、余計なことまで立て板に水をして、突如、結界師は固まった。
雲隠れしようと、咄嗟に彼女は足掻いたが。
当然、逃げるどころか、腕のすじ一本まで、宰相に封じられ、動けない。
しかも、何より恐ろしいことに、彼女を見下ろす冷酷なまなざしには、なんの感情も、読み取れなかった。
「わがままだと」
宰相は、目を見開いた。
髪を、わしづかみにしている手に、力がこもる。
「このわたしが……わがままだと?」
宰相の瞳は、射殺すように、彼女の顔を、間近から見つめている。
この状態からは、奇跡が起こっても、絶対に逃げられない。
ジェルソミーナは、身を縮め、固く、両目をつぶった。
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9 人間の証明
「待ちなさい、こら!」
すぐ前方。
植込みの向こうから、思いがけず、人の声がした。
大声で、女が何かに、叫んでいる。
(この向こうは確か……)
白い花弁が頭上を覆い、足元を、アネモネやストックが、埋め尽くしている。
のどかな野原……といった感じだろうか。
野薔薇の繁みが実をつけて、視界を遮っていた。
もちろん、それらは仕事熱心な庭師が、「自然らしく」、慎重に手を加え、植えたものであったのだが、
「待ちなさいってばーっ!」
彼は構わず、薔薇の繁みを、踏み分ける。
と、視界が開け、高さのない崖の下に、見慣れた、いつもの庭園が現われた。
――その庭園の、中ほど――
チューリップ畑で、これもまた見なれた女が、腰を折り、花々に上半身を突き入れ、何かを捜している。
キーツは、段差を飛び降りた。それでも、彼女は気付かない。
「どこ行ったのーっ」
泣き出しそうに、チューリップを掻き分けている。
「何をやっている」
びくっ、と結界師の背中が、震えた。
そして意外にも、素早く、キーツの顔を振り返り、息を吸うとはっきり、
「マルチーズ、見かけませんでしたか!」
「見ていない」
「最後の一袋まで食べちゃったんですっ」
「それはよかった」
淡々と、答える。
「良くはないです。姫様の飼い犬だと思って。なにも全部。一つぐらい……」
いきさつは分からないが、結界師は一人、もごもごと不平を言い続けている。
宰相はおもむろに、背を向けた。
「何をしに来た」
「え……っ」
そのあまりに唐突な、しかも意味を図りかねる張りつめた声に、結界師は、息を詰まらせただけで動けない。
(なにって……)
しかし、さすがの鈍い結界師も、だんだんと「嫌な雰囲気だな」と気づき始めたのだろう。
徐々に視線を、花壇の方へそらして、
「ですから……」
宰相が、斜めに、彼女を見下ろす。
結界師は、両膝を土に着けたまま、そのままの姿で、立ち上がることもできない。
どうしようもなく、土の付いた手を小さくはたいた。
「マルチーズを捜しに……。あ……。じゃなくって、お城には……」
(……そうだ)
ジェルソミーナは、気がついた。
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すぐ前方。
植込みの向こうから、思いがけず、人の声がした。
大声で、女が何かに、叫んでいる。
(この向こうは確か……)
白い花弁が頭上を覆い、足元を、アネモネやストックが、埋め尽くしている。
のどかな野原……といった感じだろうか。
野薔薇の繁みが実をつけて、視界を遮っていた。
もちろん、それらは仕事熱心な庭師が、「自然らしく」、慎重に手を加え、植えたものであったのだが、
「待ちなさいってばーっ!」
彼は構わず、薔薇の繁みを、踏み分ける。
と、視界が開け、高さのない崖の下に、見慣れた、いつもの庭園が現われた。
――その庭園の、中ほど――
チューリップ畑で、これもまた見なれた女が、腰を折り、花々に上半身を突き入れ、何かを捜している。
キーツは、段差を飛び降りた。それでも、彼女は気付かない。
「どこ行ったのーっ」
泣き出しそうに、チューリップを掻き分けている。
「何をやっている」
びくっ、と結界師の背中が、震えた。
そして意外にも、素早く、キーツの顔を振り返り、息を吸うとはっきり、
「マルチーズ、見かけませんでしたか!」
「見ていない」
「最後の一袋まで食べちゃったんですっ」
「それはよかった」
淡々と、答える。
「良くはないです。姫様の飼い犬だと思って。なにも全部。一つぐらい……」
いきさつは分からないが、結界師は一人、もごもごと不平を言い続けている。
宰相はおもむろに、背を向けた。
「何をしに来た」
「え……っ」
そのあまりに唐突な、しかも意味を図りかねる張りつめた声に、結界師は、息を詰まらせただけで動けない。
(なにって……)
しかし、さすがの鈍い結界師も、だんだんと「嫌な雰囲気だな」と気づき始めたのだろう。
徐々に視線を、花壇の方へそらして、
「ですから……」
宰相が、斜めに、彼女を見下ろす。
結界師は、両膝を土に着けたまま、そのままの姿で、立ち上がることもできない。
どうしようもなく、土の付いた手を小さくはたいた。
「マルチーズを捜しに……。あ……。じゃなくって、お城には……」
(……そうだ)
ジェルソミーナは、気がついた。
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8 人間の証明
「わあ。真ん中にも、入ってるんですね、カニ身の形してる。おいしそー。ありがとうございます」
「いえいえ。お姫さまは、海の物がお嫌いなの。ですから、召しあがらないと思うわ。良かったらお好きなだけ、どうぞ」
「あ、じゃあ、遠慮なく」
笑顔を残して、女中は、仕事に戻って行った。
そして、ジェルソミーナも、やりかけの仕事に戻り――
しばらく、その、『お菓子』の事を、忘れていたのである。
(んー?)
ばりばりばり、と嫌な音がする。
彼女の、足元。
ハシゴの下…………辺り、である。
ちょうど面倒な、最後の仕上げに入っていたので、彼女はしばらく、気にとめないで天井の作業をしていたのだが、それにしても……
……嫌な感じの音は、静まらない。
(なんだろう)
ついに、手を止め。視線を、天井から、床に下ろした。
「わっ!」
その頃。
シトラビンス准将は、しとやかに、「最高統帥部」の会議場を、退室するところだった。
(あら)
春の花の咲いた小道を、西の棟に向かって歩いて行く、宰相の姿が――
窓から、見えた。
(あらあら。お散歩日和)
晴天ですものね。
目元が、にこりと、ゆるむ。
「金貨一袋。何かすごい事が起こる方に。賭けてみましょ」
それなら、ガトー将軍は、どちらに賭けられるかしら。
後ろ手に、シトラビンスは微笑みながら、諜報部へ戻って行った。
桜に似た、背丈のある白い『アーモンド』の並木は、どれもこれも、見事に満開だったが。
宰相は、朝から、苛立っていた。
苛立つからには、苛立たなくするように、次の行動に移せばよかったのだが――
どうしても。
その決断が、彼にはできなかった。
決断を固めるにはかなりの勇気か、もしくは、かなりの時間が、必要になるに違いない。
ただ黙々と、晴天にも関わらず、陰鬱な面持ちで、城を出、並木道を、西側へと歩き出す。
花々が、芳しい香りを運んできてくれていたが、彼の意識には止まらない。
(わたしの中に呼びかける、『悪魔』。ヤツは「人間」が、邪魔なのに違いない。わたしの傍に「人間」がいてもらっては、都合の悪い事情があるのだ。あいつなら――ひょっとすると、わたしを理解してくれるかもしれない)
すでに、西棟へ通じる本道からは外れ、城の者も立ち入らない場所に、踏み込んでいる。
赤いアネモネの茎を踏みつけながら、彼は、歩む。
行ける所までこのまま突き進んでいこう、
と決めた時だった。
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「いえいえ。お姫さまは、海の物がお嫌いなの。ですから、召しあがらないと思うわ。良かったらお好きなだけ、どうぞ」
「あ、じゃあ、遠慮なく」
笑顔を残して、女中は、仕事に戻って行った。
そして、ジェルソミーナも、やりかけの仕事に戻り――
しばらく、その、『お菓子』の事を、忘れていたのである。
(んー?)
ばりばりばり、と嫌な音がする。
彼女の、足元。
ハシゴの下…………辺り、である。
ちょうど面倒な、最後の仕上げに入っていたので、彼女はしばらく、気にとめないで天井の作業をしていたのだが、それにしても……
……嫌な感じの音は、静まらない。
(なんだろう)
ついに、手を止め。視線を、天井から、床に下ろした。
「わっ!」
その頃。
シトラビンス准将は、しとやかに、「最高統帥部」の会議場を、退室するところだった。
(あら)
春の花の咲いた小道を、西の棟に向かって歩いて行く、宰相の姿が――
窓から、見えた。
(あらあら。お散歩日和)
晴天ですものね。
目元が、にこりと、ゆるむ。
「金貨一袋。何かすごい事が起こる方に。賭けてみましょ」
それなら、ガトー将軍は、どちらに賭けられるかしら。
後ろ手に、シトラビンスは微笑みながら、諜報部へ戻って行った。
桜に似た、背丈のある白い『アーモンド』の並木は、どれもこれも、見事に満開だったが。
宰相は、朝から、苛立っていた。
苛立つからには、苛立たなくするように、次の行動に移せばよかったのだが――
どうしても。
その決断が、彼にはできなかった。
決断を固めるにはかなりの勇気か、もしくは、かなりの時間が、必要になるに違いない。
ただ黙々と、晴天にも関わらず、陰鬱な面持ちで、城を出、並木道を、西側へと歩き出す。
花々が、芳しい香りを運んできてくれていたが、彼の意識には止まらない。
(わたしの中に呼びかける、『悪魔』。ヤツは「人間」が、邪魔なのに違いない。わたしの傍に「人間」がいてもらっては、都合の悪い事情があるのだ。あいつなら――ひょっとすると、わたしを理解してくれるかもしれない)
すでに、西棟へ通じる本道からは外れ、城の者も立ち入らない場所に、踏み込んでいる。
赤いアネモネの茎を踏みつけながら、彼は、歩む。
行ける所までこのまま突き進んでいこう、
と決めた時だった。
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