ワクチン信者が自信満々に喧伝するように

 

ワクチンの狙いは「重症化予防」

 

にあるとするなら、

 

むしろ彼らにとって致命的な「オウンゴール」になります。

もっとはっきり言えば、「信仰の否定」です。

 

 

●重症化しない

  ↓

●軽症で済む

  ↓

●強い症状が現れない

  ↓

●感染初期の「ウィルス増殖時」あるいは終期の完全にウィルスが排除されていない状態で「元気に」外出してしまう

  ↓

●ウィルスをばらまき感染を広げる

 

 

新型コロナを(皆さんの大好きな)エボラウィルスに置き換えてみればわかるでしょう。

 

メディアにより恐怖が誇張され、やたらと恐れられるエボラ出血熱は、実際のところ他の感染症に比べて、さほど大勢の死者を出しているわけではありません。

感染すると症状が急速に進行し、動き回ることができなくなるからです。そのため、感染の拡大は極めて限定的。

 

アフリカでばっと感染が広がるのは、葬儀の際に参列者が故人を偲び、まだ活性ウィルスが残っている遺体を撫でる習慣のせいだと言われています。

 

エボラワクチンが開発され、感染者の重症化を防ぐことができた場合、「微熱がある」程度の「保菌者(ウィルスは菌ではないが)」が、大量のウィルスを体内に抱えたまま街なかを闊歩する事態になります。

それにより感染が一気に拡大し、広範囲のエピデミックが発生するでしょう。

 

その結果、非接種者は重症化して絶命するものの、ワクチン接種のおかげで重症化しない接種者がさらにウィルスをばらまき、ついには国境を越えたパンデミックへと発展するはずです。

 

ワクチンがなく、感染者がきちんと(はた目にもわかるように)重症化してくれれば、わざわざ危険地帯へ近寄る人もいないので、感染はごく狭い範囲で収束してくれたのに……

 

 

とはいえ、誰だって、恐ろしいウィルスに感染して、全身の毛穴から出血するような悲惨な死に方はしたくない。

 

だからワクチンを接種する

 

というのは当然の発想です。その考え方を決して非難したり否定するものではありません。

 

私が指摘したいのは、重症化を防ぐワクチン接種は

 

強い利己主義に基づいている

 

ということです。

 

周囲に病原体をばらまき、自分の知らないところで大勢の死者が出ようが構わない。とにかく自分は死にたくない、という利己的な発想が根底にあるわけです。

ワクチン信者は、そうした自身の「真の動機」を認識したうえで、接種を行わなければいけません。

 

大切な人のため?

周囲への思いやり?

 

とんでもない!

そんなたわごとは偽善も偽善。

 

自分の身(だけ)がかわいい

 

と正直に認めるべきです(誰でも生存本能があるので当たり前)。

 

 

……ほらね。

 

ワクチンは重症化を防ぐためのもの

 

という論法は、

 

「ワクチン接種は公衆衛生のため」

 

という信仰(甘い幻想?)を自ら否定することになるのですよ。

 

 

本当に「思いやり」があるのなら、むしろ接種せずに重症化することで、我が身を犠牲にして感染を食い止めなければ駄目でしょう。

 

そして、「非接種者にタダ乗り」して生き延びようとする自分を恥じなければいけないのです。

 

 

 

コロワク接種後に接種者を中心に変異株の感染が爆発したとき、推奨派の医師や専門家、SNSに群れるそのコバンザメどもは、得意げにこう言いました。

 

ワクチンはもともと感染を防ぐためのものではない。

重症化を防ぐものなのである。

反ワクはそんなことも知らない「非科学・反知性主義」の集まりだ!

 

いやいや、新コロワクチンの当初の売り文句は、間違いなく

 

感染を防ぐ

 

でしたよ。記憶の改変も甚だしい。

 

だからこそ、政府広報CMにノーベル賞学者、有名タレントやスポーツ選手を起用して、国を挙げて「大切な人に移さない」ように「思いやり接種」を勧めたんでしょ?

非接種者を周囲の接種者に守られる「タダ乗り」呼ばわりしたんでしょ?

 

そもそもmRNAの設計自体が「感染予防目的」ですしね(ワク推奨派はこの基本すら知らない)。

 

それはともかく、もしワクチンが

 

重症化を防ぐ

 

ものなら、それはあくまで個々人の問題です。

 

怪しいワクチンを打つくらいなら私は重症化してもいい

 

という「多様な価値観」も許されなければいけません。

また、重症化を防ぐためのものなら、感染の拡大・収束には直接関係ないということになります。

 

かかるのはかかるし、他人にもうつすけど、自分は重症化しない(という、思いやりとは正反対の利己主義)

 

 

とすると、理の当然で、たとえフロリダ州でワクチン義務化が廃止されたところで、「感染爆発の大惨事」など起こらないことになります。

ワクチンが「重症化を防ぐため」のものなら、「感染死」こそ増えるかもしれませんが、「感染率」自体に変化は生じないことになるのです。

 

「大惨事になる」という発言は、つまり「ワクチンには感染予防効果がある」と言っていることになるわけですが、だとすると、我が国の推奨派(とコバンザメ)の

 

ワクチンはもともと感染を防ぐためのものではない。

重症化を防ぐものなのである。

 

という発言とは、真っ向から対立します。

整合性のかけらもありません。

 

この(小学生でもわかる)矛盾に気づかないところが

 

推奨派の知性の限界

 

なのだと思います。

それがたとえ「米国の専門家」であっても。

 

 

 

アメリカの東海岸・西海岸で、期せずして比較試験ができるかもしれませんね。

人口密度も気候も違うので、単純な比較はできないまでも、一定の傾向はつかめるかも。

もし東側で感染率が低ければ、ワクチン会社は完全に息の根を止められますね。

 

 

 

「義務をなくすこと」と「権利を奪うこと」は、まったく別の話。

相変わらず、それを(意図的に)ごちゃまぜにして「嘘」を報道するメディアです。

 

 

ワクチン義務がなくなっても、「接種する権利」まで奪われるわけではありません。希望者は今までどおり接種すればよい。

推奨派がやるべきことは、義務化廃止をヒステリックに罵ることではなく、「打ったほうがいいですよ」という「宣伝」を発信することでしょう(というか、それしかない)。

 

もし「義務化廃止」で接種者が激減するようなら、これまでのワクチン政策に効果を感じていない(疑問に思っている)人が多いということです。

 

常に正しい情報を発信していれば、そこまで不信に思う人はいなかったでしょう。

けっきょく、数年前から私が警告してきたとおり、言論統制まで行ってゴリ推しした「新コロワクチン・キャンペーン」が自分たちの首を絞めただけのこと。

 

世界規模のワクチンの売りさばきで「濡れ手に粟」をつかんだものの、あぶく銭に目がくらみ、「金の卵を産むガチョウ」の腹を割いてしまった愚か者。

 

ここでも

 

短期間に大量

 

のツケが回ってきたのです。