SNSが虚偽情報を拡散する
確かに一翼を担っている側面は否定できないので、「間違いである」とまでは言い切りませんが、少なくとも「正しく」はありません。
実は、こながはプレアデス星団から来た宇宙人である
と宣言したとして、果たして皆さんは信じられますか?
そんなアホな
と鼻で笑われるのがオチでしょう。
もちろん明らかな虚偽情報(デマ)ですが、では、広まるデマと広まらないデマの違いは、どこにあるでしょうか?
それはずばり「信憑性」。
平たく言えば、「もっともらしさ」です。
デマが広がるためには、
あり得るかもしれない
と多くの人が感じる「もっともらしさ」と同時に、デマが広がるための「土壌」が重要なのです。
故意にか無知のせいかはわかりませんが、
SNSデマ拡散説
を唱える「専門家」は、この最も重要な要素を完全スルーしています。
決してSNSの力でデマが拡散するのではなく、バックグラウンドに「虚偽情報を受け入れる社会情勢」があるからこそデマが広がるのであり、この視点を抜きに事象を語ることはできません。
その部分を、大ざっぱに「社会不安」などでくくってはダメ。もっと詳細に分析する必要があります。
そのためには、過去にデマが広がった事例の「当時の時代背景」を探らなければいけません(ほらね、社会学の専攻だけじゃ勉強不足で、歴史や風俗の知識もなきゃいけないんですよ)。
関東大震災の直後、在日朝鮮人に対する虐殺事件が起こりました。
私は、そのような人道に反する悲劇を決して繰り返したくありません。
だからこそ、その残虐な行為を
差別主義者による流言飛語
なんかのせいにしてはならないのです。
多くの「専門家」が
被災による心理不安が引き金となった
と講釈を垂れていますが、それでは全然足りない。
前述したように、デマが育つには、それなりの「土壌」が必要です。
言い換えれば、当時の都民には、
朝鮮人が井戸に毒を投げ入れている
という話が、いかにも「もっともらしい」「あり得ること」として受け取られたということです。
ずっと彼らを虐げてきた「罪の意識」や、コミュニティの分断による無理解・不寛容など、原因はいろいろ考えられますが、ともかくそこには、現代の「専門家」には想像すらできない「切実な信憑性」が備わっていたということです。
2025年の日本社会は、関東大震災が発生した大正末期と、とてもよく似ています。
今度の選挙で「日本人ファースト」を掲げた参政党が躍進したのを見れば明らかでしょう。
多くの日本人が、急速に増加していく外国人に潜在的な不安を感じています。
政府と自治体の「積極的な移民受け入れ姿勢」が、その不安にいっそうの拍車をかけています。
しかも、(実際はどうあれ)外国人による凶悪犯罪が「不起訴」になる事例(報道)が多く、市民の胸中ではどんどん不満が蓄積している様子。
ちょっと話がそれますが、強盗・殺人より、性犯罪の不起訴は非常にまずい。
有性生殖を行う生物の間では、オスにとって「メスの獲得」は自分の遺伝子を残すための「死活問題」であり、怒りの感情に直結します(メスをめぐって生死を懸けて争う)。
この点でも、「専門家」は明らかに生物学の勉強不足・知識不足です。
また、「外国人が(罪を犯しても)許されるなら、日本人ならなおさら許されて当然」という「公平さを求める意識」が生まれるおそれもあります。
最近、日本人による暴力犯罪も増えてきているようですが、「外国人が不起訴」という事例がそれを助長しているのは間違いありません。
経済格差の問題もあります。
以前も書きましたが、高い税金を納める日本人が主食の米を買うことすらままならないのに、幼い子供を何人も連れた外国人が観光地の高級旅館を独占し、大金を散財している姿を見たら、「あまりに不公平だ、世の中間違っている!」と考えるのは当たり前でしょう(かつては日本人が散財する側だっただけに、よけいに)。
また、チップ文化のある外国人が部屋を散らかしてチェックアウトするのは仕方ない面もあるのですが、旅館・ホテルのために、ある程度は整えていく日本人の気遣いとの「文化の違い」も、あつれきを生む一要因になっています。
こんな状況下で、今、日本で大災害が発生したら、どうなるでしょう?
蓄積した不満がいっきに爆発し、関東大震災直後の悲劇と同じことが繰り返されてしまう気がしてなりません。
どさくさに外国人が日本人女性をレイプしている
などというデマが生じたら、瞬く間に拡散し、またも「虐殺事件」が起こるのではないか、と不安が募るばかりです。
日本にリスペクトがなく、ただの「出稼ぎ」としか考えていない外国人は、自分や家族の身の安全のためにも、今は日本に移住すべきときではなさそうです。
日本が経済的に立ち直り、人々の心に余裕が生まれ、寛容的になったときに来日するのがベターです。
日本人を愛し、日本文化を愛し、ずっと前から日本に住んでおられる外国出身の方も大勢います。
彼らが、政府の「移民受け入れ政策」に反対の声を上げないのが不思議でなりません。いや、声を上げているのかもしれませんが、少なくとも大きく取り上げられてはいません。
このまま「短期間に大量の外国人」を受け入れていけば、全部とは言わないまでも、日本文化の一部は確実に失われます。残るのは、彼らが愛した日本とは「別の国」です。
しかも、「外国人」で十把一絡げにされ、これまで日本社会に貢献し、身も心も「日本人」となったのに、「単なる移民の一人」とみなされてしまうかもしれないのです。
「日本らしさ」が失われれば、インバウンドが激減するのも確実です。
「なあんだ、ニホンもほかのアジアの国と変わらないな。だったら、中国、韓国、東南アジアをめぐったほうがいいや」となりかねません。
旅行客にとって「オリジナリティ」は、それほど価値のあるものなのです。
おしまいに。
こながは、決して外国人の受け入れに反対ではありません。むしろ正反対。
「日本の伝統」の中には、明らかに非合理的で、改めるべき点が多々あります。
それに気づくためには、(前回記事でも述べたように)外から見た「違う視点」が必要不可欠だからです。
問題なのは
短期間に大量
という点なのです。
政府も経済界も目先の利益(税収増、低賃金労働力確保など)しか眼中になく、その先には
市民同士の殺し合い
という悲劇しか待っていません。
よいものをつくるには時間がかかる
つまるところ、大量生産・大量消費の資本主義とは真逆の考え方こそ、「幸せの真理」であるということです。